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深夜のコンビニで「死にそうな美女」に豚汁を奢ったら、翌日会社で鬼上司がチラチラ見てくる件  作者: U3
第1章:深夜の密会と餌付け

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9/12

第9話 物流の暴れ馬

 中堅商社における「営業」と「物流」の関係は、時として冷戦状態に例えられる。

 無理な納期で受注してくる営業と、物理的な限界と戦う物流。

 その最前線である湾岸エリアの巨大倉庫に、俺――橋本一郎は立っていた。


「だーかーら! 100ケース明日着とか、物理法則無視してんじゃないわよ営業部ゥ!」


 天井の高い倉庫内に、ドスの効いた怒号が響き渡る。

 声の主は、ヘルメットを目深に被り、作業着の袖を捲り上げた若い女性だ。

 前田奈緒美。24歳。

 営業二課の石井ミチルとは同期だが、雰囲気は正反対だ。身長175センチの長身に、健康的でグラマラスな体型。そして何より、屈強なトラック運転手たちを怒鳴り散らして従わせる、その度胸。

 通称、「物流のジャンヌ・ダルク」。


「まあまあ、前田さん。そこをなんとかじっちゃんの名にかけて……じゃなくて、プロの技で」


「あ、橋本先輩! 来てくれたんすか!」


 俺の姿を見つけるなり、彼女はパッと表情を明るくして駆け寄ってきた。

 そして、俺の二の腕をバシッと叩く。いい音が出た。


「先輩が頭下げに来たんなら、やるしかないっすね! ……ていうか、今日もいい筋肉してますねぇ。スーツの上からでも分かりますよ、その上腕三頭筋のハリ!」


「……セクハラだぞ」


「褒め言葉っすよ! あーあ、先輩みたいなガタイの良い人が現場にいてくれたら、作業効率3倍になるのに。なんで営業なんかでくすぶってるんすか?」


 彼女は俺の腕を無遠慮に触りながら、本気で残念そうに言う。

 俺が学生時代にアメフトと柔道をやっていたことは隠しているが、彼女のような「フィジカル強者」には、同類の匂いが分かるらしい。

 ある意味、李課長や山下課長よりも警戒すべき相手だ。


「営業も体力勝負だからな。……で、この緊急出荷、いけるか?」


「任せてくださいよ。……おら野郎ども! 橋本先輩の顔に免じて、昼飯抜きで回すぞ!」


「「「ういーっす!!」」」


 彼女の号令一下、フォークリフトが一斉に動き出す。

 豪快で、荒っぽくて、でも頼りになる。

 俺は苦笑いしながら、缶コーヒーを差し入れに置いて倉庫を後にした。


 ……まさか、その日の夜に、この「野生児」と最悪の形で再会することになるとは知らずに。


 その夜、23時30分。

 俺は少し早めにいつものコンビニへ向かった。

 明日は休みだ。多少の夜更かしも許されるだろう。

 

 店に入ると、レジには長谷川が立っていた。

 彼女は俺を見るなり、小さく敬礼のような仕草をする。


 「異常なし」の合図か、それとも「獲物がいますよ」の合図か。


 その答えは、酒類コーナーにあった。


「……うぅ。なんで……なんでハイボールの500缶が売り切れてるのよぉ……」


 冷蔵ケースのガラス戸に額を押し付けて嘆いている、グレーのパーカー姿の女性。

 山下恭子課長だ。

 またしても部屋着。しかも今日は、パーカーのフードを被っていない。無防備にも程がある。


「こんばんは」


 俺が声をかけると、彼女はのっそりと振り返った。

 ノーメイクの顔はほんのり赤く、目が潤んでいる。……すでに飲んでいるのか。


「あ、ドラえもん……。聞いてよ、この店、品揃えが悪すぎるわ。私のガソリンがないの」


「ガソリン?」


「ストロング系ハイボールよ! 今日はあの鉄仮面に正論でボコボコにされたから、記憶を飛ばさないとやってられないの!」


 彼女は地団駄を踏んだ。

 スリッパがペタペタと鳴る。

 どうやら今日の「炎の女王」は、完全に鎮火して焼け野原になっているらしい。


「350缶ならありますよ。二本買えばいい」


「量が同じでも、缶を開ける手間が二倍になるじゃない! 私は今、一秒でも早くアルコールを摂取したいの!」


 駄々っ子だ。

 会社では「情熱的なリーダー」として部下を引っ張っている彼女が、プライベートではここまで自堕落になれるものなのか。

 俺は呆れつつも、どこか放っておけない気持ちになる。


「……分かりました。付き合いますよ」


「え?」


「今日は俺も、少し飲みたい気分なんです。……外の空気を吸いながら、どうですか?」


 俺が提案すると、山下はキョトンとして、それからパァッと花が咲くように笑った。


「ドラえもんとの晩酌? ……いいわね、最高! 愚痴、全部聞いてよね!」


 コンビニで酒とつまみを買い込み、俺たちは近くの公園へと移動した。

 先週、李雪とアフォガートを食べたのと同じベンチだ。

 だが、今日の雰囲気は全く違う。


 プシュッ!

 静寂な住宅街に、缶を開ける音が小気味よく響く。


「かんぱーい!」


「乾杯」


 俺たちは缶をぶつけ合った。

 山下は350缶のハイボールを、俺はノンアルコールビールを。

 彼女はゴクゴクと喉を鳴らして飲み干し、「ぷはーっ!」と豪快に息を吐いた。


「生き返るぅ……! やっぱり、仕事の後のこれは裏切らないわね!」


「おつまみもどうぞ。『スパイシーチキン』と『枝豆』です」


「分かってるぅ! さすがドラえもん、私の好みを完璧に把握してる!」


 彼女はチキンにかぶりつき、脂で光る唇を舌で舐めた。

 街灯に照らされたその仕草は、無自覚に色っぽい。

 李雪の時のような「背徳的な静けさ」はないが、この「飾らない隣人感」も悪くない。


「ねえ、ドラえもん」


「はい」


「貴方、何してる人なの? 毎日こんな時間にコンビニにいて、暇人?」


「……まあ、似たようなものです。昼間はしがない会社員ですよ」


「ふーん。……どんな会社?」


「……言えませんね。守秘義務がありますから」


 俺がはぐらかすと、彼女はつまらなそうに唇を尖らせた。

 そして、ベンチの上で膝を抱え、俺の方に体を預けてきた。

 柔らかい感触と、お酒の甘い匂い。


「……私の会社にはね、すごいムカつく同期がいるの」


「同期?」


「そう。美人で、仕事ができて、いっつも涼しい顔してて……私がどんなに熱くなっても、氷みたいに冷たくあしらってくるの。悔しいくらい完璧なのよ」


 李雪のことだ。

 俺は黙って耳を傾ける。


「でもね……時々、すごく寂しそうな顔をするの。誰も見てないところで、ふっと糸が切れたみたいに」


 山下は自分の膝に顎を乗せて、夜空を見上げた。


「だから私、つい突っかかっちゃうのよね。熱量ぶつけて、あの鉄仮面を溶かしてやりたいって。……まあ、返り討ちに遭うんだけどさ」


 彼女は自嘲気味に笑った。

 その言葉に、俺は胸を突かれた思いがした。

 彼女たちは「天敵」同士だと思っていた。だが、山下は山下なりに、李雪のことを深く見て、理解しようとしているのだ。

 不器用なライバル関係。

 その中心にいる部下としては、胃が痛いと同時に、少し温かい気持ちにもなる。


「……いい関係ですね」


「はあ? どこがよ! 毎日戦争よ!」


「それでも、貴方は彼女のことを認めている。……素敵なことだと思いますよ」


 俺が言うと、山下は顔を真っ赤にして、「ば、バカ言わないでよ!」と俺の肩をバンと叩いた。

 照れ隠しの暴力。

 その拍子に、彼女のバランスが崩れ、俺の胸元に倒れ込んできた。


「わっ……」


「っと」


 俺はとっさに彼女の肩を支えた。

 至近距離で見つめ合う形になる。

 彼女の大きな瞳が、揺れている。


「……ドラえもん」


「はい」


「……貴方、やっぱり落ち着くわね。なんかこう……クマさんみたいで」


 彼女の手が、俺の胸板に触れる。

 まずい。

 この筋肉の感触は、会社での俺とリンクしてしまう可能性がある。

 俺が身を引こうとした、その時だった。


「うわっ、いったぁ〜!!」


 公園の入り口付近で、盛大な衝突音と悲鳴が上がった。

 俺と山下は弾かれたように離れ、声の方を見た。


 街灯の下。

 何もない平坦なアスファルトの上で、一人の女性が四つん這いになっていた。

 脱ぎ捨てられたサンダル。転がったコンビニ袋からは、ストロング缶が散乱している。

 タンクトップにデニムのショートパンツという、露出度高めのラフな格好。

 茶髪のロングヘアが顔にかかっているが、その豪快な転び方には見覚えがありすぎた。


「……前田?」


 俺は思わず呟いてしまった。

 昼間、倉庫で会った「物流のジャンヌ・ダルク」、前田奈緒美だ。

 彼女は「いった〜……重力仕事しろよマジで……」とブツブツ言いながら、よろよろと立ち上がろうとしている。

 足元がおぼつかない。かなり酔っ払っているようだ。


「知り合い?」


「い、いえ! 知りません!」


 俺は慌てて否定し、パーカーのフードを目深に被った。

 山下がここにいるのもマズいが、前田に見つかるのはもっとマズい。

 彼女の野生の勘は、俺の変装など容易く見破るだろう。


「大丈夫ですかー?」


 山下が声をかけて近づこうとする。

 俺は止める間もなく、その後ろ姿を見守るしかなかった。


「あ、大丈夫っす……あざっす……」


 前田は顔を上げ、山下を見て、そしてその後ろにいる俺を見た。

 街灯の逆光で、俺の顔は影になっているはずだ。

 だが、前田の目が、俺のシルエットを捉えた瞬間、鋭く細められた。


「……ん?」


 彼女はふらつく足取りで、真っ直ぐに俺の方へ歩いてくる。

 そして、俺の目の前で立ち止まり、ジロジロと体を舐め回すように見た。


「……このデカさ。この胸板の厚み」


 彼女の手が伸びてくる。

 避けられない。

 彼女の手のひらが、俺の大胸筋をガシッと掴んだ。


「……間違いない。この極上の筋肉」


 彼女はニヤリと笑い、俺の顔を覗き込んだ。


「――橋本先輩、っすよね?」


 心臓が止まるかと思った。

 隣で山下が「え? 橋本?」と首を傾げている。

 絶体絶命だ。

 ここで正体がバレれば、山下の夢を壊し、さらに翌日の会社で「橋本先輩、夜の公園で山下課長とイチャついてましたよ」なんて噂が広まる。

 社会的な死だ。


「……人違いだ」


 俺は低音ボイスで否定した。

 だが、前田は引かない。


「いやいや、無理っすよ。私、人の顔は忘れても、筋肉の質は忘れないんで」


「筋肉で人を判別するな」


「あ、認めた」


 しまっ――。

 俺は口元を押さえたが、もう遅い。

 前田は勝ち誇った顔で、そして山下の方をチラリと見た。


「……へぇ。隣にいるの、一課の山下課長っすよね? ……なるほど、そういうことっすか」


 彼女は何かを察したように、ニタニタと笑い出した。

 誤解だ。いや、ある意味正しいが、誤解だ。


「前田。……取引しよう」


 俺は覚悟を決めて、小声で囁いた。


「口止め料だ。……あのコンビニの『Lチキ』、全種類奢る」


「レッドとチーズも?」


「ああ。ストロング缶も付ける」


「……交渉成立っす!」


 前田は即答し、ビシッと敬礼した。

 安い。安すぎるが、助かった。


「え、何? どういうこと?」


 状況が飲み込めない山下が、キョロキョロしている。

 前田は山下に向き直り、爽やかな笑顔で言った。


「すみませーん! 私の勘違いでした! よく似た『ゴリラ』を知ってたもんで!」


「ゴ、ゴリラ……?」


「じゃ、お邪魔虫は退散しまーす! お兄さん、あとで『約束』頼みますよ!」


 前田は俺にウインクを投げ、千鳥足で公園を出て行った。

 俺はその背中に向かって、深く安堵の息を吐いた。


 ……危なかった。本当に危なかった。


 やはり、「物流の暴れ馬」は伊達じゃない。


「……何だったの、今の」


「酔っ払いですよ。……さあ、俺たちも帰りましょうか」


 俺は強引に話を打ち切り、山下を促した。

 これ以上ここにいると、また誰かが通りかかるかもしれない。

 深夜の公園は、もはや安全地帯ではないのだ。


 帰り道。

 山下は「ドラえもんって、ゴリラに似てるのかしら……」と真剣に悩んでいた。

 俺は何も言わず、ただ夜風に吹かれて火照った顔を冷やした。


 李雪、山下、ミチル、フェルナンダ。そして前田奈緒美。

 俺の「深夜の聖域」を取り巻くメンバーが、着実に、そしてカオスに増えている。

 これはもはや、コンシェルジュというより、猛獣使いの仕事になりつつあるのではないだろうか。



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