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深夜のコンビニで「死にそうな美女」に豚汁を奢ったら、翌日会社で鬼上司がチラチラ見てくる件  作者: U3
第4章 公私混同の同棲生活

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第36話 レオの散歩とご近所さん

 休日の昼下がり。

 秋の涼やかな風が吹き抜ける、表参道の裏通り。

 俺は、お洒落なスペインバルのオープンテラス席で、目の前の「太陽」のような女性に圧倒されていた。


Osoオソ! 遅いじゃない! 私の貴重な休日を何だと思ってるの?」


 不満げに唇を尖らせながらも、その顔には満面の笑みが浮かんでいる。

 スペイン発のアパレルブランド『SOL』のマーケティング担当、カルメン・ベガだ。

 彼女は背中が大きく開いたテラコッタ色のワンピースを着こなし、昼間から赤いサングリアのグラスを傾けていた。


「急に呼び出さないでくださいよ、カルメンさん。俺にも休日の予定というものが……」


「いいじゃない! 最高のタパスを見つけたから、Osoの意見がどうしても聞きたかったの! ほら、座って座って!」


 俺が席に着くや否や、テーブルの上には色鮮やかな小皿料理が次々と運ばれてきた。

 オリーブオイルとニンニクの香りが食欲を刺激する。


「まずはこれよ。タコのガリシア風。食べてみて!」


 俺は勧められるままに、一口大に切られた茹でダコをフォークで刺し、口に運んだ。

 柔らかく煮込まれたタコに、上質なオリーブオイルとパプリカパウダーの風味が絡みつく。岩塩のジャリッとした食感が、タコの甘みを極限まで引き出している。


「……美味い。茹で加減が絶妙ですね。パプリカの香りもすごくいい」


「でしょう!? さすがOso、分かってるわね! ここのシェフ、私の地元の味を完璧に再現してるのよ!」


 カルメンは嬉しそうに身を乗り出し、俺の肩をバンバンと叩いた。

 相変わらずパーソナルスペースが狭い。

 周囲の客たちが、グラマラスな外国人美女と楽しそうに食事をしている俺に、好奇の視線を向けているのを感じる。


「……で、本当の用件は何ですか?」


 俺がマッシュルームのアヒージョをつまみながら尋ねると、カルメンはグラスを置いて、ニヤリと悪戯っぽく笑った。


「用件? ただのデートの誘いじゃ不満かしら?」


「俺には、手のかかる『飼い主』がいますから」


「あはは! Lee-san(李さん)のことね。……相変わらず、Osoは彼女に一途なんだから」


 カルメンは面白そうに目を細めた。

 以前、夜の公園で俺たちが一緒にいるところを彼女に目撃されて以来、カルメンはすっかり俺たちの「秘密」を楽しんでいる節がある。


「あの日、私からOsoを奪い返した『メスライオン』。……元気してる?」


「ええ。相変わらず仕事の鬼ですが、元気にやってますよ」


「そう。Osoの料理で、しっかり餌付けされてるみたいね」


 カルメンは生ハムを上品に口に運びながら、少しだけ真剣なトーンになった。


「……Osoは魅力的よ。優しくて、料理が上手で、いざという時は頼りになる。スペインに連れて帰りたいくらい。……Lee-sanが油断してたら、本当に私が奪っちゃうかもしれないわよ?」


 彼女の大きな瞳が、挑発的に俺を捉える。

 ラテンの情熱。

 もし俺がただの独身男なら、この誘惑に抗うのは難しかっただろう。


「……光栄ですが、俺の胃袋とスケジュールは、すでに予約でいっぱいです」


 俺が苦笑して答えると、カルメンは「Oh, 残念!」と大げさに肩をすくめた。


「まあいいわ。私は気長に待つタイプだから。……さ、冷めないうちにアヒージョを平らげましょ!」


 太陽のように明るい彼女とのランチは、仕事の疲れを吹き飛ばしてくれる活力に満ちていた。

 俺たちは美味しいタパスを味わいながら、他愛のない会話を楽しんだ。


 夕方。

 カルメンと別れた俺は、少し急ぎ足で李雪の住む高級マンションへと向かった。

 あの日、彼女から渡された合鍵。

 ポケットの中のその金属の重みが、俺の歩幅を自然と大きくさせる。


 エントランスを抜け、エレベーターで最上階へ。

 カチャリ、と鍵を開けて中に入る。


「……お邪魔します」


 静かな声で告げると、リビングの奥から「タタタタッ!」と爪がフローリングを叩く音が近づいてきた。


「ワンッ!」


 豆柴のレオだ。

 成長期の真っ只中にある彼は、体つきもすっかり柴犬らしくなり、日ごとに力強さを増している。

 彼は俺の足元に飛びつき、千切れんばかりに尻尾を振って歓迎してくれた。


「ただいま、レオ。いい子にしてたか?」


 俺が屈み込んで頭を撫でてやると、レオは嬉しそうに俺の顔を舐め回した。

 その背後から、気だるげな声が降ってくる。


「……おかえりなさい、師匠。随分と遅かったじゃない」


 ソファの上に、膝を抱えて座る李雪の姿があった。

 今日は薄手のグレーのニットに、黒のレギンスというリラックスした部屋着姿だ。

 髪は無造作なお団子にまとめられている。


「すみません。少し、知人に捕まってしまって」


「……知人ね。随分と甘い柑橘系の香水を漂わせてる知人だこと」


 彼女は鼻をひくつかせ、ジト目で俺を睨んだ。

 さすがの嗅覚だ。カルメンと隣の席で食事をしていた時の香りが、俺の服に移っていたらしい。


「表参道で、カルメンさんにランチに付き合わされたんです。タパスの味見役として」


「……ふーん。あの太陽女と」


 李雪は不機嫌そうに唇を尖らせ、クッションを抱きしめた。


「休日の昼間からデートなんて、随分と優雅ね。私なんて、たまった書類のチェックをしてたっていうのに」


「デートじゃありませんよ。ただのランチです。……それに、俺が本当に一緒に食事をしたいのは、貴方だけですから」


 俺がなだめるように言うと、彼女は「……口だけは上手いんだから」と顔を赤らめてそっぽを向いた。

 先日のエレベーターでの「充電」以来、彼女は以前にも増して、俺に対する独占欲を隠さなくなってきた気がする。

 その変化が、俺にはたまらなく愛おしかった。


「さて、レオの散歩に行きましょうか。秋の風が気持ちいいですよ」


 俺が提案すると、李雪は小さく頷き、立ち上がった。


「……そうね。私もずっと部屋にこもってたから、外の空気が吸いたいわ」


 彼女はクローゼットを開け、着替え始めた。

 数分後、現れた彼女の姿に、俺は目を丸くした。

 ダボッとしたオーバーサイズのマウンテンパーカーに、ゆったりとしたボーイフレンドデニム。

 頭にはキャップを深く被り、黒縁の伊達メガネをかけている。

 まるで、スケートボードでも乗り回しそうなストリート系の若者のようだ。


「……随分と、思い切った変装ですね」


「休日に会社の人に見つかると面倒でしょ。これなら、ただの近所の若者に見えるはずよ」


 彼女は得意げにキャップのつばを直した。

 確かに、会社での「氷の女帝」の面影は微塵もない。

 だが、その小柄な体型と隠しきれない顔の小ささが、逆に目立っているような気もした。


「じゃあ、行きましょうか」


 俺たちはレオにリードをつけ、秋の夕暮れが迫る街へと歩き出した。


 近くの大きな公園は、休日を楽しむ家族連れや犬の散歩をする人々で賑わっていた。

 レオは久しぶりの広い公園に大興奮だ。


「ふんふん! ふんっ!」


 彼は鼻先を地面に擦りつけるようにして、熱心に『クン活』に勤しんでいる。

 落ち葉の匂い、他の犬の残り香。

 すべての情報が新鮮なのだろう。短い尻尾をピンと立てて、右へ左へと忙しなく動き回る。


「こら、レオ。あんまり引っ張るな」


 俺がリードを引くと、レオは「ちぇっ」という顔をして立ち止まり、ブルブルッと体を震わせた。

 その隣で、李雪がクスクスと笑う。


「元気ねぇ。……なんだか、見ているだけで癒やされるわ」


 彼女のキャップの下の横顔は、とても穏やかだった。

 夕日が彼女の白い肌をオレンジ色に染めている。

 並んで歩く。ただそれだけのことなのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 だが、そんな平和な時間は、長くは続かなかった。


「あっ、橋本主任補佐!」


 不意に、前方から聞き覚えのある声が飛んできた。

 ビクッとして顔を上げると、そこにはスーパーのレジ袋を提げた若い男性が立っていた。

 営業二課の若手社員、高田だ。

 よく李課長に書類のミスを指摘されては涙目になっている、あの高田である。


(……しまった)


 俺は内心で舌打ちをした。

 高田の家がこの辺りだということは知っていたが、まさかこんなタイミングで遭遇するとは。


「高田か。奇遇だな、こんなところで」


 俺は努めて平静を装い、いつもの「冴えない先輩」のトーンで応えた。

 隣を歩いていた李雪は、高田の声を聞いた瞬間、サッと俺の背後に身を隠した。

 キャップをさらに深く被り、顔を完全に伏せている。


「ええ、近くのスーパーに買い物に来てまして。……あれ? そのワンちゃん、橋本さんのですか? めちゃくちゃ可愛いですね!」


 高田は人懐っこい笑顔で近づいてくると、しゃがみ込んでレオに手を伸ばした。

 レオは愛想よく尻尾を振り、高田の手をペロペロと舐めている。

 番犬としては完全に失格だが、今はその愛想の良さが少しだけ助かった。


「……ああ、最近飼い始めたんだ。やんちゃで手がかかるけどな」


「へえ〜、いいなぁ。……あれ?」


 高田が立ち上がり、俺の背後に隠れている小柄な人影に気づいた。

 彼の目が、好奇心に満ちて丸くなる。


「そちらは……? もしかして、橋本さんの彼女さんですか?」


 心臓が嫌な音を立てた。

 背中に隠れている李雪が、俺のパーカーの裾をギュッと強く握りしめるのを感じた。

 彼女も緊張しているのだ。


 ここで「彼女だ」と答えれば、明日には「橋本主任補佐にストリート系の小柄な彼女がいる」という噂が社内を駆け巡るだろう。

 それが巡り巡って、万が一にも李課長と結びつけられるようなことがあれば、彼女の立場が危うくなる。

 かといって「ただの友人」では、休日の夕方に犬の散歩を共にしている説明としては不自然だ。


 俺の脳が高速で回転し、一つの「設定」を弾き出した。


「……いや、妹だ」


「えっ?」


 高田が目を瞬かせる。

 俺の背中の李雪も、一瞬「は?」というように俺の服を引っ張った。


「ああ。最近、田舎から上京してきてな。俺が仕事で遅い時なんかは、こうして犬の散歩を手伝ってもらってるんだよ」


 俺はすらすらと嘘を並べ立てた。

 妹。

 これなら、一緒にいても不自然ではないし、変に詮索されることもない。


「へえ〜! 橋本さんに妹さんがいらっしゃったんですね!」


 高田は完全に信じ込んだようで、背後の李雪に向かってペコリと頭を下げた。


「はじめまして! いつもお兄さんには、会社で大変お世話になっております! 同じ営業二課の高田と申します!」


 李雪は顔を伏せたまま、無言で小さく会釈を返した。

 声を出せば、あの一度聞いたら忘れられない美声で一発アウトだ。


「人見知りなんだ。あまり詮索しないでやってくれ」


「あ、すみません! それじゃあ、犬が引っ張るんで俺たちはこれで。月曜日にまた!」


 俺は強引に話を打ち切り、高田に背を向けて歩き出した。

 高田は「お疲れ様ですー!」と見送ってくれたが、すれ違いざま、彼が首を傾げながら独り言を呟くのが聞こえた。


「……橋本さん、あんな美人の妹いたっけ? 服装はボーイッシュだけど、なんかオーラが全然違うような……」


 俺は聞こえないフリをして、レオのリードを急いで引いた。


 高田の姿が完全に見えなくなるまで歩き、公園の奥のベンチに辿り着いたところで、俺たちは同時に深いため息を吐いた。


「……はぁ。寿命が縮んだわ」


 李雪がベンチにへたり込み、キャップを脱いだ。

 その顔は、緊張と少しの怒りで赤く染まっている。


「すみません。とっさに『妹』なんて言ってしまって」


「……妹って何よ。私の方が年上なのに」


 彼女はジト目で俺を睨んだ。


「でも、ナイス判断だったわ。あそこで恋人なんて言われたら、明日から貴方、給湯室で質問攻めに遭うもの」


「そうですね。……でも、高田のやつ、去り際に『あんな美人の妹いたっけ』って言ってましたよ」


 俺が思い出し笑いをしながら言うと、李雪はピタリと動きを止めた。

 そして、顔をさらに赤くして、そっぽを向いた。


「……変装してたのに、オーラが漏れちゃったかしら」


「否定しないんですね。……でも、俺には勿体ないくらい綺麗な『妹』ですから、彼がそう思うのも無理はありませんよ」


 俺がからかうように言うと、彼女は俺の腕をペシッと叩いた。


「……調子に乗らないでよ。いくら設定だからって、『お兄ちゃん』なんて絶対に呼んであげないんだから」


「残念ですね。一度くらい聞いてみたかったんですが」


「バカ! ……もう、帰るわよ! レオくんも疲れたみたいだし」


 彼女は照れ隠しに立ち上がり、ズンズンと先に歩き出した。

 足元では、レオが「もう帰るの?」という顔で俺を見上げている。


「ほら、お姉ちゃんが怒ってるぞ。行くか」


 俺はレオのリードを引き、彼女の小さな背中を追いかけた。

 会社での氷の女帝。

 深夜のコンビニでの迷い猫。

 そして今日、新たに加わった「手のかかる妹」という仮面。


 どんな顔を持っていても、俺にとって彼女が特別な存在であることに変わりはない。

 夕焼けに染まる帰り道、俺たちは並んで歩きながら、次の「秘密の作戦」について楽しげに語り合っていた。

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