2.僧侶編-5
しかし翌日、その言葉が本当の意味で果たされることはなかった。
「父様に『連絡の一つくらい入れなさい』とお小言をいただきました」
半泣きのビリーから、予定の変更という連絡を受けたからである。
曰く。
条件付きで両親の付き添いなしの観光に訪れたビリーだったが、その条件には従者を連れて行くことの他に『逐一無事を知らせること』も含まれていたらしい。
「……で、連絡をとっていなかったと」
「夜でいいや、明日お手紙書こう、ってずるずる引き延ばしていたらこんなことに」
「それはご両親も心配するよ」
一応従者から報告は送っていたものの、約束であるビリーからの直接の便りがなかったせいで不安になってしまったらしい。
公になれば迫害されかねない体質の子供である。
なにか行動を起こそうとするのもやむなし、と事情を知るディーンは深く頷いた。
「今日は時間ができたから少しだけ顔を見に来る、と知らせが届いたので、お出迎えをしなくちゃならないんです」
孤児院の子とも遊ぶ約束をしていたのになぁ、と唇を尖らせる様は本当に悔しそうだ。
子供らしい仕草に、ディーンも苦笑を漏らす。
「そういう事情なら、仕方ないよ。子供達には私から言っておくから、お父様達を安心させておあげ」
「はぁい。あ、ディーンさんと傷のことはごまかしときますから!」
教会という、迫害する側の関係者。
大量の従者を幼い息子に付き従わせる財力。
ディーンと両親が関わるとすごく厄介なことになりそうなことを、ビリーはしっかり理解していた。
早朝に謝罪にだけきたビリーはそう言い残すと、時間が迫っていると慌ただしく去っていってしまった。
残されたのは、子供に気を遣われてなんとも情けない気持ちになっているディーンだけである。
さてどうしようかと、持て余したのは手に収まったままの書籍たちだ。
ビリーが喜ぶかと思い、大聖堂の資料室から勇者に関するものを借りてきたものの、肝心の本人がいなくなってしまった。
他にも連れて行ったら喜ぶだろうか、といくつか調べていた勇者関連の場所が頭の中で宙ぶらりんになっている。
「随分絆されちゃったな」
改めて紙束の重みを感じながら、ディーンは苦笑した。
妻がなくなってから機械的な生活を送っていたというのに、振り回されつつもビリーに勇者のことを教える日々は充実していたのだ。
「失くしても困るし、一旦返してこよう」
書籍を腕に抱えたまま、ディーンは大聖堂へと踵を返す。
向かうのは資料室、そして事務室だ。
ビリーが今日再びやってくるかはわからないが、それまでに雑務を片づけておいた方がよいだろう、と判断してのことだ。
それを止めたのは、一本の細い腕だった。
今日はどうも思った通りにいかない。
ディーンは少しばかり辟易した表情を隠さなかった。
修道女が振り返る直前に慌てて取り繕ったが。
ディーンを引き止め、大聖堂のとある一室に引き込んだのは彼女だ。
孤児院で保母の役割も担う彼女の顔は、ディーンもよく知っている。
控えめで言葉少なながらも、仕事を真面目に取り組む好ましい人物だった。
逆に言えば、それ以外で関わりがない、ともいう。
故に、ディーンは分からなかった。
なぜ急に彼女に引き止められたのか。
「申し訳ございません、乱暴なことをいたしました」
「いえ……」
返事もおざなりに、ディーンは自分の今いる空間を見回す。
初めて足を踏み入れた部屋だった。
内装に窓やタペストリーなどはなく、簡素なベッドと机、そして修道女が掛けた天井のランプのみ。
仄暗い灯りが照らす壁は、妙に頑丈そうな印象だ。
何事か禁を破ってしまった者が入れられる独房と説明されれば、納得してしまいそうな有様に、ディーンの中で不安と緊張が高まっていく。
「安心してください、なにも危害を加えるためにお呼びしたわけではありませんわ」
「ああ、すみません、疑うつもりは。ここに来たのは初めてで、緊張しております」
「まあ」
唇だけで囁いた彼女の言葉の続きを聞き取れず、ディーンはなんの用途の部屋なのかという質問を呑み込んだ。
落ち着かなさがそうさせているのか、こころなしか嫌な臭いすら漂っている気すらしていた。
「最近、ディーン様は元気そうですね」
事前に用意していたのか、差し出されたお茶から湯気は立っていない。
それでも鼻腔に入ってくる香りは本物で、ありがたさすら感じながら受け取った。
椅子がないからと、やたら大きなベッドに腰掛けさせられたディーンからは、作業をしている彼女の顔は伺えない。
陶器の擦れる音だけが、大きく響く。
「あの観光に来たという子のおかげかしら」
「あちこち連れ回されているから、活動時間は前よりも増えましたね」
カップの縁に口をつける。
飲み慣れない味がした。
「理由がなんであれ、ディーン様が元気になってくれて良かった。子供たちも気にかけていたのですよ」
「それは、ご心配をおかけして」
「教会の者も、野菜を届けてくれる農夫の方も。みな、心配しておりました」
様子を確かめるために呼んだのだろうか?
と、部屋に呼ばれた理由を想像すると同時に、ディーンは思っていたよりも大勢に見守られていたことに気づく。
妻の死から、己の視野も狭くなっていたようだ。
反省がお茶の温かさと共に喉を滑り降りていく。
「私も」
「え?」
「私も、ずっと心配しておりました」
音が止む。
顔を上げると、修道女の顔が真正面にあった。
「それは、ありがとうございます」
予想外の近さに内心驚きつつ、ディーンはこういった時に一般的であろうお礼の言葉を口にした。
しかしそれは相当な喜びを修道女に与えたようだ。
ヘーゼルブラウンの瞳が、弧の形に歪む。
「そうでしょ、そうでしょう! やはりディーン様は私のことをよく見ていてくださる!」
「ん?」
「あの時もそうでしたわ、貴方は『掃除の仕方が丁寧ですね』と。誰にも褒められたことがなかったのに」
話の進み方に違和を感じ、ディーンの浮かべていた笑みが引きつる。
「そんなにも想っていてくださるのに、貴方は別の方と一緒になってしまった。なんて気の多い方なのでしょう」
「あの、」
いよいよ異様になってきた修道女の台詞に、ディーンはひとまず落ち着かせるべきかと手に持っていたカップを避難させようとした。
しかし、ない。
温かだったそれは、いつのまにか彼女の手によって机の方へと抜きとられていた。
「なんの話をしているのですか」
「私と貴方のことですわ。誠実な貴方は不貞を許さないでしょう。現に、こんなにもアプローチしていたのに手も触れてくださらなかった。罪な御方」
この修道女とディーンは、確かに孤児院の業務を共にしていたという接点はある。
だが、それだけだ。
私的な雑談をしたことすらない。
「でも、もういいですよね?」
じわじわと近づいてくるヘーゼルブラウンが、湿り気を帯びる。
「もう貴方は一人なのだから、私が好きにしていいですよね?」
支離滅裂な言動とはこういうことか、とディーンの背中に怖気が走った。
「もうしわけないが、あなたがなにを言っているのか、……?!」
相手が女性であるがゆえに力任せの解決をためらっていたディーンだったが、我慢するべきではなかったと、後悔に顔をしかめる。
体が動かない。
手足の末端が痺れて、少しの力も入らなかった。
「さっきの、おちゃ、」
「奥ゆかしい貴方。きっと私がいつものようにアプローチしても、応えてくれないのはわかっておりました。だから、これは仕方のないことなのです。私にこうさせた貴方が悪いのですよ?」
ディーンの顔から、血の気が引いていく。
修道着の襟に手をかけられ、本当に洒落にならない、と抵抗するも身を捩る程度しかできない。
「さ、自分を解き放ってくださいませ。悪いようにはいたしませんから……」
鎖骨の下を軽く押され、ベッドに腰掛けていた体は簡単に倒れ込む。
シーツに沈むディーンは、海に投げ込まれた妻を思い出していた。
暗転。




