第一章①
真奈が見上げると、ソコには呪いの女の子とレズの女の子と喧嘩好きの女の子がいた。真奈はどうしてこの面倒くさい三人が一緒の場所に会しているのか全く分からないし、ココがどこかも分からないから、悪い夢だと思って首を振った。
「そんなところで寝ちゃ駄目だよ」
目をぎゅうと瞑っていたからだろう。比奈が言いながら駆け寄って、椅子に縛られた真奈を起こした。ロープを解いてくれた。真奈は少しだけ自由を取り戻した。ぼうっと椅子に座っていると比奈が肩を持って真奈を立たせた。
「さすがの真奈も驚いている?」
真奈は再起動したように目を見開いて比奈に詰め寄る。「比奈、一体ココはどこ!? 説明してよ、っていうか、寮に帰して! 誘拐じゃないの、こういうの!?」
「真奈、そんな物騒なこと言わないの、詳しいことは部屋に戻ってから説明するから」
「部屋? 部屋なんてどこにも、」真奈は周囲を見回した。部屋なんてどこにも見当たらない。薄暗くて廊下の奥の方までよく見えない。なんとなく地下っていうのは分かった。空気がひんやりしていて田舎の鍾乳洞みたいだったから。「どこにもないじゃない!」
「真奈さん、」気付くとかなえが真奈の手を握っていた。両手で。前髪にちょっぴり隠れた眼が真奈を凝視する。真奈は一歩後ずさる。「コレからよろしくね、あの、昨日はごめんね、アレ、全部嘘なんだ、呪いは本当だけど、昨日のは全部演技、真奈さんに悪いことさせようと思ってわざとやったことなの、その辺は勘違いしてもらいたくなくて、私は真奈さんと本当に仲良くしたいから、その、よろしくね、真奈さん」
おさげ髪が小さく揺れた。かなえの笑顔に悪意は感じられない。かなえは言葉通り真奈によろしくな雰囲気だった。
「……う、うん?」真奈はよく分からないけれど頷いた。全部嘘? 私に悪いことさせる? かなえの言葉にはいろいろな説明が足りない。ともかく、かなえに対する警戒心は薄まった。問題はかなえの後ろでスカしている気に食わない女。
「ほら、リカちゃんも真奈さんに自己紹介して」かなえが腕を引っ張り真奈の前に来させた。
「え? ああ、私は榛名梨香子、二年生、よろしくね、真奈ちゃん」
梨香子は簡単に言うと馴れ馴れしく真奈の手を握った。真奈は威嚇するために眉間に力を入れていた。昨日のことは脳裏に新しい。けれど梨香子は雲のように取り留めがなかった。声質がマイアミビーチの砂のようにサラサラしている。真奈の目は丸くなる。昨日の梨香子と印象がまるで違う。「昨日はごめんね、私、やる気なかったんだ」
「?」
「全部嘘ってこと」
言われて真奈は比奈の方を見た。比奈はワンテンポ遅れて目を細める。
「そうなの、私がレズビアンだっていうのも、実は、」
「全部本当でしょ、」比奈が切実に何かを言おうとしたのをかなえが遮って、それから真奈の背を押した。比奈は「もうっ」とつまらなそうに頬を膨らませて可愛い子ぶる。「さぁ、部屋に行こう、ミソラが待ってる」
「ミソラ?」真奈はその名前をどこかで聞いたような気がして思い出そうとした。その時、丁度予鈴がなった。廊下に反響する。
「ちょっと、講義に出なくていいの?」
こんな訳が分からない状況でも真奈はそんなこと言ってしまう。
「何言ってるの、真奈さん、私たちは謹慎中だよ」
「謹慎!?」真奈は立ち止まって語気強く言った。それは初めて知る事実だ。「私、何か悪いことした!?」
「にんじん」かなえは振り向いて言った。
「え?」真奈は聞き間違えたのかと思った。「いや、謹慎だって、き・ん・し・ん!」
「だから、にんじん、真奈さん、にんじんが食べられないんでしょ?」
「え?」真奈はまたかなえが嘘を言ったり冗談を言ったりしてからかおうとしているんだと思った。「またまた、冗談言わないで、なんでそんなことで謹慎しなきゃいけないわけ?」
にんじんがココに連れてこられた理由だったら、なんていうか、すっごく理不尽だ。
「大丈夫よ、」比奈が言う。「真奈のお勉強は私が責任を持って見てあげるから、手取り足取り、スパルタ教育ってやつ?」
「それは、……なんか嫌だ!」
とにもかくにも真奈は冷静にこの状況を考えられる平常心を取り戻していた。真奈を苦悩させる三人の女の子は意味は分からないけれど、真奈には優しかったからだ。でも、訳が分からないのは相変わらず。比奈もかなえも説明するのが下手なのだ。
「着いたわ、ココよ」
エレベーターの扉から、薄暗くて全面コンクリートむき出しの廊下を行った突き当りを左に曲がり少し行ったところで、まるで銀行の金庫室を思わせる扉が現れた。天井の孤独なライトが青白く扉を照らしている。廊下は左右にどこまでも続いているようだった。遠くの方にも青白い明かりが等間隔にうっすらと確認できる。そこにも目の前の扉と同じようなものがあるのだろうか? よく見ると扉に何か書いてあった。『第五核シェルタ』という古い明朝体に赤でバツがされ、その下に『ミソラのコレクションルーム』と丸い文字で書かれていた。訳が分からない。
「真奈さん、危ないから少し離れて」
かなえが扉の横の掌形認証に手をやる。瞬間に地下鉄が走り出すような駆動音が響いて、扉がゆっくりと手前に開いた。扉の厚さは核爆発にも耐えられそうな厚さだった。真奈は『核シェルタ』に納得した。
「真奈さん、段差に気を付けて」
真奈は足元に気を付けて部屋の中に踏み入れた。好奇心が勝って、促されなくてもかなえより先に部屋に入った。中は暗かった。かなえが扉横のスイッチに手をかざした。明かりがついた。想像していたのはロシアの宇宙ステーションみたいに無機質な部屋。けれど『ミソラのコレクションルーム』の玄関はふわふわしたブーツや高いヒールやグリーンのキャミソールの転がる玄関だった。鳩笛寮とあまり変わらない。真奈は靴を脱いで律儀に「お邪魔します」と言って何の変哲のないフローリングの廊下を歩き、右手の戸をスライドさせた。ソコは生活感漂う、女の子の部屋だった。
「散らかっているけど、」かなえが言った。それは謙遜じゃなくて、事実かなり散らかっていた。パンツとか、ブラジャーとか、ベビードールとかが脱ぎっぱなしにされているのをみると真奈はそれを洗濯して屋上に干したい気分になる。「ココが真奈さんの新しい住まいよ、キッチンは向こうで、お風呂とトイレはそっち、寝室はココを出て右に行って突き当りを左」
かなえは部屋の中を案内してくれた。地下ゆえに窓が全くないけれど、それ以外はごく普通の、豪華なモダンハウスだった。お風呂は大理石だし、トイレにウォッシュレットが付いているし、寝室は一流ホテルのスイートルームみたいだったし、窓の代わりに高価な絵画が規則正しく飾られていた。ほとんどが風景画だった。
「ココは?」廊下の突き当たりの天井から梯子が降りていた。「屋根裏部屋?」
「屋根はないけどね、」かなえはクスリと笑った。「でも、屋根裏部屋みたいなものよ、あっ、真奈さん、駄目」
かなえは真奈を引き留めた。屋根裏部屋に上ろうとしたからだ。
「ココはミソラの部屋だから、勝手に入っちゃ駄目」
「あっ、ごめん、」真奈は梯子から降りた。「……そういえば、ミソラって何者?」
「あれ? ミソラには会ったでしょう? あっ、会ってはいないんだよね、そうだった」
「え?」真奈はかなえが何を言っているのか分からない。
「二人とも、お茶が入りましたよぉ」比奈が呼ぶ。リビングに、一番最初に入った部屋だ、ソコへ真奈とかなえは戻った。
「比奈さんが入れてくれるお茶ってなんておいしんだろう、とか言ってくれないの? ねぇねぇ、言ってくれないの?」
真奈はソファに座り、比奈の入れたお茶を飲んだ。味は独特だったが、特別おいしくはなかった。真奈の隣に比奈が座り、真奈の前の丸テーブルを挟んで左右のソファにかなえと梨香子が座っている。対面に大きなプラズマテレビがあるが何も映っていない。リビングも散らかったパンツやらを見なければ、まるで一流ホテルのスイートルームで絨毯や食器やら家具やら、いろいろなものが見るからに高そうだった。
「じゃあ、何から説明しましょうか?」かなえがカップから唇を離して言った。
真奈は聞きたいことが山ほどあった。とにかく全部尋ねるしかないと思った。「私が謹慎っていうのは本当なの?」
「うん、本当」
「にんじんが嫌いだって理由で?」
「うん、証拠もあったでしょ、見せられたでしょ、風紀委員の麻美子さんに」
「麻美子さん? ああ、あの人、風紀委員だったんだ」言われて納得。
かなえはプラズマテレビの電源を入れた。レコーダーの中のデータを選んで再生する。風紀委員の麻美子さんに見せられたものと同じものが画面に上映された。真奈は恥ずかしくなってかなえからリモコンを奪って停止した。「もう、いいよ、分かった、私は確かににんじんが大嫌いだけれど、でも、ソレって謹慎に値する行為なのか、どうかっていうのをハッキリさせないと!」
「生徒手帳は持ってる?」かなえが聞いた。
真奈はポケットをまさぐった。ない。
「はい、コレ」かなえから生徒手帳が渡された。
「それの一九四ページ」比奈が隣で生徒手帳を捲っていた。真奈もそのページを開く。
「生徒会規約、第一五六二条、はいっ」比奈は復唱を促す。
しぶしぶ読み上げる。「生徒会規約、第一五六二条」
「にんじんが食べられない子は無期謹慎、はいっ」
「ええぇ!」真奈はビックリした。こんな具体的で分かりやすい規約があるなんて想像していなかったから。
「真奈、ちゃんと復唱なさい」
「いや、だってぇ、」謹慎の事実を認めたくないから、真奈はごねる。「こんなのってないよ、まるで私を狙ったみたいじゃない」
「まぁ、実際、そうなんだけどね」梨香子がぼそりと言った。
「リカちゃんはちょっと黙ってて!」かなえは一瞬怖い顔で吠えてから、咳払いして姿勢を整え澄まし顔で真奈の方を向く。「だからね、真奈さん、謹慎は仕方のないことなの、にんじんを真奈さんが克服しない限り、真奈さんの謹慎は解けないわ」
真奈は絶望的な表情をした。にんじんは絶対無理だ。
「わぁーい、じゃあ、私はずっと真奈と一緒だね、私も自分のいけないところを直すつもりはないし」比奈は手を広げて喜んで真奈に体を寄せる。抵抗する気も起らない。
「……比奈はどうして謹慎中なの?」聞かずとも大体察しはつくけれど真奈は一応聞いた。
「ペンタゴン」
「ペンタゴン?」
「信じられないでしょ、比奈さんったら、五股かけたのよ、」かなえは軽蔑を通り越して呆れている、という物言いだった。「しかも全員、年下の女の子、初等部の子もいたっていうから驚きだわ」
「そんな褒めるようなことじゃないって」比奈は恥ずかしそうに身をくねらせた。かなえは突っ込むこともなくジト目でお茶を啜っている。
「ロリコン」梨香子が呟く。
「それを言うならペド」比奈が真奈には分からない単語を言った。でも、単語の意味を知ろうとは思わなかった。
「……梨香子さんは?」この人も大体察しはつくけれど聞いてみた。
「私? ああ、まぁ、他校のやつと喧嘩して、ボコボコにしたら向こうが教師にチクって、それで」
「リカちゃん、私を守ってくれたんだよぉ」
かなえと梨香子の距離がなんとなく近いのはそういうことだったんだと真奈は合点がいった。
「向こうも男のくせに情けないよね、復讐するなら正々堂々殴り込みに来ればいいのにさ」
「え? 男に勝ったの?」
「別に、」梨香子はドキリとするような涼しい目をしていた。「喧嘩に男とか女とか、関係ないっしょ、問題はどっちが強いのか、っていう分かりやすいことだけだから」
「リカちゃん、なんかカッコいいよぉ」かなえはキャッキャと喜ぶ。
「そうね、」比奈が何かに頷いた。「恋愛に男も女も関係ないわ、問題は男よりも女が好きだっていう、」
「かなえは?」長くなりそうだったから真奈は比奈の語りを遮った。
「ふぇーん、ちゃんと聞いてよ、真奈ぁ!」
比奈は柔らかい体を真奈に押し付けてくる。正直ウザい。
「私の謹慎の理由は呪いよ、丁度、リカちゃんのことをチクったやつを呪い殺そうとしたときだった、」本当に呪い殺そうとしたんだなっていうのがかなえの目を見て分かった。「別に後悔はしてないよ、あいつらを呪い殺せなかったのは残念だけど、でも、こうやってリカちゃんと一緒にいられるんだから、今思えば素敵な出会いをくれたあいつらに感謝してもいいくらいね」
かなえは梨香子に向かってニコッと笑った。梨香子も小さく笑ってカップに口をつけた。比奈はニヤニヤしている。と、そこで、真奈は気付いた。
「……えっ、これって」
真奈は生徒手帳記載の生徒会規約をペラペラと呼んでいて気付いた。暴力行為は当然謹慎の理由として書いてあるのだが、呪いのこともレズビアンのペンタゴンのこともにんじんの一ページ前の一九三ページに具体的に、分かりやすく書いてあったからだ。しかもよく見るとにんじんの条項を最後に謹慎についての項目は終わっている。このことは真奈にある疑念を抱かせる。
コレは事後法じゃないのかってこと。
つまり、理由は分からないけれど、真奈がにんじんが食べられないことが判明した後に付け加えられた条文ではないのか? ということを真奈は思った。それを言うと、比奈もかなえも梨香子も不自然に黙り込んだ。比奈は下手にとぼけようとしている。かなえは上手い説明を考えている。梨香子は黙秘が得策と頭を働かせている。
「え? じゃあ、本当に、」
真奈はいろいろなことを騙されたと思って勢いよく立ち上がった。その時だった。
パンっ!
パンっ!
クラッカーが二回鳴った。
驚いて音のした背後を振りむく。誰もいない。
「シャッターチャンス!」
誰かが叫んだ。その声は真奈の隣から上がった。
「え?」
小さな女の子がいつの間に真奈に寄り添っていた。
プラズマテレビの近くの扉が急に開いた。
三脚を担いで登場したのはテレビドラマのヒロインに抜擢されてもおかしくないような絶世の美少女。
一秒もかからずに三脚を設置してカメラを固定する。
結婚式場で見るような本格的なカメラ一式だった。
気付けば皆が真奈を中心にピースサインをカメラに向けている。舌をペロッと出したり、ウインクしたり、ほっぺに人差し指を当てて首を傾けたり、まるでこの撮影を知っていたかのような完璧なポーズをとっている。
「はい、」絶世の美少女が声を張る。「チーズっ!」
思わず真奈もピースサインを作る。突貫工事の笑顔はこのシャッターチャンスを喜んでいるように写真に写った。




