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深夜のコンビニで「死にそうな美女」に豚汁を奢ったら、翌日会社で鬼上司がチラチラ見てくる件  作者: U3
第4章 公私混同の同棲生活

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第32話 深夜の看病(李雪編)

 夏から秋へと季節が移り変わる頃。

 急に冷たい風が吹き始め、街ゆく人々の服装も半袖から長袖へと変わりつつあった。

 そんな週末の土曜日。俺は、レオの散歩と買い出しを兼ねて、少し離れた街まで足を伸ばしていた。


 レオは生後五ヶ月を過ぎ、体つきも随分としっかりしてきた。散歩のペースも上がり、俺が引っ張られることもしばしばだ。

 通りに面したお洒落なカフェの前を通りかかった時のことだった。


「……おや。奇遇ですね、マエストロ」


 ふと声をかけられ、俺は足を止めた。

 カフェのオープンテラス席。優雅にハーブティーを飲んでいたのは、見慣れた、しかし見慣れない女性だった。

 透き通るような白い肌に、気だるげな大きな瞳。無造作なアッシュブラウンの髪。

 深夜のコンビニ店員、長谷川真琴だ。

 だが、今日の彼女は制服のエプロン姿ではない。黒を基調としたモード系のワンピースに身を包み、まるで雑誌から抜け出してきたかのような洗練されたオーラを放っていた。


「長谷川さん……。私服だと、雰囲気が違って分かりませんでした」


「そうですか? 私は貴方のその広い肩幅で、遠くからでもすぐに分かりましたよ」


 長谷川はふわりと微笑み、向かいの空席を手で示した。


「もしお急ぎでなければ、少しお茶に付き合ってくれませんか? いつもお世話になっているお礼に、今日は私がエスコートしますよ」


「……デートの誘いですか?」


「ふふ。そう呼んでも構いませんよ。……ワンちゃんも一緒にどうぞ」


 彼女の落ち着いたペースに巻き込まれ、俺はレオを連れてテラス席に座った。

 長谷川の醸し出す空気は独特で、どこか芸術家のような雰囲気すらある。こうして昼間の光の下で向かい合うと、彼女のミステリアスな魅力に少しドキリとしてしまう。


「可愛いワンちゃんですね。これが噂の……」


「ええ。豆柴のレオです」


 長谷川が手を差し出すと、レオは大人しく匂いを嗅ぎ、ペロリと指先を舐めた。

 彼女は満足そうに目を細め、俺のためにコーヒーを注文してくれた。


「……マエストロ。今日はソロなんですね。お連れさんはどうしました?」


「彼女は家で休んでますよ。平日の激務で疲れが溜まってるみたいなので」


 俺が答えると、長谷川はカップの縁を指でなぞりながら、少しだけ真剣な眼差しになった。


「……休ませているなら、正解です。先日、お二人が店にいらした時……彼女のオーラが、少し擦り切れているように見えましたから」


「オーラ……ですか」


「ええ。色が淀んでいました。……季節の変わり目は、自律神経が乱れやすい。完璧主義で気を張っている人ほど、糸が切れた時に一気に崩れます」


 長谷川の言葉に、俺はハッとした。

 確かに、ここ数日の李雪は少し顔色が悪かった。会社のエアコンの温度設定にも敏感になり、よく肩をさすっていた気がする。

 俺が美味しい夜食を作っても、食は少し細くなっていた。


「……マエストロは、彼女の『胃袋』の指揮者なんでしょう? ならば、休止符を振るタイミングを見極めるのも、貴方の仕事ですよ」


 長谷川は、全てを見透かしたような目で静かに告げた。

 俺はコーヒーを一口飲み、彼女の忠告を深く胸に刻み込んだ。

 この観測者との短い「デート」は、俺に重要な気づきを与えてくれた。


 そして、週明けの月曜日。

 長谷川の予言は、最悪の形で的中することになる。


 営業二課のフロア。

 いつものようにピリピリとした空気が張り詰めている……はずだったが、今日の中央のデスクからは、覇気が全く感じられなかった。


「……っ、げほっ、ごほっ」


 李雪が口元をハンカチで覆い、苦しそうに咳き込んでいる。

 パソコンのモニターを見つめる目は虚ろで、顔は紙のように白い。

 彼女は明らかに体調を崩していた。


「課長、大丈夫ですか?」


 石井ミチルが心配そうに声をかけるが、李雪は首を横に振った。


「問題ないわ。……それより、さっきのデータの修正は終わった?」


「は、はい! でも課長、顔が真っ赤ですよ! 熱があるんじゃないですか!?」


 ミチルの言う通り、青白かった顔が、今は不自然に紅潮している。

 俺は立ち上がり、彼女のデスクへと歩み寄った。

 そして、周囲に聞こえないような小声で囁いた。


「……李課長。限界です。帰って休んでください」


「……橋本。私の体調管理は私が一番よく分かってるわ。まだ、今日のタスクが……」


 彼女が強がって言い返そうとした瞬間、その体がグラリと傾いた。


「危ないっ!」


 俺は咄嗟に腕を伸ばし、椅子から崩れ落ちそうになった彼女の肩を支えた。

 スーツ越しでも伝わってくる、尋常ではない熱さ。

 完全に発熱している。


「……ちょっと、鉄仮面! アンタ顔色やばいわよ!」


 騒ぎを聞きつけて、隣のシマから山下恭子課長がすっ飛んできた。

 彼女は李雪の顔を見るなり、目を見開いた。


「バカじゃないの!? こんな熱で仕事して、周りにうつしたらどうすんのよ! 早く帰りなさい!」


「……山下課長。私は……」


「うるさい! 一課の予算会議は私がリスケしておくから、さっさと帰って寝なさい! ……橋本くん、彼女をタクシーに乗せてあげて!」


 普段は犬猿の仲である山下課長からの、意外な援護射撃だった。

 怒鳴り散らしながらも、その目には明らかな心配の色が浮かんでいる。


「……分かりました。課長、送ります」


 俺は李雪の鞄を持ち、半ば強引に彼女を立ち上がらせた。

 彼女は抵抗する気力もないのか、俺の腕に寄りかかったまま、力なく頷いた。

 そして、俺はフロアの皆に向かって宣言した。


「課長をお送りした後、俺も午後から半休をいただきます。急用ができましたので」


 もちろん、その「急用」が何なのかは、言うまでもない。


 タクシーで李雪を彼女のマンションまで送り届け、俺は一度自分の家に戻った。

 レオをキャリーバッグに入れ、消化に良さそうな食材をいくつか見繕ってから、再び彼女のマンションへと向かう。

 合鍵を使って静かにドアを開ける。


「……お邪魔します」


 広いリビングは静まり返っていた。

 寝室のドアが少しだけ開いており、そこから荒い呼吸音が聞こえてくる。

 俺はレオをケージに入れ、「静かにな」と言い聞かせてから、寝室へと足を踏み入れた。


 ベッドの上。

 李雪は着替える余裕もなかったのか、スーツのジャケットだけを脱いだ状態で、丸くなって震えていた。


「……李さん」


 俺が声をかけると、彼女は薄く目を開けた。


「……師、匠……?」


「はい。俺です」


 俺はベッドの傍らに膝をつき、彼女の額に手を当てた。

 熱い。38度は超えているだろう。

 長谷川の言う通り、季節の変わり目の冷え込みと過労が、彼女の免疫力を一気に奪ってしまったのだ。


「……ごめん、なさい。……情けないところ、見せちゃった」


「謝らないでください。人間なんですから、風邪くらいひきますよ」


 俺は彼女をゆっくりと抱き起こし、着替えを手伝った。

 汗をかいたブラウスを脱がせ、ゆったりとしたスウェットの部屋着に着せ替える。

 意識が朦朧としている彼女は、されるがままに俺に身を委ねていた。


「少し、寝ていてください。何か食べられそうなものを作りますから」


 俺が立ち上がろうとすると、彼女の熱い手が、俺の袖をギュッと掴んだ。


「……行かないで」


 掠れた、震える声。

 氷の女帝の面影など微塵もない、ただの心細い女の子の顔がそこにあった。


「……すぐ戻りますよ。キッチンにいるだけですから」


 俺が優しく手を重ねると、彼女は不安そうに頷き、手を離した。

 その時、リビングから「きゅぅん」という鳴き声と共に、小さな影が寝室に入ってきた。

 レオだ。

 彼はベッドの横にちょこんと座り、心配そうな目で李雪を見上げている。


「……レオくん」


 李雪が力なく手を伸ばすと、レオはベッドの縁に前足をかけ、彼女の手を優しくペロペロと舐めた。

 まるで「僕がついてるよ」と慰めているかのように。


「レオ、ママを頼んだぞ。絶対安静の監視役だ」


「ワフッ」


 レオは小さく吠え、李雪の枕元に丸くなって添い寝を始めた。

 李雪はレオの温もりに少しだけ安心したのか、目を閉じて静かに呼吸を整え始めた。

 俺はその隙に、キッチンへと急いだ。


 弱った胃腸に、油物や味の濃いものは厳禁だ。

 俺が選んだメニューは、『特製・中華風鶏粥』。


 鍋に水と生米を入れ、じっくりと炊いていく。

 そこに、鶏のささみを細かく裂いたものと、すりおろした生姜をたっぷりと加える。生姜の殺菌作用と保温効果で、体の中から熱を逃がすのだ。

 味付けは、少量の鶏ガラスープの素と、塩、そして香り付けのごま油を数滴。

 米の花が咲くようにトロトロに煮崩れるまで、ひたすら火の番をする。


「……よし。出来た」


 土鍋に盛り付け、刻んだネギを散らす。

 湯気と共に、生姜の爽やかな香りと鶏肉の優しい旨味が広がる。


 俺はトレイにお粥と水、そして風邪薬を乗せて寝室へと戻った。

 李雪は目を覚ましており、レオの背中を力なく撫でていた。


「李さん。お粥ができましたよ。食べられますか?」


「……ん。……いい匂い」


 俺はベッドの背もたれにクッションを重ね、彼女の体を起こした。

 そして、トレイを膝に置き、蓮華でお粥をすくって、ふーふーと息を吹きかけた。


「熱いですよ。はい、あーん」


 彼女は顔を赤らめながらも、素直に口を開けた。

 とろりとしたお粥が、彼女の唇に吸い込まれていく。

 ゴクリ、と喉が鳴る。


「……どうですか?」


「……っ」


 彼女の目から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。


「えっ!? ど、どうしました? 熱かったですか!?」


 俺が慌てると、彼女は首を横に振り、俺の腕に額を押し付けてきた。


「……違う。……違うの。……美味しすぎて、安心しちゃって」


 彼女はしゃくりあげながら、途切れ途切れに言った。


「……一人で……ずっと気張ってて……辛かったのに。……貴方がいてくれて、こんなに優しいご飯を作ってくれて……」


 彼女の涙が、俺の服の袖を濡らす。

 完璧を演じ続けてきた彼女の糸が、完全に切れた瞬間だった。


「……師匠」


「はい」


「……お粥が、美味しい……」


 その言葉は、どんな極上の褒め言葉よりも、俺の胸の奥を熱くした。

 長谷川に言われた「休止符」。

 今がまさにその時だ。俺は彼女の背中を、子供をあやすように優しく撫でた。


「ゆっくり休んでください。……俺はどこにも行きませんから」


 俺が囁くと、彼女は安心したように俺の胸に顔を埋め、再びお粥を一口食べた。

 足元ではレオが、俺たちを見守るように静かに寝息を立てている。


 外の冷たい風は、もう気にならない。

 この暖かな「魔窟」の中で、俺は愛すべきパートナーが元気になるまで、甲斐甲斐しく看病を続けると誓った。

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