1.勇者編-7
冒険者育成学校、エー館。
学校外からの冒険者を呼んで講演することの多いここには、大勢の人間を収容できる大型の講堂が備わっている。
その内の一つへ向かう廊下に、学び舎らしからぬ軽快な足音が響いていた。
ビリーだ。
贔屓の冒険者が、まさかの大金星をあげた。
その快挙に興奮冷めやらぬ彼を、廊下でスキップしてはいけないよ、と咎める者はいない。
窓の少ないその廊下には、彼とその保護者しかいないからだ。
一番咎めなければいけない保護者も、もはや踊りに近くなってきたビリーの動きに対してなんの言及もしない。
人間の誰もいない廊下。
保護者役の男が、初めて口を開く。
「よろしいのですか、魔王様」
足音が止まる。
くるりと振り返った青の瞳孔は、細く尖っていた。
「よしてよ、こんなところで」
ぷくりと頬を膨らます様は、人間の子供と違わぬ可愛らしさ。
母性をくすぐられる者は多いことだろう。
しかし、男はその様子に怯むこともなくため息で返す。
「ここが一番人に聞かれない、と言ったのは貴方でしょうに」
冒険者育成学校。
対魔物戦のプロを育成するこの教育機関は、兵士訓練と並ぶ軍事力の要となっている。
故に、他国に情報が漏れないようにと施された対策も万全だ。
廊下を含む、建物内の盗聴防止魔法。
入退室のチャイムと、時間や人物名のことこまかな記録。
その記録のため、学校内に足を踏み入れる者には個人情報を登録したカードの作製が義務付けられる。
外部からの出入りが頻繁にこのエー館では特に厳重だ。
故に、誰かの侵入に気づくことは容易である。
盗み聞きをされる恐れもない。
それが例え戦うべき相手の内緒話であったとしても。
「油断するなって言ってるの! ここなら安心だ、とかやってると、いつかダメなとこで魔王様呼びが飛び出しちゃうんだからね!」
腰に手を当て、苦言を呈するビリー。
上司として注意を促したつもりであったが、最初に口を開いた時と男の態度は一切変わらない。
今すぐの矯正は難しいようだと、軽く息を吐いた。
「それで、よろしいのですかって、なんの話?」
「貴方が気にかけている冒険者についてです。ユニークタイプを目覚めさせてしまって、本当に良かったのですか?」
瞬きをしない男の、深い谷の奥底のような真っ黒な瞳が更に問いかける。
「元々、勇者の誕生を阻止するためにここまで来たのでしょうに」
ユニークタイプは、人間にのみ発生する現象ではない。
確率は低いが、魔物にも発生する。
その内の一体に、『予知』のユニークタイプを持つものがいる。
魔王の配下でもある彼女はこう言った。
『近い将来、勇者が誕生する。人間の希望となり、魔王を打ち破る』
戯曲じみた口ぶりで自国の王の破滅を唱えた彼女に対し、魔王は処罰を与えなかった。
それどころか高らかに笑い、こう返したのだ。
『では、お前の予知と我が実力、どちらが上回るか勝負と行こうか』
こうして勇者になると予知されたアインの元へ魔王──ビリーは、諸々を偽りやってきたのだった。
しかし蓋を開けてみれば、アインはユニークタイプを発現させてしまった。
おまけに大人数でなければ難しいとされていたドラゴンをたった一人で倒し、周りからは絶賛の嵐。
勇者の誕生を阻止しているとは到底言えないのではないか。
そう問いかける男に対し、ビリーはふくふくとやわらかな頬を緩ませ、頷く。
「そうだね、アインさんはとても素晴らしい体験をした。ユニークタイプを発現し、たった一人で強敵を倒した」
男の元へ近寄ると、指を一本立てる。
出来の悪い我が子に教え込むように、親切そうな笑顔を向けた。
「『自分は一人でできた』という成功体験を得てしまった」
続けられた言葉に、男の瞼が初めて震える。
「勇者が持つ強さは、なにも自身の力だけじゃない。彼を支える仲間たちもまた重要な要素だ」
部下が気づいたと満足気に頷いたビリーは、寄せていた上体を離して歩を進める。
軽やかな足取りは、重さを感じさせないものであった。
まるで、羽根があるかのように。
「元々周りから浮いていたという環境。
『現状維持』の評価。
それでもなお、成し遂げられた偉業、とくれば」
辿り着いたのは、薄暗い廊下の中で唯一光の射し込む箇所。
広く場所をとったそこは、天窓のステンドグラスから柔らかな陽の光を取り込んでいた。
「人はそれ以上の歩みを止めるだろう。誰だって実るかわからない苦労はしたくないもの」
天からの光を浴びる魔王が、ゆっくりと両手を広げる。
まるで、神からの預言を託された天使のように。
「ま、……ビリー、は。もしや学校の評価にも操作を?」
思わず尋ねてしまった男は、言葉を吐きだした後に失言であったと気づく。
きょろり、向けられた瞳は笑っていない。
周囲の温度が下がる。
しかし、余計な質問をした男に対して、ビリーは寛大だった。
「さあ、どうだろうね? 僕が何をどれだけ把握しているかは、側近の君にも教えられないな」
そうして浮かべた笑みは慈愛そのものと言っていいほど優しげなものだったが、男は青ざめながら口を塞ぐ手の力を強めるばかりだった。
「僕は平和主義者だからね。武力が飛び交う前に解決できるなら、そうしたいのさ」
「……今後人間達を支配下に置くことができるようになっても、平和的に扱う、と?」
「もちろん」
大げさな仕草に飽きたのか、光から外れて再び歩きはじめたビリーに、追いついた男が再び問いかける。
今度の質問は機嫌を損ねるものではなかったらしく、ビリーは笑みを崩すことなく指折り数え始める。
「せっかくの資源だもの、大切に扱うさ。皮膚は皮紙に使うだろう、肉は家畜の餌になる。内臓は食べたことないけれど、塩漬けにしたら案外いけるんじゃないかな」
ああ、でも。
指を唇に当て、思案する様子はまるで好きなお菓子を選べと言われて迷う幼子そのもの。
「アインさんは、気に入ったからすぐに殺してしまうのはもったいないね。人間加工工場にマスコット枠として置かせてもらおう。そうしたら、いつでもお喋りしにいける」
その調子で出した結論が魔物全体の考え方なのか、魔王個人の嗜好によるものなのか。
男が聞こえないように呟いた、悪趣味め、という言葉が真実を表しているのだった。
《おわり》




