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1.勇者編-5

「うわぁあああ!」

「走れ! 早く!」


悲鳴が聞こえた。

それで、アインは我に返った。

視界には相変わらずドラゴンが開けた外壁の穴。

しかし、今注目すべきはそこではない。


牙が歪に生え揃った口から逃れようと、衛兵の一人がこちらへと駆けてきていた。

鼻水と涙を垂れ流し、なりふり構わずといった形相は死に物狂いという表現が合っている。

その衛兵は、壁の内側へと逃れようとしているようだった。

しかし穴を塞がなければドラゴンが入ってきてしまう、と考えかけたアインは、壁の側に立つ魔法使いの姿によってその問題を打ち消した。

詠唱を唱えつつ、魔力の光を灯す杖は、魔法を行使しようとしている最中だ。

おそらく、土魔法かなにかで穴を塞ぐつもりなのだろう。


しかし。

魔法使いの顔色は悪い。

魔法は発動直前のまま、壁の穴は塞がっていない。

中途半端な状態での魔法の維持は、危険だ。

魔力の巡りを少しでも乱した途端に暴発するのだ。

あの魔法使いは、魔力を均衡に保つことに全集中力を使っている。


ではなぜさっさと魔法を行使しないのか。

先程からアインの視界に映っている、衛兵が原因だ。

彼は己が助かるため、壁の内側へと走ろうとしている。

タイミングがわずかでもズレてしまえば、衛兵一人をドラゴンの玩具として締め出すことになるか、あるいは人間の百人はその腕を大きく振るうだけで血煙へと変えられる化け物を街に招き入れることとなるか。

どちらにせよ、大惨事になることは想像に難くなかった。


誰もが動けずにいた。

衛兵を助けようとすれば、自分も外壁の外側へ出てしまう。

下手をすれば魔法使いの邪魔にすらなりかねない。

自己保身と、状況判断の難しさが彼らの足を縫い止めた。


否。

動いた者が、いた。

チャーリーだ。

彼は力強く地を蹴ると、手を伸ばす。

衛兵を掴み、敷地内へと引っ張り込む算段であった。

魔法詠唱中の魔法使いとは既に視線で意思は伝えている、長年の付き合いであるパーティーメンバーには正確に伝わったことだろう。

チャーリーは魔法の壁が発動する境目、そのギリギリ内側で踏み止まった。

衛兵を引っ張り込んだ直後、自分が魔法に巻き込まれないようにするための対策であった。


しかし、衛兵の側からも伸ばされた手を掴んだその一瞬後。

自分の真横を走り抜けていった存在に、チャーリーは目を見開くこととなる。


動いた者は、もう一人、いた。

アインだ。

彼は剣を構え、全速力で走っていた。

策もなにもない彼の俊足は、あっという間に境目を乗り越え、兵士とすれ違い、ドラゴンの前へと躍り出た。


「ばっ……!」


チャーリーが絶句したのは、彼の常に人に見られることを意識した立ち回りが脳内に駆け巡った罵詈雑言を外へ吐き出すのを拒否したからだ。


愚か。

そう言う他なかった。

危険が常に隣り合わせである冒険者が、第一に意識しなければいけないのは己の命だ。

救助するために自分が命を落としては、その後安全地帯へ退避するまで迫りくる危機は残りの者が対処することになる。

自分がパーティーの要であるリーダーであるならば、殊更全員の生存率に関わるのだ。


今の状況は、要救助者が二人に増えただけだ。

壁の内側で引っ張りこむだけでは間に合わない。

滅多にしない舌打ちを口の中で響かせ、チャーリーは更に一歩を踏み出した。


その時だった。


光が、視界の端にちらついた。

数歩前方を走っていたアインの手の中にある、剣だ。

教本通りと評価できそうな、無駄のない構え。

剣身から柄に掛けて、真っ直ぐ貫くように、光は直線を描く。


そこでチャーリーは、自分の思い違いに気づいた。

光っているのは剣ではない。

アインの身体から放たれる光が、剣を通して漏れ出ているのだ。


「まさか」


輝けるチャーリー。

彼は、馴染みあるその光の正体に、いち早く気づいた。


「今、か? 今発現しようとしているのか、ユニークタイプが!」


驚愕に見開いた瞳に、光が映し出される。

同時に、それを使おうとする男の姿も。


食いしばろうとする歯はガタガタと震えていた。

本能に無理矢理逆らい、走り出した脚も動揺に。

涙はボロボロと溢れ出し、歪んだ視界でもなお目の前の脅威は消えずにいる。

ドラゴンの細長い瞳孔がこちらを見た。

アインは耐えきれずに嗚咽を漏らす。


「あああ」


なんて愚かだ、とアインは己を罵った。

チャーリーに窘められた内容は全て事実だ。

学生で外出許可もない、教師から指示を受けているわけでもない。

独断行動は周りをも危険に晒す。

チャーリーが手を伸ばすのは見えていたのだ、大人しくその様を壁の内側から見ていれば良かったというのに!


いくら自分の行動を後悔しようとも、身体は動く。

兵士の背中を庇い、更に前へ。

後ろから攻撃されることはこれでなくなったと、安心してほしかった。


剣を構えたのは、自らそうしようと決めたわけではない。

勝手に取ったのは、これまで何千回、何万回と重ねた動作の反復だ。


正面に構え。

上段からの振り下ろし。

中段の突き、下段からの返し。

その他、足運びと数十に及ぶ型。

ひたすらに繰り返したそれらの中から、今の状況に適切なものをアインの身体が選び出す。


下段の構え。

巨大なドラゴンの顎目掛けて、振り上げる。


「あああああ!!」


気合いの掛け声とも恐怖の悲鳴ともつかぬ声が、喉の奥からせり上がった。

本人がそんな有様であったというのに、毎日の鍛錬によって培った反復動作は寸分の狂いなく、正しい型でもって刃を抜く。


輝きはアインの身体を伝い、剣から迸る。

生憎、アイン本人がそれに気づいたのは、全てが終わってからだった。


ひときわ大きな閃光が放たれる。

その場にいた全員が一瞬目を瞑ってしまうほどの強さであった。

景色の全てが白み、広がった光が収束した、次の瞬間。


轟音。

瞬きの内に現象は発生していた。


牙を剥き出しにしたドラゴンの顔が、顎に向かって振り上げられた攻撃の圧によって醜く潰れる。

ドラゴンが魔の頂点と謳われる理由の一つは、その強靭な鱗と分厚い皮膚による防御力の高さだ。

教科書にもドラゴンの倒し方は、防御が薄いと伝わる喉、その逆鱗と呼ばれる部分へ何十回と攻撃を加えること、と書かれている。

それだって入念な準備と信頼のおけるパーティーがいて初めて成立しうるものだ。

おまけに成功率は低い、との但し書き付き。


それを、たったの一撃。

当のドラゴンでさえまさかダメージを受けるとは思っていなかっただろう。

上向いた細長い瞳が、信じられないとでも言わんばかりに見開かれていく。


現象はまだ終わっていない。

歪んだドラゴンの頭部が、更に歪んでいく。

否。

それがただ強い力によって変形しているだけでないことはすぐに判明した。


二つの目が、ゆっくりと上下にずれる。

目だけにあらず。

複雑に伸びた角、黄色のシミに染まった牙、次いであったものが位置を違えていく。

その現象に名前をつけるとするならば、間違いなく人はこう呼ぶ。

両断、と。

やがて落下は早まっていき、とうとうずるりとドラゴンの半身そのものが下に崩れた。

今ようやく自覚したと言わんばかりに、断面から臓物が粘ついた液体と共に溢れ出す。


それは魔の頂点たるドラゴンが、人間の手によって倒された瞬間であった。


辺りは静まり返っていた。

人間達は身じろぎ一つできず、目を見開いて硬直していた。

その現象を起こした張本人でさえ、今起こったことへの理解が追いつかず、切り口からひっかぶった体液まみれでぽかんと大きく口を開けていた。

そちらの事情など知ったことではないと言わんばかりに、木々だけがざわめいていた。


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