プロローグ⑭
「えっ、転校生なんですか?」
風紀委員の奥白根麻美子は言葉にさすがにそれは可哀そうじゃないかなっていう意味を込めて言った。
「コレ、写真」生徒会副会長の尾瀬美波瑠もさすがにそれ可哀そうだよねっていう、疲れた表情をしていた。長い緑色の髪を掻き上げる。
「セーラー服ですね」学生証用に提出されたバストアップ写真を見ながら麻美子は言った。
「今日もセーラー服らしいわ、明方の制服は買ってないらしいから」
「ソレは、分かりやすいですね、」麻美子は写真の女の子をまじまじと見て言った「……この子になんの問題があるのですか?」
「問題? 何もないわ、ちょっと不幸なことがあってこっちに転校してきた、ソレ以外に暗くて黒い面はないと思うけれど」
「えっ、どういうことですか?」
美波瑠は窓の外を見ていた。生徒会室は高等部校舎の十二階にあって、会長の豪奢な机の背後には学園を眺望できる壁一面に広がった円形の窓がある。麻美子も視線をやった。時刻は朝の八時で、校舎には続々と女の子たちが集まってきていた。
「この子、無意味に明るそうだね」美波瑠が麻美子に同意を求めていた。
「そうですね、」麻美子は再度写真の女の子を確認する。健康的な白い肌に凛々しい眉、写真の表情はなんとなくこわばっているけれど、よく笑いそうな女の子だな、っていうのはなんとなく分かった。「だから、この子なんですか?」
「どうかしら?」
美波瑠は両手で頬を潰した。「何を考えているのかさっぱりだわ、何もかも、全然ダメ」
「セーラー服だから、とか?」
美波瑠はクスッと笑った。「まさか、そんな理由で?」
「そうですよね、そんなこと、ないですよね」
麻美子も笑った。「でも、何もしてないんですよね、この子」
「ええ、いいことも悪いことも、ここでの経験は何も持っていないもの」
美波瑠は平然と言った。麻美子は困る。「……じゃあ、どうしたらいいでしょう? 何も悪いことをしていないんだったら、どうしようもないじゃないですか」
「どうしたらいいんだろうねぇ」美波瑠もこの案件に乗り気でないことが分かる。投げやりだ。
「今までとケースが違います」
「そう、問題はソコなのだ」美波瑠はたまに口調が変になるときがある。麻美子はソレをスルーするのが常だ。
「そうです、私が今まで捕まえてきた女の子たちは多かれ少なかれ、問題がありました、私を苦悩させ、その気にさせる様々な面倒くさいところが沢山ありました、正直言えば誰も友達になりたくないタイプでした、でも、この女の子は、なんとなく、友達になりたいタイプです」
「麻美子は好き嫌いがハッキリしているよね」
「昔からです」
「そうよね、この子、写真から性格の良さが伝わってくるくらい純朴で優しそうよね、子供っぽいとも言い換えることもできるけれど」
「変に大人びているよりはよっぽど信用できます」
なんだか麻美子と美波瑠は見つめ合ってしまった。
「まぁ、ともかく、」先に目を逸らしたのは美波瑠だった。「麻美子」
「なんですか?」
「この子の悪いところを探さなきゃ」
麻美子は一瞬考えてしまった。「……つまり、この子の悪いところを無理やり見つけて御用しろってことですか?」
「大丈夫、無理やりアリスのクラスにねじ込んだから、完璧な人間なんていないんだから、この子にも一つや二つ、いけないことがあると思うの、ビデオカメラに一部始終を撮って、何か犯罪に近い何かが映っていたら、ソレを証拠にして」
「いや、そういう策略的なことに疑問を感じているんじゃなくて」麻美子は頭痛が痛くなってきた。麻美子は頭痛持ちだ。眉間を指で押さえる。
「丁度、ルームメイトのいない子がアリスと同じクラスにいたからよかったわ、不信感は誰も感じないと思うけれど」
「やり方がよくないでしょう」
「やり方?」美波瑠はとぼけた。
「この子が可哀そうだって言ってるんです!」麻美子は怒鳴って生徒会長の机を叩いた。怒鳴ってもしょうがないことは分かっているけれど、持ち前の正義感が火を噴く。道徳に反することは出来ない。
「そんなこと、あなたに言われなくても分かってるわ!」
美波瑠が怒鳴るなんて珍しかった。互いに噛みつくように睨み合ったけれど、心で思っていることは一緒らしい。ただ結論が違うだけ。こういうことは女の子の間でよくあることだ。
「仕方ないじゃない、あの子の言うことを聞かなかったら、大変なことになるのよ、可哀そうだけど、この子には人柱になってもらうしかないのよ」美波瑠は写真を机に投げた。
「人柱って、」
「別に死ぬわけじゃないし、案外楽しく過ごせるかもよ、この子はそういう子かもしれない」
「いや、だからって、いや、だったら、この転校生に様々な事情を説明して、自らアソコに行ってもらったって」
「そんなことをしたらアソコに行ってもらえないわ」
「矛盾してますよ、美波瑠さん!」
「あなただって、」美波瑠は語気強めに言った。「この学園にずっといたいでしょ?」
麻美子は問われて複雑な表情をした。ソレを言わないで、という顔。小さく頷く。
「なら、いうことを聞いて、麻美子、お願い」
美波瑠にそんな風に頼まれてしまうと麻美子は何も言えないし、お願いを聞かなくちゃいけなくなる。麻美子は素直には同意できない。でも、心に引っかかる様々なものを折りたたんでしぶしぶ受け入れた。罪悪感が込み上がってくる。麻美子の顔は物凄くつまらない顔になった。途端に溜め息が出た。頭痛も痛い。けれど、美波瑠のお願いを受け入れてしまったからにはコレカラのことを考えないといけない。憂鬱だ。「……もしかしたら、この子には何も問題はないかもしれませんよ、四六時中カメラを回したって何もないかもしれないです」
「そうね」
「そういう場合、私は何も出来ませんよ?」
「大丈夫ですよ、麻美子さん」
「ひぃいいっ!」
麻美子が悲鳴を上げたのは急に背後から抱き付かれ、おっぱいを触られ、耳元で囁かれたからだった。全身に鳥肌が立ち、二秒くらい固まってから、はっと全力で抵抗して、机の上を四つん這いで渡って、美波瑠の後ろに隠れた。麻美子はブルブルと震えた。
「あら、比奈、」美波瑠はいつの間にか室内に忍び込んでいた比奈とその後ろでソファに腰かけている二人を確認して言った。「……と梨香子とかなえちゃん? 問題児三人が揃って生徒会室にとは、どういうご料簡かしら?」
「私たちも手伝えと、」
比奈は梨香子とかなえを見回してからクルっと美波瑠に振り返って微笑んだ。「ミソラが」
「手伝う?」
「ええ」比奈は麻美子を誘惑するように見つめながら微笑む。
「どういうことかしら?」今まで問題児たちが手伝いにくるなんてことはなかったから美波瑠は多少警戒している。
「言葉の通りです、転校生赤城真奈を、合法的にミソラのコレクションに加えるために、私たちは麻美子さんに協力します、ということです」
おさげ髪を弄りながらかなえが沈むソファで前のめりに言った。「分かりづらいよ、比奈さん、要はね、赤城真奈さんが悪いことをするまで待っていられないから、私たちがコンタクトを取って真奈さんに悪いことをさせろってこと、ミソラは赤城真奈さんを相当楽しみにしてるよ」
「私は気が乗らないけど、」梨香子は勝手に急須と湯呑を拝借して人数分の茶を入れていた。「誰かを殴れないなら、外に出ても仕方ないし、優雅なモダンライフの波長が乱れるのは精神衛生上、良くはない、でも、ミソラが行けっていうから仕方なく、ねぇ」
「梨香子、濃いのを頂戴」比奈はかなえの隣に腰かけた。かなえは少し離れて座り直した。
「悪いことさせるって、具体的には?」美波瑠が言った。
「上手いことやります」かなえが言った。
「……そう、どう上手いことやるか知らないけれど、まぁ、いいわ、で、アリスには?」
「伝えてあります、決定的瞬間を取り逃がさないようにと、二十四時間分のバッテリーとディスクを渡してあります」
「用意がいいのね」
「麻美子さんはしっかり、赤城真奈さんを監視していてくださいね、そして正確な裁きを」
「そんな話を聞いた私に正確な裁きをしろと?」
「麻美子さん、」かなえは麻美子を呪うような目をする。「今日から私たちとあなたは仲間です、一蓮托生です」
「ああ、ドロ航海だ」麻美子は天を仰いだ。蛍光灯が切れかかっていた。
「麻美子、後で変えといてくれる?」
「え、私が?」
「予備がどこかにあったから」
「え、探すとこから?」
麻美子は蛍光灯を五分くらいで探し出して、会長の机を踏み台にして蛍光灯を変えた。身長が微妙に足りなくて手間取る。問題児たちは麻美子が雑用に勤しむのを興味深そうに見ていた。道路工事をまじまじと見学してしまうフィーリングで。
皆、麻美子が捕まえて、ミソラのコレクションに捧げた女の子たちだ。
「麻美子さん、裏切ったら呪いますからね」かなえが怖い目で言う。
「裏切ってもイイよ、そしたら殴るけど」梨香子は笑っていたけれど目だけ本気だった。
「裏切りなんて、そんな物騒な、麻美子さん、仲良くしようね」
比奈の胸元の湯呑は麻美子のだった。比奈が分かってやっていることなのかどうかなんて関係なく、麻美子はこの問題児たちと仲良くできるわけがないと思いながら、笑った。蛍光灯がカチッとはまったからだった。新品の蛍光灯に照らされた麻美子の笑顔は引きつっていて、不細工だった。
それが昨日の朝のことで、麻美子とアリスと問題児たちは転校生赤城真奈をミソラのコレクションに加えるために動き出した。動き出した、といっても麻美子は一日中問題児たちと行動を共にしていただけだった。強いてあげればウサギ小屋の鍵を開けて、一匹のウサギをミソラのもとへ持っていただけだった。赤城真奈に悪さをさせようと張り切っているのはかなえだけだった。梨香子はショートヘアの跳ね具合を常に気にしていたし、比奈は麻美子の敏感な部分を触りながら赤城真奈をどう口説くかを真剣に麻美子に相談していた。そんなだから、赤城真奈に悪いことをさせるのは失敗した。失敗しても悔しがっているのはかなえだけだった。ミソラも赤城真奈にコンタクトをとったが悪さをさせる様子もなく、ただ麻美子の盗んだウサギを返していただけだった。この茶番になんの意味があったんだろうと麻美子は思った。日が完全に沈んで、問題児たちと麻美子は明方女学園の第五核シェルターのリビングに集まった。部屋には毛布とか枕とかティッシュとかが散らかっていて、核シェルターとは思えないほど生活臭が漂っていた。ココが彼女たちの住まいで、梨香子がモダンライフと称する、引きこもり生活を行う場だった。ミソラは屋根裏部屋(地下に屋根裏部屋とは変だが、ミソラは主にソコにいる)に引っ込んだままである。赤城真奈のことはどうでもいいのだろうかと麻美子は疑問だった。
「真奈さんのことはどうでもいいのかな?」かなえが言った。ミソラがあまり語らないから不安になったのだ。
「違うよ、」アリスが言った。アリスはコンタクトを外していた。「ミソラは赤城真奈のことをどうでもよくなったんじゃなくて、もう見つけたんだよ、真奈の悪いところ」
『え、どういうこと?』麻美子とかなえの声はユニゾンした。
「うー、きたぁ」アリスは目薬を差して爽快感を味わっていた。
「もったいぶらないで教えて、アリス」
「ふっふっふ、まずはコレを見てよ」
アリスは自慢のビデオカメラの電源を入れて、小さな液晶パネルを皆の方へクルっと回した。映像が再生する。麻美子とかなえと比奈と梨香子は映像を見るために同じ場所に固まった。比奈はとても幸せそうだった。それはともかく、皆、決定的瞬間を見逃さないように映像を食い入るように見つめた。ゴミを分別しなかったとか、机に落書きしたとか、授業中に居眠りしたとか、そういう些細なことだと思っていたからだった。けれど、映像の赤城真奈とそのルームメイトの宇佐美唯子がなにやら楽しげに食事をしているだけだった。それだけに見えた。けれど、その中に悪いことが含まれているらしかった。アリスはドヤ顔で映像を停止した。
「どう? これでバッチリだね」
アリス以外は訳が分からない。皆で顔を見合わせた。『分かった?』ってな感じで。
「え? 分からない」
『うん』皆の声がユニゾンした。
「しょうがないなぁ」それからアリスは映像を再生しながら簡単に説明してくれた。非常につまらないことで、皆からブーイングが上がった。アリスは予想外の反応を受けてプンプンしていた。褒めてくれると思っていたのだろう。
「っていうか、アリス、コレ、お昼の映像でしょ?」かなえが聞いた。
「うん、そうだけど、それが?」
「私たちがやったことは無駄だったってわけ?」
アリスは何か上手い言い訳を考えているように無表情だった。「いい演技だったよ、かなえ」
「嘘ぉ、じゃあ、あんなに頑張らなくってもよかったんじゃん」かなえは肩を落として落胆する。
「私は楽しかったけどな、少しときめいちゃったし」
「比奈さんは最初から楽しむつもりだったでしょ!」
じゃあ、ウサギを盗んだのも無駄だったのか、と麻美子は思った。
「リカちゃんもアリスに何か言ってよ」
「え? いや、別に、私頑張ってないし」
梨香子はソファにもたれて眠そうだった。麻美子ももう寮に帰りたかった。
「ミソラが黙ってろって、私に、」アリスが口を開いた。「皆に会って、判断してもらいたかったんじゃないかな、ココはもうミソラだけの場所じゃないから」
「ミソラがそんなことを?」梨香子が聞いた。「信じられないな、意外だ」
「いや、私の想像だけど」
「私はぜんっぜん、オッケーだな、真奈と一緒に暮らしたいな」
「比奈さんが言うと、なんかエロい」
「かなえちゃんは?」
「え、私? ……私もいいと思うよ、……真奈さんとは友達になれそうだし、……親友になりたいな」
「あら、私とは」比奈はかなえのおさげを触りながら言った。
「比奈さんとは、絶対に友達になりたくない!」
「……」比奈はソファに顔を伏せて泣き真似をした。多分、泣き真似。
「ね、リカちゃんはどう思う?」
「うーん、」梨香子は唸って少し考える。「ま、どっちでもいいよ、賛成でも反対でもない、最終的にはミソラの判断でしょ?」
「ミソラの判断は?」麻美子はアリスに聞いた。少しだけ期待していた。明日の朝、やることが増えませんようにって。
それが昨日の夜のことで、朝から頭痛が痛かった。
けれど、麻美子は平安名と棗田が赤城真奈をミソラのもとへ連れていくと安心して朝ご飯を食べることが出来た。嫌なものが胸に詰まっていたけれど、朝ご飯と一緒に麻美子はそれを飲み込んで消化してエネルギーに変えた。
私を苦悩させるさまざまな女の子たちのイントロダクション。長い長いプロローグに付き合っていただいてありがとうございます。まぁ、この「ミソラ」編自体が私を苦悩させるさまざまな女の子シリーズの長いプロローグでもあるんですが……。正直言って、この物語は多数の百合愛好者には拒絶されると思います。きっとまだ誰も想像したことのない人間関係を描いていると思うから。でも、私は描きます。女の子たちはいつだって私を苦悩させます。苦悩させる女の子は例外なく魅力的です。私がそれに気づいたとき、私の世界はとっても幸福になりました。それでは「ミソラ」編、エピローグまで楽しんでください。感想も待ってます。感想には必ず返信をしたいと思います。よろしくお願いします。




