2.僧侶編-3
「ああ、そういえば肝心なことをまだしていなかったね。自己紹介といこう。私はディーンという。君は?」
「ビリーといいます。よろしくお願いします」
「……ここかい?」
「はい、ここです」
幸いなことに、ビリーは自分が宿泊する宿の場所を覚えており、そして日が完全に沈む前に送り届けることはできた。
ちょっぴり唇の引きつったディーンが知る限り、この町一番の高級宿のはずである。
「ビリー様」
そして転がるように飛び出てきた従者の身なりも、それ相応のものだった。
ここでディーンは、ビリーが自分の予想より相当格式高い生まれであることを察したのだった。
「ありがとうございます、なんとお礼を述べたらよいか」
「いえ、大したことはしていないので……」
「ちょうど旦那様の言いつけで人が出払っておりまして、捜索に難航しているところでした。手ぶらで返せば我々が旦那様に叱られてしまいます」
「そう言われましても」
「せめてここまでの手間賃だけでも」
「いえいえいえ」
ほとんど直角に背を曲げて感謝の意を表す従者に、ディーンは冷や汗を流しながら物品等のお礼を固辞した。
ビリーを送る道中、二人でこっそりと決めたことがある。
回復術を使ったことは伏せよう、と。
自分の体質のせいで、身内は教会関係者に良い感情を向けていない。
しかし、回復術を使用していない、つまり体質のことを知らない司教に、そうあからさまな態度は見せないだろう、とはビリー本人の主張だ。
そんな不誠実なことがあるものか、自分の確認不足で怪我を悪化させてしまったのだからせめて正直に話して謝罪をせねば。
と、ディーンは思っていた。
宿に辿り着くまでは。
豪華絢爛な調度品、子供一人だけのために用意された壁いっぱいに並ぶ大勢の使用人。
明らかに庶民とは生活のレベルが違う。
ディーンは真実を伏せることを胸の内で女神エリスに懺悔した。
同時に、聞いていなかったビリーの苗字を追及することも止めた。
ここで五大貴族辺りの名でも出されれば、大聖堂そのものを巻き込んだ大騒動になりかねない。
最終的に自宅まで送ると言い出した従者の申し出をなんとか断って、一人帰路へ着いた頃には夜もとっぷりと更けていた。
大きな町であるとはいえ、暗闇には危険も潜む。
丁度警備隊の巡回と鉢合わせたため、これ幸いと同行させてもらった。
カンテラの光が差し込まない路地の奥。
なにを言っているか聞き取れない下品な笑い声、小さな悲鳴。
かすかに聞こえたかもしれないそれ目掛けて警備隊の数名が駆けていくのを、ディーンは落ち窪んだ目で見つめていた。
こうして、少しばかり非日常を体験したディーンの一日は終わったのであった。
それだけで終われば、少し不思議な出来事だったなあ、で済んだはずだ。
あの子は元気にしているだろうか、などと時折思い返しながら、無味無臭の、砂を噛んだような生活に戻っていたに違いない。
ディーンはそうならなかったことを、目の前の光景で悟った。
「こんにちは、司教様」
ぺか、と輝かんばかりの元気な顔を見せるビリーに、ディーンはワインと間違えて酢を口いっぱいに含んでしまった時のことを思い出していた。
「こんにちは、ビリー。……どうしてここにいるのかな……」
「グロウベルにしばらく滞在するからですね。言ってませんでしたっけ?」
そういえばそうだった、とディーンは昨日見た情報を思い出していた。
大量の従者と高級宿を確保しているならば、日帰りで帰るはずもない。
「教会に来たのは、どうして?」
「道案内をしてもらうために。地元の方に聞いた方が確実でしょう?」
ディーンさんなら、安心できますから!
整った顔立ちの少年が浮かべる笑みはあまりに無垢で、聖堂に飾られている絵の天使に似ていた。
膝からいまだ覗く包帯、そしてビリーの後ろに控える従者を伺い見て、ディーンは結論を出した。
拒否権は、ない、と。
浮かべた笑顔は子供のものとは対照的に、哀愁の漂うものだったという。
勇者とは。
かつて魔物と人間が停戦条約を結ぶ以前に、存在していた人間のことだ。
国の率いる軍隊とは違い、異なる役割を担った専門家達の少数精鋭で魔物の国へ潜り込み、作戦を遂行した。
魔物の王、すなわち『魔王』を倒したのである。
この作戦は魔物側へ少なからず打撃を与え、今日の停戦に至るまでの道筋を作ったと言われている。
それ以降、『勇者』とは勇敢である者、現状を打破する力を持つ力を持つ者。
世界を救う使命を果たす者。
あるいは、魔王を倒す者。
そういった意味を持つ称号となった。
そんな勇者が生まれ育った町。
それが、このグロウベルだ。
本人こそ既にこの世を去っているものの、金の香りが大好きな者達はこういった機会を逃さない。
数十年前には小さな田舎町だったここは一躍立派な観光地と化し、勇者を導いた女神エリスを祀る教会として、大聖堂も昔よりも二倍の大きさになったという。
そして、商売人の目論見通り、観光にやってきた少年こそが、ビリーだ。
伝え聞いている物語をわかりやすく簡単な言葉で語ってやれば、途端に目を輝かせていた。
「勇者は女神エリスに導かれてこのような波乱万丈な人生を送ることになったのですね。興味深いです!」
「うん、……難しい言葉をよく知っているね」
この女神エリスが導いたという下り、実はかなり信憑性に欠ける。
登場があまりにも唐突な上、好き勝手神託を下した後はほとんど出番もない。
教会が勇者の作り出すカリスマ性と金というおこぼれに預かるためにむりやり女神と接点を作った、というのが有力な説の一つである。
しかしそのような現実、勇者に憧れてわざわざこの地にまで足を運んでいた子供に告げる必要もない。
ディーンははしゃぎ倒すビリーの横を歩きながら、生暖かい微笑みを浮かべるのであった。
勇者が生まれ育ったとされている生家。
実際に鍛錬を行ったという広場に、展示されている練習用の木剣。
本来の仕事ではないとは言え、人に話しかけられやすい職業と見た目だ。
何度か行ったことのある場所まで案内し、勇者に関する説明を軽くしてやれば、ビリーは大層お気に召したようだ。
次の日も、その次の日もビリーはやってきた。
ねだられるままに案内を続けていれば、数日はあっという間だった。
さほど離れていない後ろをついてくる従者達からの圧に押されつつ、ディーンはふと、元より垂れた眦を更に緩める。
穏やかな時間だった。
振り回されてはいたが、感情の出し方が分からなくなりつつあったディーンにとって、賢くも無邪気な少年と過ごした日々は良い刺激となっていた。
だからこそ、油断していたのだろうか。
本音は不意にこぼれていく。
「あの倉庫群を抜ければ、埠頭があるのでしたっけ? 僕、海も見てみたいです」
「いけないよ、ビリー」
元より海沿いの町だ。
ここに足を踏み入れた時から漂っている潮の香りに、興味は募っていたのだろう。
しかし、わくわくと踏み出し始めたビリーの足に、待ったを掛けるものがいた。
ディーンだ。
「そちらには悪い人たちも多い、行くのは危険だ」
この数日、ディーンは同じようなことを何度も口にしていた。
その道は街灯が少ないから夜に歩いてはいけない、とか。
最近事故が起こったので別の道を歩こう、とか。
どれもビリーの安全を考えて放たれた発言だ。
従者も含めて誰も反対意見はなかったので、それまでずっと従っていた。
当然、ビリーにも否はなかった。
なので彼が口を開いた理由は、単純な疑問であった。
「ディーンは、悪い人たちが嫌いですか?」
突然の質問に、わずかに皺の刻まれた目尻がぴくりと動く。
しかし、ディーンは小首を傾げながら、なんでもないことのように答えを返した。




