プロローグ③
で、午後の講義が終わり放課後。さて、帰る準備をして、いざ寮に向かおうというとき、
「ウサコ、大変、大変!」
真奈の知らない女の子が更衣室の扉からぬっと顔を出して言った。「小ウサコが、小ウサコがぁ!」
その女の子は頭にオレンジ色のバンダナを被りペンキ塗りのようなデニム生地のつなぎ姿で左手にはパンの耳の入ったビニール袋、右手には小さなスコップを持っていた。非常に慌てていた。いや、わざとそういうふりをしているのかもしれないと真奈は思った。そういう感じの女の子だったのだ。
「小ウサコ?」真奈が冷静に隣のウサコに聞く。「ウサコの妹か何か?」
「いえ、小ウサコは妹じゃなくてウサギです、私、飼育委員で、ウサギの世話をしているのですが特別私になついてくれるコがいまして、いつの間にやらそのコのことを皆で小ウサコと」
「そう、小ウサコ、滅茶苦茶可愛いんだよ、」と女の子は初対面の真奈にわざわざ説明してくれる。慌てた様子もなくむしろ落ち着いている。「ふわっふわでまるで綿あめ、抱き心地もよくて人懐っこくてさぁ、君も一度ウサギ小屋に遊びにおいでよ、にんじん持ってさ」
バンダナの女の子は土臭く、ウサギ小屋の匂いがして、テンションがどこか田舎だった。田舎といっても日本じゃなくて、アメリカの田舎である。「はい、ぜひ、ウサギはにんじん食べてくれるから、昔から好きです」
そういえば小学生のころはよく家の冷蔵庫のにんじんを学校のウサギに持ってあげていたっけ。無論、にんじんが嫌いだったからだ。
「周防先輩、それより一体全体、小ウサコがどうかしたんですか?」
「おおっ、そうだった、大変なんだ、」周防先輩はまた慌てている風に戻って「小ウサコがいなくなった」と告げた。「大変だっ」
それは本当に大変なことなのだろう。聞いたウサコは貧血を起こしたようにふらっと真奈に寄り掛かった。
「ちょ、ウサコ、大丈夫!?」ウサコの顔を覗き込むと涙目だった。涙がポロポロ落ちないように唇に力を入れていた。が、二秒もすると「……真奈さん、私、私、」と言いながら「うわーん」と泣いてしまった。ウサコは真奈の胸でむせび泣く。
「よしよし、大丈夫だから、大丈夫だから」
真奈は必死にウサコを宥める。周防先輩は「やっちまった」というような顔をしていた。「あらあら、ウサコにはやっぱり伝えない方がよかったなぁ、フミエが死んだときも大変だったし」
「フミエ?」
「小ウサコのお母さんだよ、そのコもウサコよく懐いていたんだ、半年くらい前かな、老衰だったよ、剥製みたいに静かに死んでた」
周防先輩がそんなことをいうから悲しい記憶を思い出してしまったのだろう、ウサコの涙は激しさを増す。「もうっ、ウサコってば泣き虫なんだから、泣いてる暇なんかないよ、ウサコ、早く探しに行くよ」
周防先輩はウサコの後頭部を小突いた。ウサコは真奈の胸から顔を離して小さく頷いた。
「わ、私も手伝います」真奈が言うとウサコは「ありがとう」と小さく言った。
「助かる、何せ広い学園だからね、人手が欲しかったんだ、小屋からそう遠くには行っていないと思うんだけれど、ともかく一旦ウサギ小屋に行こうか」
周防先輩が早足で歩きだす。真奈とウサコも続く。十メートル廊下を行ったところで真奈は走って更衣室前に引き返した。「ほら、あんたも手伝いなよ」
真奈はずっーとカメラを回していたアリスの手を強引に引っ張って走らせた。「えっー、私もぉ?」




