プロローグ②
「はぁ~、疲れたぁ」
やっとのことで昼休み、真奈は食堂のテラスの白くてオシャレなテーブルに突っ伏した。明方の講義は予想以上にレベルが高く、講師もバンバンと生徒に回答を求めるから、田舎の公務員のルーチンワークの授業に慣れ親しんだ真奈にはとても疲れるものだった。
「お疲れ様です」ウサコは水筒からウーロン茶よりも濃くて緑茶よりも香りの強い、なんだか高そうなお茶をコップに注いでくれた。真奈は飲む。
「うわぁ、めちゃおいしいっ、生き返るぅ」
真奈はまるでスポーツドリンクのCMに出てくるグラビアアイドルのリアクションをした。そのリアクションもきっちりアリスのカメラに納められている。が、もう真奈も慣れた。何も言わないで、どっちかというとアリスの食事が購買の菓子パン一つというのが気になる。
「ココアパン、コレがあれば私は大丈夫なの、むしろ栄養に気を使い過ぎてカロリーを多く摂取してしまう方が問題だと私は思う」
アリスはココアパンというココアパウダーと砂糖まみれのパンに噛り付く。
「じゃあ、私たちもお昼にしましょうか」
「うん」真奈の食事はウサコが作ってくれたお弁当だった。風呂敷に包まれた重箱三段。開けるとソコには彩り豊かな様々なおかずとウサコの小さな手で握られた可愛らしいお結びが敷き詰められていた。思わず涎が出る。ウサコはお結びを渡してくれた。かぶりつく。うまい。真奈はボキャブラリーの少ない頭でウサコのお結びがいかにうまいかをあの手この手で伝えた。すでにココアパンを胃袋に納めたアリス表情は心なしかひもじい。
「……アリスさんもお食べになりますか?」
「えっ、いいの?」
「はい、もちろん、いいですよ、少し作り過ぎてしまいましたし」
「……でも、私はココアパンの女、ココアパン一個分の女」
「そうですか、じゃあ、あげません」
ウサコはつんと言った。小悪魔なのか分からないが、ぷいって顔をしてから真奈に悪戯っぽくウインクしたのは、それはもう、小悪魔的だった。
「嘘、食べる、頂きます、ウサコ嬢、どうかお恵みください」
ウサコがお結びを渡すと「米もいいねぇ」とアリスはすっかりココアパンの信条を忘れている。それを横目にウサコは「はい、あーん」と真奈の口におかずを運んでくる。真奈がお結びを両手に頬張っているから仕方なくおかずを運んであげているのだ。ウサコはそういうすました表情をしていた。真奈もさしずめミルクを与えられている子猫という感じである。
「はいっ、あーん」
「…………」急だった。真奈が口を開かない。ウサコの箸にはきんぴらごぼう。
「どうしたの? もうお腹いっぱいですか?」
真奈は口の中のものを全部飲み込んで、とても情けない感じに呟く。「にんじん、嫌い」
アリスが小さく笑う。「きんぴらの細くて甘いにんじんも? 初等部の低学年かよ」
「うるさいなっ、嫌いなものは嫌いなのっ、ピーマンは食べられてもにんじんは嫌なのっ、そりゃあ、好き嫌いはいけないと思うよ、でもさ、人間誰だって一つくらい食べられないものってあるでしょ、農家の人にも、お弁当を作ってくれたウサコにも悪いなって思うけど、でも、にんじんは無理なの、食わず嫌いじゃないよ、何回も克服しようとしたよ、でも無理だった、きっとコレからも無理なの、にんじんは無理なの」
「そこまで嫌いなんだ」アリスは可笑しそうだった。
「そう、だから、ウサコごめん、にんじんだけ食べて、はいっ、あーん」
ウサコは必死に恥ずかしい何かをこらえるような表情でパクッと真奈の差し出したにんじんを食べた。「……真奈さん、好き嫌いはいけませんよ、にんじんは体にいいんで、」
「はいっ、コレも、あーん」
「はむっ、」ウサコはやっぱり嬉しいやら恥ずかしいやらでもソレを真奈に見られたくないみたいな感じでにんじんを食べた。「……真奈さん、にんじんはカロテンが豊富で、」
「あっ、ココにもあった、はいっ」
「もうっ、しょうがないですねっ」
「うさぎさんはにんじんがお好きでしょう?」
「もうっ、しょうがないですねっ」ウサコは言いながら、お弁当にはずっとにんじんを入れようとかそういう悪い何かを企む目をしていた。この面倒くさいやり取りがずっと続けばいいとかそういうようなことを考えているような表情をしていた。
「ウサコは何か嫌いなものってないの? にんじんの代わりに、私が食べてあげる」
「え? 嫌いなもの、ですかぁ?」ウサコは必死で考えた。で、思いついたときには目茶目茶嬉しそうな顔をして手の平を合わせて言った。「あっ、ウニっ、ウニです、私、ウニが食べれないんです、今度機会がありましたら二人でお寿司屋さんに行きましょう、その時は真奈さんがウニを食べてくださいね」
真奈は、ウニとはまた贅沢なものを、と多少冷ややかな目線でウサコを見た。「……でも、お寿司だったら注文しなかったらいいんじゃない?」
ウサコは絶望的な表情をした。それからいろいろ食べられないものを挙げて言った。そのほとんどが真奈は口にしたことのない珍味だったから、つまり、ウサコの嫌いなものを真奈が食べる機会は当分の間はなさそうだ。
ともかく、アリスのビデオカメラはその一部始終を全て納めていた。真奈がにんじんが嫌いで食べられないことはビデオカメラにくっきりはっきりハイビジョンで記録されたのだった。




