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お役目

 尾池玄蕃允保衡改め、尾池正頭義辰となった俺は、正頭、という幕府の役職を寡聞にして知らず、叔父上の最も信頼する側近、真木島昭光どのに教えを請うた。

 真木島昭光どのは、叔父上が将軍職に就かれる以前から仕えておられ、京の都を離れてからも叔父上に付き従い、近畿一円を放浪されて今に至る忠臣である。叔父上に仕えるより前には、俺の実父、足利義輝のもとで働いていたこともあり、武家の故実に詳しく、俺に接するときにも懇切丁寧な対応を心がけていて、新顔として何かを教わるにはとても有り難い存在であった。


「正頭は、俗称にございますよ。征夷大将軍である上様を、公方様とお呼びするように、引付頭人という職にあるものを、正頭や権頭などと申すのでございまする」


 さらに説明は続いて、引付頭人に就任した者が足利一門ならば正頭、それ以外なら権頭と呼ばれて区別される慣習があるという。俺が正頭となったのは、実父が足利義輝その人であるからだ。


「して、その引付頭人のお役目はいかがなものになりましょうか?」

「嘆かわしきことに、今の幕府にて引付頭人のお役目はこれといって無いに等しい有様にて、これまで空位でござりましたが、本来の幕府ならば、引付頭人は幕政を評議する評定衆の下にあり、全国の大名に諍いあれば、その訴えを吟味いたしまする。幕府は朝廷よりよろず国のことを鎮護せしめるべく置かれておりますれば、武士である大名の手綱を占めるも我らの務め。足利一門にて引付頭人となられ、正頭と称されたなら、一国の国持大名と比べても引けを取るものではない職でござりましたが…」


 言いたいことはわかる。荒れ寺を占拠しているだけの酔っぱらい集団に権力はない。


「今の幕府はそこまでのことは難しゅうございますな」

「はい、左様で。恥を忍んでお話いたしまするが、今の公方さまは余りにも多くのご苦労を重ねられ、自暴自棄になり、日々を馬鹿騒ぎして過ごすことだけでございます。村の百姓から、米を持ってこられれば安易に役を任じ、公方様と餐を共にする御相伴衆も元はと言えば大名の中でも選りすぐりの人物だけが選ばれたのが、ここでは貧農の翁が一杯の酒で任じられておる始末にて」


 名ばかりで実がともなわないにもほどがある。足利氏が力を持っていた頃、応仁の乱以前ならば大変な名誉だったことだろうが。

 竜次だった頃の記憶からは、新入社員をいきなり役職に据えてこき使う、典型的なブラック企業が脳裏に浮かんだ。平成日本において管理職は残業代が出ない、という点を悪用し、過重労働させる手法である。

 俺の顔に困惑と不安が現れたのだろう、それを察した真木島昭光どのが言う。


「とは申せ、義辰様は尾池の家を引き払い、今となっては玄蕃允と名乗ることもできず、新しい拠り所と名を求めていたのだろうと、公方様も慮って下さったのではありませぬかな。ほかの役職ならばあだ名するにも不便でございまするが、正頭ならば名乗りも良く、足利氏の格も表せましょうし、叔父として甥子に贈れるものといえば、名と形ばかりの役しかございませぬ」


 限界まで好意的な解釈をしたとして、義昭叔父上に悪意がなかったとしても、今の幕府に組み込まれたことは、俺にとって迷惑以外の何物でもなかった。





 それから俺は、名ばかりの幕臣として津之郷の田辺寺に寝起きし、正頭としての役割を果たすことになったのである。なお、備後津之郷の正頭は、大名の諍いを調停することより、田辺寺に集まる老人たちにまつわる騒動を収めることに終始した。

 あるときなど、御相伴衆の一人である貧農の翁が、家から酒を勝手に持ち出し、怒った息子が田辺寺へと殴り込みをかけるという事件も起きた。


「あの糞爺はてめえらに騙されて酒だの米だのを持ちだしちまうんじゃねぇか」


 居合わせた真木島昭光どのが男を宥めすかそうとしても、手に持った鍬を振り回して殴りかかってきそうな剣幕である。自然、荒事の空気が漂い始め、幕臣で最も若い俺に集まった視線が、対応を迫った。


「お話は、それがしが承りましょう」


 不承不承ではあるが俺が出ていくと、百姓の若者は年寄りばかりの幕臣の時と違って幾らか調子に狂いが出たらしい。自分が鍬を振りかざしている相手が、侍であることを思い出したようだった。

 そのまま頭を冷やして大人しく帰ってくれればよかったのだが、若者にとって同年代の侍は刺激が強すぎたようで、俺の腰にある刀に目を向けたまま、身体を固くして言った。


「俺を斬るつもりか?そんなことをすれば、あんたたちもただじゃいられないだろ」


 津之郷や鞆の周辺では、落ちぶれきった幕府の実態が知れ渡っている。形だけとはいえ幕臣となった老人が家のものを盗んできたのでは外聞も悪く、ここで俺が若者を切った日には備後を領する毛利も黙ってはいられないはずだ。若者もそれを知っているから強気になる。


「このようなことで斬りはしない。今日のところはそなたもそなたの親父どのも興奮して話もできまい。また明日にでも、双方が頭を冷やして話すがよいのではないか?」

「なにを他人事みたいにいってやがるんだ?俺の家から盗んだ米をお前も食ってるんだろう?酒だって俺がどれほど楽しみに思って作ったか、わかるか?」

「だからそれを明日にでも話そうではないか。時を改めれば、良い話し合いができるやもしれぬ」


 本音を言えば、俺は若者の気持ちが痛いほどわかるし、自分たちが居直り強盗のようなロクデナシ集団であるとも思う。だが、若者に暴れられるのも困るのである。年寄りばかりの幕臣相手に何かことが起これば、今度は若者が罪に問われるのだから。


「ふざけるな。俺が帰ったら、爺が持ってきた米だの酒だのを食っちまって知らんぷりする腹だろうが」

「では、食わぬように伝えるゆえ、それがしを信じて今日のところは引き取ってもらえぬか?」

「どうやってそれを信じろっていうんだよ。これまで爺どもになんど騙されたか知らないからそんなことが言えるんだ。俺は毛利の城に届け出たっていいんだぜ?俺たち民のことを考えてくださる毛利の殿様なら、盗みを知れば、あんたらを引っ捕えてくれるはずだからな。村のみんなだって、俺の味方になってくれるよ。だれだってこんな面倒、うんざりしてるんだから!」


 年寄りは若者の言葉も柳に風と受け流すのだが、俺はつい真正面から応じてしまうため、相手も頭の中が整理されてきて、理路整然と反論ができるようになっていた。俺もそれがわかったときには逃げ場がなくなっていて、最後の手段に頼るほかなくなってしまう。


「では、問題となっておる米と酒の代金をそれがしが払っておこう。もしも食われたらそなたは儲ける。食われねば、それがしに銭を返せば良い」


 俺も手持ちの銭はわずかしかなく、路銀として取っておいた分がなくなれば船を頼むこともできなくなり、横井の城に母を訪ねることもかなわないのだが、背に腹は代えられない。問題が起こって毛利と事を構えるなど、浪人同然の自分には考えたくもないことである。

 なお、虎の子の銭がなくなることのないよう、老人たちには俺からきつく言っておいたのであるが、翌日には米も酒も見当たらなくなっていて、俺はスカンピンになったのである。





 百姓の若者にバカにされ、女子供からは嘲笑われる日々を送っていると、俺は母を待たせていることの焦りが日に日に強くなっていった。それが決定的になったのは、羽柴家による四国攻めが終わったという知らせが届いた時だった。やまがちで狭隘な道が続く土佐への侵攻は、大軍であっても強みを活かすことは難しい。土地勘のある一領具足どもが抵抗を続ければ、羽柴の勝ちが揺るがないとしても、長宗我部の降伏までには時間が掛かるものと思っていた。

 であるというのに、俺が横井城を離れて二ヶ月も経たないうちに臣従とは、あまりにもあっけない幕切れであった。俺が老人たちの尻拭いをしている間も、戦国の世は確実に動いて、天下は秀吉に転がり込んでいくべく流れ続けている。

 俺の焦りは、身を立てるための機会が減ることの恐れに起因していた。武士の立身出世とは、槍働きによるところが大きく、いくさが減るほど俺が身を立てることが難しくなる。無論、津之郷にいたままではなんの意味もない話ではあるが、尾池一党のことを思えば落ち着かない。

 四国が羽柴勢によって平定され、国割りが議論される時には、横井の尾池一党もどのような身となるのか。早期に臣従を申し出て、俺の義弟が従軍したのであるから、ほかの家に比べればマシに違いないものの、讃岐や高松周辺を任され大名次第で、一党の存続にも大きく影響していくのである。母上様と、大恩ある義父上、結果として俺がいくさに駆り出すことになった義弟ら。かれら尾池一党はあくまでも在地の土豪に過ぎず、一帯を収める大名に従い、いくさにあっては一隊を率いる小勢力である。戦国にうとい竜次の記憶には、讃岐国や尾池一党の行く末などわかりようもないが、新たな試練が待ち受けていることは疑いの余地がないことだった。

 俺が心配したところでできることはないのだったが、赤もろこしを食っては腹を下し、病み上がりに粥を食っては百姓に頭を下げる日々では、立身出世どころか、己の身を生かすことだけで精一杯だった。母上様を迎えにいくなどいつの事になるのか、はたまた、母上様がご健在でおられるうちに、それが叶うものなのか、見通しすら立たない。

 焦燥の頂点に達したのが四国平定の報だったのである。

 知らせを聞いた日の夕方、その日は酒もなく、田辺寺の本堂には足利譜代の忠臣ばかりが残る静かな夕餉となったため、俺は義昭様に思い切って話してみた。俺が母上様のためにもいつか身を立てたいと考えていること。今のままでは我ら足利の一門も長くは保たないこと。このような状況にあって義昭様がどのような展望をもっておられるのか問い質し、俺にできることがあればなんでもやろうと思っていると伝えたのである。

 はじめ、俺の言葉を聞く義昭叔父はいつものように韜晦なされておられる様子だったが、少しずつ俺の意気込みが伝わると、これまで見たことのない険しい表情となる。


「そうさな。そなたにも話しておくとするか。のう、昭光よ」

「ハ。それもよろしかろうかと」


 うつむいた真木島昭光が同意するときには、同席した家来衆も一様に頷いていた。

 義昭叔父は、一同をひと通り見回してから、重々しく切り出した。


「わしらはの、無策でもなければ、無為に時を過ごしているのでもないぞ。時を待っておるのじゃ」

「時、にございまするか?」

「正頭よ。そなたはわしが都を追われてからどのように生きてきたか知っておるか?」


 この時代に生きてきた武士として、当然知っていた。義昭叔父は、一度は信長と手を組み、幕府に背いた三好から京の都を奪還したこともあるのだったが、信長と対立したのちに京を追われ、堺や紀伊へと落ち延びている。備後に移り、鞆に御所を構えてから、この津之郷に移り住んだのはそれから幾年もあとのことである。その間、反信長連合軍を組織し、畿内の多くの勢力が起ち、局地戦においては義昭叔父の命を受けた武田信玄が三方が原において織田徳川連合軍に大勝を収める快挙まで成し遂げている。

 しかし、連携のとれない連合軍は各個撃破され、甲斐の虎も病に倒れてからは、毛利を頼りとして抵抗を続けていたのだがそれも昔のこと。本能寺の変が起こって秀吉が信長の後継者となってから、毛利は羽柴と手を組むようになり、反信長でまとまっていた勢力は分裂、それぞれが秀吉に臣従して家の安泰を計るのに汲々としている有様であった。

 まして津之郷の田辺寺を見れば、足利の命脈もすでに尽きたのではないかと思ってしまうのも、しかたのない事だろう。俺の悲観的な考えを見透かすように、義昭叔父は笑う。


「まあ、そなたが憂いたとてわからぬではないの。四国は秀吉のものとなり、ついにはあの猿めにもったいなくも関白まで宣下されたそうじゃ。もはや向かうところ敵なし。天下は定まったように見える」

「では、公方様の申される、時、とは何を指しておられるのでございまするか?」


 そこで義昭叔父は勿体ぶるように間を置き、ニヤリと笑ってから試すような顔で言う。


「そなたの実父である我が兄義輝と、わしは腐っても武家の棟梁よ。縁を求めるものもあり、偏諱したこともある」


 足利氏には義の通字があり、義輝、義昭、義辰というように、縁起をかついで同じ文字を使うことがある。このような伝統ある諱は、生まれの由緒を表し、権威を象徴するものであるため、地方の大名の中には中央とのつながりを強化するため、誼を通じて諱の一字を貰うこともあるのだった。それは形式上の単なる上下関係を表すものではなく、個人の間での縁故を象徴し、足利幕府の中枢にあって将軍との繋がりを周囲に誇示する機能も兼ねていた。

 義昭叔父は、自らの昭の字を送った真木島昭光を筆頭に、これまでに偏諱した名を幾つか挙げてから、


「正頭の父御とわしの兄弟が、同じく兄弟に偏諱したこともあるのじゃ」


 といって、彼方を見るような目をした。

 武士は通称や諱を出世魚のように変えていく者もいる。俺も、尾池玄蕃允保衡から、尾池正頭義辰へと変わったばかりである。将軍ともなれば偏諱した数も相当なものであろうし、貰った側もかわらず今まで名乗っている保証はない。俺がそれを把握していなかったとしてもおかしくはないはずだが。

 義昭叔父が誰か、名のある人物を脳裏に浮かべながら話していることはわかったが、俺はかの人物を知らなかった。だから、率直に問う。


「それは?」

「九州の島津。かの一党には、当主の義久と、弟の義弘がいる。義久は義輝兄から、義弘はわしから義の通字を偏諱しており、そも島津一党は守護の出にありて、我ら幕府隷下のもののふよ。わしは常にあれらと文を交わし、九州太守に任ずるべく、精励を命じておる。大友も龍造寺も島津の勢いには風前の灯。あれが九州太守となり鎮護せしめれば、あとは東国の北条、佐竹、最上、伊達を動かしてくれる。わしが再び上洛を果たした暁に、島津は九州太守となれる手はずになっておるのだから、あの者らも必死になろう」


 鬱屈した日々にあって、その壮大な構想は彼らの心を支える唯一のものに違いない。誰かが小さく忍び笑いを漏らし、それを聞いた者がより大きな声で笑い、徐々に盛り上がる笑い声は、最後には一同による呵々大笑、という異様な光景と化したのである。

 島津の九州統一と、義昭叔父の帰洛が現実になるのなら、俺も心から笑える。足利幕府は再び歴史の表舞台に踊りでて、正頭の地位も本来のものとなり、俺は武士として身を立て、母上様もお迎えに上がれるだろう。

 だが、竜次の記憶にある天下人は、秀吉と家康であった。足利義昭の名も島津の名も知らない。つまり、この計画は成功しない可能性が高いのだった。

 その証拠に、最も信頼出来るはずの真木島昭光どのの表情がすぐれないように見受けられた。


連休中にあと一回投稿できればと.......


誤字脱字等、5月5日未明に修正しました。

5月6日未明、またも修正。色々とアカン。

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