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2.僧侶編-6

大聖堂のとある廊下。

同じような装飾の扉の一つが、やや乱暴に開けられた。

飛び出したのは一人の修道女。

ベールも被らず、瞳と同色の髪を振り乱したまま早足で駆けていく様は、淑女としてやや相応しくない振る舞いであった。

去り際に散った涙が廊下に落ちる頃、開け放たれた扉の奥では。


「う……ぐ、ぅ」


うめき声を上げ、ベッドに伏すディーンの姿があった。

ボタンがいくつか外れ、着乱れたその格好は、到底人に見せられるようなものではない。

なんとか整えたいものの、力を込める度に痺れでぶるぶると震える腕に、ディーンは苦戦していた。


決定的なことにはならず良かった、と言うべきか。

そもそもこのような事態に見舞われたことを嘆くべきか。


「く、そ」


珍しく直接的な悪態をつくディーンだったが、致し方ないとも言えた。

なにせ身体が思うように動かない。

まだボタンを摘むまでに至っていない指先は、大きく震えては枕やシーツに引っかかった。


びり。


怒りに任せ、強く力を込めた指が、枕のほつれを解いてしまう。

生地の裂けた穴は大きくなり、


ぽとり。


なにかを落とした。


「は、」


虫か何かかと、動揺したディーンの視界がブレた。

落ち着きを取り戻し、時間をかけて焦点のあったそれが見えてくる。


「……は?」


腑抜けた一音が溢れる。

落ち着きは一瞬で消え去り、代わりに再びの動揺がディーンを襲った。


ディーンはそれを知っている。

朝の祈り、握り込んだペンダントトップと同じ色の鎖。

一部だけ種類の違う鎖が継がれているのは、彼女が修復したからだ。


『落としてなくさなくてよかった』

『本当にいいのかい、鎖を買いなおさなくて』

『いいのよ、継ぎ足せばまだ使えるわ』


そう言って笑う彼女の首には、二人の写真をはめたペンダントが光っていた。

彼女は首がごちゃごちゃするのを嫌って、エリス教シンボルの用具をいつも手に持っていた。

常に首から下げていたのは、ペンダントの方だ。


だから、この鎖がここにあるわけがない。

彼女がここを訪れていない限りは。


「はあ?」


落ち窪んだ目から、光が消える。




「あの子ですか? ハーライルへの慰問の手伝いに行くと、先程この町を出立しましたよ。急に決まったのか、相当慌てた様子で……」


孤児院の院長から、話を聞く。

ディーンは、頭が受け取る情報を制限しているのを自覚していた。

なにせあれからどう移動し、院長にどんな質問をしたのか記憶がない。

視野が狭い。

真っ黒な壁に押しつぶされそうな感覚は、これまで感じていた喪失感によるものとは全く違う。


「あの、ディーン? 大丈夫ですか?」


老婦人の気遣わしげな声に、自分が返答できたかどうかもわからなかった。




ハーライルは、のどかな農村だ。

麦を主な農産物とし、各町へと出荷している。

唯一悪いところがあるとするならば、魔国にほど近い、という点に尽きる。

魔国との戦争時は当然戦火に包まれた上、停戦中の今でも出荷の麦を積んだ荷馬車が魔族、人間問わず野盗に襲われる。

ハーライルを含め、魔国との境界にある地域にはいくつかの監視塔が建てられ、冒険者や兵士による巡回が行われている。


小競り合いの絶えない村であるがゆえに、グロウベルからも回復術を使用できる司祭や修道女の派遣が不定期で発生していた。

ディーンが妻が死んで以来、派遣協力を断ってきた任務の一つだ。


そんな彼が、荷を降ろしハーライルへ帰る馬車に同行し、恐ろしい勢いでやってきたのは、さぞや目立っただろう。

恐ろしかったのは勢いだけではない。

その表情を全て削ぎ落としたような顔。

眉間のシワも食いしばった唇の引きつりもないというのに、彼の纏う雰囲気は得体のしれないものを秘めていた。


司祭というよりもこれから死地に向かうであろう冒険者に似ていた彼を咎める者がいなかったのは、ひとえにディーンの探す相手が一人で居たからに相違なかった。


ディーンの身体の動きを封じ、妻の遺品が隠された部屋に押し込めた修道女。

逃亡のために急遽ねじこんだ予定変更だったのだろう。

忙しなく駆ける他の者達と違い、その修道女だけは路の端でぽつりと所在なさげにしていた。


だからこそ。

自分がされたように、人気のない路地裏へと引きずり込むのは容易だったのだ。


「う、あっ」


壁に押しつけたことで、修道女の喉からうめき声が放たれる。

手加減のない男の腕力によるものだ。

歪んだヘーゼルブラウンの瞳は苦痛を浮かべていた。


「あの部屋はなんだ」


だが、今のディーンにそんなことは関係ない。

知りたかった。

彼女に一体何があったのか。


「仮眠室は別にある。懺悔をする場所でもない、長い間教会に通っていてあんな部屋は見た覚えもない。あの部屋は何に使われていた?」

「……か、はっ」


立ち並ぶ石壁の隙間から射し込む光は、覆いかぶさるように詰め寄るディーンにのみ降り注ぐ。

後頭部に熱がたまり、ただただ不快だった。

やがてなかなか言葉を発さない修道女の唇から涎が垂れていることに気づき、ディーンはようやく力を込めていた拳を開く。


「答えろ」

「ひゅ、けほ、あ、あそこは、紹介してもらったのです。自分の許可がなければ入れない、神の目も届かぬあそこなら己の心の内を解放しても許される、と」


咳き込みながらも急いで告げた修道女の答えに、新たな怒りがディーンの中で煮えくり返る。

女神エリスを侮辱するにも程がある。

よりにもよって大聖堂の中で、なんという冒涜的な行為を。


握り拳に血管が浮かび上がり、修道着の襟がみちみちと音を立てて裂け始めた。

修道女が、引きつった悲鳴を上げる。


「許可とは、誰の? 誰に紹介してもらったのだ」

「は、」


一瞬、ヘーゼルブラウンの瞳は揺れた。

しかし、ディーンと目を合わせた瞬間、躊躇いもすぐに霧散する。

答えを呟くのは、早かった。


「フェリックス司教、です」


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