プロローグ⑬
で、転校二日目の朝。
「起きろ」
「う、ううぅん」
「起きろって」
「うーうんっ」
「目を覚ませ、赤城真奈っ」真奈は頬をつねられてなんだかアルバムにでも綴じておきたいような夢から覚めた。夢から覚めると真奈は不愉快な表情で目をこすった。
「……なぁに?」寝ぼけながら聞いた。
「ついてこい」
寮の子が起こしにきてくれたのかな、と真奈は一瞬思った。けれど、昨日のパーティにこんな子はいなかった気がした。ショートヘアにシャギーの入ったサラサラの黒髪と湖の水面の様にどこか虚ろでつぶらな瞳。肌は白すぎて、逆に健康的に見えなかった。イブでも飲ませてあげた方がいいんじゃないだろうかと思った。いや、そもそもこの人は誰だろうと少し悩んでいたら、その女の子の後ろから別の女の子が二人現れて、寝起きで足がおぼつかないままどこかへ強制連行された。「えっ? ちょっと、何? 放してよ! ウサコ!」
これはきっと悪い夢。
気付くとセーラー服を着せられて、多分学園内のどこかの暗い小さな部屋のキャスター付きの椅子に座らされていた。両手に手錠をかけられ、足首は椅子の脚にロープで結ばれていて簡単に言うと真奈は身動きが取れない状態だった。部屋は刑事ドラマでよく見るベタな取り調べ室そのもので、真奈は悪い予感しかしなくて、コレは夢だ、夢に違いないと思い込もうとしていた。だって訳が分からなかったから。
「最初に言っておくけど、コレは夢じゃないから」
朝から生気のないこだまのような声。真奈を叩き起こした女の子が背後の扉から出てきて真奈の前の机の椅子に腰かけた。「朝だから、あんまり騒がないでくれ、朝は苦手なんだ」
「放せ!」真奈は静寂をつんざくキンキン声で怒鳴った。「放して!」
目の前の女の子は偏頭痛を我慢するみたいに額を指で押さえた。「……悪いけれど、それは出来ない相談だ」
「っていうか、説明してよっ、なんで私がこんな風になってるの!? 意味分かんないっ! 早くウサコのところに返しなさいよっ!」
「なぁ、さっき静かにしようって言っただろ?」頭痛持ちは早口で言った。
「静かにしたら、返してくれるっていうの?」
「……赤城真奈の返答によるな、私が確認したいことを赤城に確認するためにまずは静かにする必要がある、とっても必要なことだ」
「……確認したいこと?」
「まずはこの映像を見てくれ」
頭痛持ちはビデオカメラを机の上において液晶画面を真奈の方に向けた。再生のボタンが押される。画面の中に真奈が現れた。しかもドアップの横顔。ニキビの後とかもくっきりと映っていた。画面の中の真奈は何かを真剣に語っていた。雑音の入り混じった音声に耳を傾ける。無理とか、絶対とかを繰り返している。自分の価値観で何もかもを批評する最低の自己中オンナに見えた。少し凹む。それにしてもこの映像はいつ撮られたものだろう。アリスが撮ったものっていうのはすぐに分かった。だってこんなアップを撮れるのは真奈の近くでカメラを回し続けていたアリス以外に考えられないからだ。ともかく、こんな真剣な表情の私は一体昨日のいつの私だろう?
徐々に画面が引いて行って真奈以外の景色が画面に映り始めた。ウサコと白いテーブルとお結びのたくさん並んだ重箱が画面に入り込む。思い出した。昨日のお昼休みの一幕だ。真奈はにんじんが大嫌いで、絶対無理だと主張していた、あのときだ。画面の中の真奈はウサコににんじんを食べさせ始めた。それくらい食べろよと自分で突っ込みを入れたくなるほど細くて小さいにんじんまでもウサコの口に運んでいた。
そこで頭痛持ちは映像を停止した。「この映像に映っているのは事実か?」
「?」真奈は質問の意味が分からなかった。それ以外にもどうして頭痛持ちがこの映像を持っているのかとかこの部屋が一体どこなのかとか映像を撮った張本人のアリスは結局どこに消えたのかとか分からないことがたくさんあった。ともかく、真奈は何かを聞こうとして口を開こうとした。けれど、頭痛持ちが先に言った。
「質問にはイエス・オア・ノウで答えてくれる?」
「質問の意味が、」
言いかけると頭痛持ちが言葉を遮って「平安名、棗田」と呼んだ。瞬間に真奈の背後の扉が開いて、真奈をこの部屋に放り込んだ二人の女の子が躍り出てきた。
「回して」としんどそうに頭痛持ちは指先をクルクルと回した。
「何回ですか?」
「五十回転」
平安名と棗田はキャスター付きの椅子に縛られた真奈をクルクルと回し始めた。ものすごい速度だった。回っているときは、気分は別に悪ない。けれど、五十回転が終わりピタッと椅子の回転を止められると三半規管の機能は何もかも狂って、真奈は死んだように静かになった。静かになった真奈に、頭痛持ちは再度問いかける。「質問にはイエス・オア・ノウで答えてくれる?」
「……イエス」
「赤城はにんじんが嫌いなの?」
「……イエス」
「大嫌いなの?」
「……イエス」
頭痛持ちは嬉しさを表情に表すことはしなかったが、ほっと溜息を付いた。「平安名、棗田、連れて行って」
『ラジャー』平安名と棗田は真奈を椅子に乗せたまま大股でエレベーターへ向かった。ボタンを押すとエレベーターはすぐに開いた。乱暴に真奈をエレベーターに押し込み、平安名と棗田は誰にも見られていないことを確認するとさっとエレベーターに乗り込んだ。平安名は『閉』のボタンを押してから、ゲームのパスワードを入力するみたいに様々な階のボタンを順番に押した。全ての階のボタンが点灯すると一度ボタンの明かりがすべて消えてエレベーターが降り始めた。しばらくしてチンっと鳴り、扉が開いた。どの階のボタンも明かりが灯っていない。つまり、この階は普通の女の子たちが訪れる場所ではないということだ。平安名と棗田は真奈を椅子ごと蹴って扉の外へ出し、元の階へ帰って行った。
真奈はバランスが取れずに椅子ごと転がっていた。薄暗い病院の地下室のようにじめじめした空気が真奈の肺に入っていく。気持ち悪いし、訳分からないし、もう嫌っだった。もう嫌だったが、ともかく自分の居場所を確認するために顔を持ち上げた。
即座に驚愕した。思いも寄らない女の子たちが真奈を見ていたから。




