プロローグ⑪
「何度も説明させないでくれない? その子はウサギ小屋の小ウサコのなの、多分君のペットは別のところにいるんじゃないかな」
初等部の中庭の噴水の前には飼育委員一同が集合していた。皆、困った顔で周防先輩とベンチに座る、中等生だろうか、小さな女の子のやり取りを見ていた。その女の子は小ウサコを抱いていた。確かに周防先輩と後藤ちゃんは小ウサコを見つけたのだが、小ウサコは飼育委員ではない女の子の腕の中で、その女の子は頑なに小ウサコを返してくれない。
「私を騙そうとしているんですね、」少々舌足らずなしゃべり方が気になる。「二匹のウサギが同じ日、しかも同じ時間帯に逃げ出すなんて考えられません、あなたたちは大人数なのを利用して私のミルフィちゃんを汚くて臭くて狭い小屋の中に放り込もうとしているに違いありません」
「お言葉ですが、衛生面はキッチリしてますけど」後藤ちゃんが反論する。
「その、」周防先輩は目線を合わせて話す。「考えられない偶然があったんじゃないかなぁ? 君のミルフィ探しに私たちも協力するよ、私たちは動物に詳しいし何より好きだから全然苦にならない、だから強情にならないでまずはその子を私たちに返してくれない?」
「嫌です、あなたの言うこと、全然っ、信用できません」演劇部の下手な芝居のように女の子はわざとらしくふんっとそっぽを向いた。長い緑髪が揺れた。「もし、この子があなたたちの言う小ウサコだっていうんだったら証拠を見せてください」
「証拠? 証拠ねぇ、まぁ、一目見たら分かるんだけどね、私たちはずっと動物たちと接しているから人を判別するのと同じように分かるんだよ」
「私だってこの子がミルフィだってことくらいすぐに分かります」自分の主張を疑わない幼い瞳。周防先輩は頭を振った。
「やれやれ」
「何ですか? 子供扱いするんですか?」
「ねぇ、後藤ちゃん、小ウサコの写メかなんかないの?」
後藤ちゃんはつなぎのポケットから写真の束を取り出して小ウサコのものを探して周防先輩に渡した。周防先輩は女の子に写真を見せて分かりやすく説明する。「小ウサコの特徴は額のつむじ、ほら、この子は写真そのまんま、その子は小ウサコ以外に考えられない」
「つむじならミルフィにだってあります」
「じゃあ、どうして私たちがあなたのミルフィちゃんの写真を持っているわけ?」
「ネットから引っ張ってきたんじゃないですか?」即座に答えた。「そういえばブログにたくさん、ミルフィの画像をうpしてました、……悪質ですね、私のミルフィをウサギ小屋に閉じ込めるために写真まで用意して、私はぜーったいに騙されませんからっ!」
頑固な上に頭の回転が速く血が上りやすい。面倒臭い女の子の典型のような女の子だった。周防先輩はしばらく女の子を見つめ、駄目だなのポーズを飼育委員一同に見せた。落胆の溜息が方々から聞こえる。しかし、後藤ちゃんは諦めていないようだった。
「では、第三者を呼びましょうか、弁論部に友達がいます、その子に頼んで弁論部の部長さんに公平なジャッジをしていただきましょう」
後藤ちゃんはポケベルを取り出した。この学園では携帯電話の使用はご法度だ。でもポケベルの使用は許されていた。この学園だけでしか使用できない不便なものだが。
「横暴です、私の方が年下だし、人数もそっちの方が断然多い、公平なんてよく言えたものです」
後藤ちゃんはポケベルをしまった。「なら、あなたも友達を呼んだらいかがですか? あなたの友達に全てを話したうえで公平にジャッジしていただきましょう」
女の子は複雑な表情で後藤ちゃんを上目遣いで睨んで顔を背けた。「別に、そんなことしなくたってこの子はミルフィです」
急に声が小さく、弱くなった。どうしてだろうか? 考えるとすぐに分かった。この子は友達が少ない。後藤ちゃんは相手の弱みを見つけて下品な顔をした。この子の友達はミルフィだけなんだ。「ねぇ、あなたもしかして、」
何か言おうとした後藤ちゃんを周防先輩は遮った。察したらしい。
「後藤ちゃん、顔が下品だよ」
周防先輩に指摘され、すぐに恥ずかしくなる。委員長は後藤ちゃんの駄目なところをすぐに叱ってくれる。で、いいところはすごく褒めてくれる。だから後藤ちゃんは周防先輩を尊敬している。「委員長、すいません」
「まあさ、」周防先輩は女の子に話しかける。「こうなると話はミルフィを探してからだね、探し出したら、いくら強情な君も冷静になれるんじゃないかな、見つけ出して私たちが嘘をついていないことをまずは分かってもらわないとね、今日中には見つからないかもしれない、でも私たちは絶対にミルフィを見つけ出す、それまでは君がこの子をちゃんと優しくお世話するんだよ、いいね」
周防先輩は女の子の頭を優しく撫でた。女の子は不思議な顔をしている。後藤ちゃんは委員長をさらに尊敬して抱きしめられたい気分になる。
「じゃあ、そういうわけだからミルフィちゃんを探しに行こうか」
周防先輩が飼育委員一同を見回した。そのときだった。ウサコと真奈が到着した。
「やっと来たな、遅いぞ」
「ご、ごめんなさい」ウサコが息を切らせながら謝る。
「少し厄介ごとに巻き込まれてて」真奈が疲れ気味に言う。
「厄介ごと?」そう聞いた時に周防先輩は気付いた。その場にいた全員も気付いたらしい。「ウサコ、そのウサギ、どうしたの?」
「へ? この子ですか?」
「ミルフィ?」女の子が呟いた。ベンチから立ち上がり小ウサコを後藤ちゃんに押し付けてウサコに駆け寄った。女の子の顔から笑顔と涙がこぼれた。「ミルフィだ、よかったぁ」
ウサコは女の子にミルフィを渡した。女の子はミルフィを抱きしめた。飼育委員一同は安堵の溜息をそれぞれ吐いた。
「この子、あなたの?」ウサコが聞く。
「はい、本当に、本当にありがとうございます」女の子は素直に頭を下げた。
「はい、」後藤ちゃんがウサコに抱かせる。「ウサコの小ウサコだよ」
ウサコも極上の笑顔で小ウサコを抱きしめた。それから小ウサコとミルフィを見比べて「つむじが反対、姉妹みたいですね」と笑った。女の子もつられて笑った。「ありがとう、あなたが捕まえてくれてたんですね、偶然ですね、あなたの子も逃げちゃうなんて」
「ご、ごめんなさいっ!」
女の子はいきなり謝った。「いきなりどうしたのですか?」
「……偶然じゃないんです」女の子は告白を始めた。
「偶然じゃない?」
「はい、実は私がその子をウサギ小屋から連れ出したんです、鍵を壊して、ミルフィに似てたその子を連れだしたんです」
後藤ちゃんが何か言おうとしたのを周防先輩が口を塞いで黙らせた。周防先輩はなんとなく気付いていたような節があった。
「どうしてそんなことを?」ウサコは優しく聞いた。
「一週間前の朝でした、ミルフィがいなくなったんです、」女の子はこみあげるものを抑えるようにして舌っ足らずにしゃべる。「一週間、ずっとミルフィを探しました、講義も休んでずっと、……私、友達がいないから一人で学園の敷地を全部探しました」
「一人だけで?」
「はい、……でも、見つからなくて、帰ってこなくて、もう疲れちゃって、でもミルフィだけが友達だったから、寂しくて悲しくて」
「だから、小ウサコを?」
「ごめんなさい、最初は眺めていただけだったんです、でもミルフィにそっくりなその子を見つけたら気持ちを抑えられなくて、違うのに、違うことは分かるのに無理やりその子をミルフィにして自分のものにしようとしたんです、いくら謝っても謝って済むことじゃないことは分かっています、ごめんなさい、すいませんでした」
声がかすれて、最後の方はほとんど何を言っているのか分からなかった。けれど、動物好きの飼育委員には女の子の気持ちは痛いほどよく分かったから、ウサコも後藤ちゃんも誰も責める気持ちはなかった。
「私は怒っていませんよ」ウサコは優しく言った。「だから顔を上げてください」
「本当にすいませんでした」
女の子は顔を上げて言った。
「でも、もうこんなことしちゃ駄目だぞ」ウサコは女の子を小突いた。
女の子は笑った。一件落着のムード。地に沈んでいる夕日が最後の輝きを中庭の噴水に放っている。風が吹いて吹き上がる水がスローモーションで揺れる。キラキラとオレンジ色を反射して、たくさんの宝石が溢れているようだった。真奈はまたとないこの綺麗な空と景色と女の子たちの笑顔を覚えておこうと思った。二度とこの日は訪れないし、真奈も女の子たちもこの景色も何もかも明日には変わってしまうのだから。真奈はこの学園に向かう電車の景色を目で追いながら同じようなことを考えたことを思い出した。真奈は切ない気分になった。
「提案なんですけれど、」ウサコは周防先輩に向かって女の子の背中を押した。「この子を飼育委員の仲間に加えてくれませんか?」
女の子は驚きの顔でウサコを見る。
「別に構わないんじゃない? 飼育委員の仲間になる条件は、動物を愛せること、それだけだからね、人手も足りてなかったし」
「よかったね」ウサコは笑いかける。
「ありがとうございます」女の子は心の底から嬉しそうだった。明るい未来を想像していた。
「意外と大変よ、頑張れるかな?」後藤ちゃんが偉そうに言う。「まずは豚小屋の掃除から」
そういえば案内板には牛小屋とか豚小屋とかも書いてあった。真奈が思うのとは違って、飼育委員は本当に大変で重要な様々な仕事をしているのかもしれない。だからこう仲間意識が強くて、私はこの中に入れないな、とも思うのだろうか?
「そういえば、まだ名前を聞いていませんでしたね」
「ミソラ、です」
美しい空と書くのかな?
「ミソラさん、飼育委員の仲間としてどうぞよろしくお願いします」
飼育委員の面々はその場でミソラに簡単な自己紹介を始めた。真奈は朝からのことを思い返していた。クラスメイトは私を受け入れてくれて、そのおかげでやっとココでの生活が始まったような気がした。ミソラの新しい生活の始まりを真奈は心から祝福した。
ミソラが真奈を見ていた。飼育委員の自己紹介が済んで、この場で身元が分からないのは真奈だけになった。真奈は近寄って握手を求めた。
「私は友達として、だね、赤城真奈、転校生よ」
「あっ、だからセーラー服」ミソラは嬉しそうだった。友達って言ったからかな?
「やっぱり浮いてるかな?」
ミソラは首を振った。「いいえ、あなたのカラーじゃないですか」
多分喜んでいいんだよね、と真奈は笑った。
ミソラは緑髪をなびかせる。




