表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
深夜のコンビニで「死にそうな美女」に豚汁を奢ったら、翌日会社で鬼上司がチラチラ見てくる件  作者: 伊達ジン
第2章:正体バレと秘密の共有

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/65

第13話 ブラックサンダーの開け方

 その日の午後、営業二課のフロアはここ最近の中では比較的穏やかな空気に包まれていた。

 先週の上海支社との大規模な通信トラブルも無事に完全収束し、胃の痛くなるような来季の予算編成の第一稿も提出を終え、一段落したタイミングだった。


 時刻は15時。いわゆる、オフィスワーカーにとっての「おやつタイム」だ。


 俺は、凝り固まった肩を回し、気分転換のコーヒーを淹れようと給湯室に向かう途中、ふとフロアの最上座、課長席の方へ視線を向けた。

 いつもならキーボードを壊さんばかりの勢いで叩いている李雪課長が、珍しく手を止め、背もたれに深く寄りかかって小休憩を取っている。

 彼女の細い手には、コンビニのレジ横でおなじみの、黒いパッケージのチョコレート菓子『ブラックサンダー』が握られていた。

 糖分補給。彼女の枯渇した脳を稼働させるための、手っ取り早いガソリンだ。


 何気なく遠目から観察していると、彼女はパッケージを開ける前に、少し奇妙な、見慣れない手つきをした。

 袋のギザギザした端の部分を、細い指先で丁寧に三角形に折りたたみ、そのままピンと横に張らせてから、一気に手前に引き裂く。

 そして、袋の開け口をくるりと裏側へ折り返し、チョコレートに直接触れないよう下から中身を押し出して、手を一切汚さずに上品に齧り付いたのだ。


 ――あれ?


 俺は給湯室へ向かう足を、思わずピタリと止めた。


 その一連の流れるような動作。几帳面というか、独特のこだわりを感じるその特殊な開け方。

 それは、俺がいつも無意識にやっている手順と全く同じだった。

 俺は体が大きく指も太いため、普通に袋を開けようとすると中身のビスケットごと砕いてしまうことが多かった。だから、誰に教わったわけでもなく、失敗せずに綺麗に開けられるあの独自の開け方を編み出したのだ。俺だけの、完全に無意識の手癖だった。


 彼女はサクサクとリズミカルにチョコレートを齧り、糖分が染み渡ったのか、満足げに切れ長の目を細めている。

 その無防備な顔をジッと見つめていた俺の視線に気づいたのか、彼女がふと顔を上げた。

 空中で、視線がバッチリと交差する。

 彼女はビクッとして慌てていつもの冷徹な真顔に戻り、コホンと不自然な咳払いをして、逃げるようにPCのモニターへと向き直った。

 だが、髪の隙間から覗くその小さな耳の先が、ほんのりと赤く染まっているのを、俺の視力は見逃さなかった。


(……まさかな)


 俺は自然と緩んでしまう口元を隠すように手で覆い、足早に給湯室へと入った。

 今夜、深夜の安全地帯での「答え合わせ」が、たまらなく楽しみになった。


★★★★★★★★★★★


 その夜、23時。

 俺は自宅のキッチンに立ち、コンロの上の厚手の中華鍋で、たっぷりの揚げ油の温度を真剣な眼差しで見守っていた。

 リビングに目をやると、新しく迎えた愛犬のレオは、ふやかしたドッグフードを腹いっぱい食べて大満足し、ケージの中でお腹を丸出しにした無防備な「へそ天」スタイルで爆睡している。規則正しい寝息が聞こえてくる。

 さて、今のうちに、手のかかる大人のための夜食の準備だ。


 今夜のメニューは、『フィッシュ・アンド・チップス』。

 イギリスを代表する定番のファストフードでありパブ飯だが、俺が今夜作るのは、そこらの惣菜とは一線を画す本格派だ。


 まずは命とも言える衣を作る。

 ボウルに小麦粉とベーキングパウダー、塩、そして深みを出すための隠し味に少量のカレー粉を入れる。

 そこに注ぐのは、水ではない。

 冷蔵庫でキンキンに冷やしておいた『黒ビール』だ。

 炭酸ガスが衣の中に無数の気泡を作り出し、揚げた時に驚くほど軽く、サクサクの食感を生み出してくれる。アルコール分は高温の油で完全に飛ぶので、夜中に食べても酔う心配はない。


「……よし、いいトロみだ」


 メインの魚は、帰りがけにスーパーで買ってきた、身の分厚い真鱈の切り身だ。

 軽く塩コショウで下味をつけ、余分な水分を拭き取ってから薄力粉を薄くまぶす。

 これを先ほど作ったビールの衣にたっぷりとくぐらせ、180度に熱した油の海へ、跳ねないように静かに投入する。


 ジュワアアアッ……!!


 勢いよく細かい泡が立ち上り、ビールとカレー粉が焦げる強烈に香ばしい匂いがキッチンいっぱいに広がる。

 衣が美しい黄金色に色づくまで、ひっくり返しながらじっくりと揚げる。

 その横のもう一つのコンロでは、拍子木切りにしたメークインのジャガイモも揚げる。こちらはこだわりの二度揚げだ。一度目は低温の油で中までホクホクに火を通し、油から上げて数分休ませた後、最後に高温の油で表面をカリッと仕上げる。


 揚げ物の音をBGMにしながら、ソースの準備にかかる。

 たっぷりのマヨネーズに、細かく刻んだピクルス、荒く潰したゆで卵、水にさらした玉ねぎのみじん切り、そしてフレッシュなレモン汁を混ぜ合わせた特製の濃厚タルタルソース。

 さらに、本場イギリス流の食べ方には絶対に欠かせない『モルトビネガー』も、持ち運び用の小瓶にしっかりと用意する。


 5分後。

 油を切るバットの上のキッチンペーパーに、見事な黄金色のフライが山のように積み上がった。

 衣はエアリーで驚くほど軽く、中の鱈はふっくらとして肉厚だ。

 熱いうちに、上からパラパラと岩塩を振る。


 これを、油を吸うワックスペーパーを敷いた大きなランチボックスに手早く詰め込み、冷めないように保温バッグに密閉する。

 そして、今夜のペアリングとなるドリンクを冷蔵庫から取り出した。

 オレンジ色の、ドロッとした鮮やかな液体。


 『特製キャロットジュース』だ。


 それも、市販の甘ったるいものではない。糖度の高い雪下人参をジューサーで丸ごと絞り、少量のすりおろしリンゴ果汁と、βカロテンの吸収率を爆発的に高めるための良質なエキストラバージン・オリーブオイルを数滴加えた、俺の自家製だ。


「……完璧な布陣だ」


 俺は準備を整え、保温バッグを手に、冷え込み始めた夜の街へと飛び出した。


★★★★★★★★★★★


 深夜0時10分。

 いつものコンビニエンスストアに到着した俺は、待っていた李雪課長と合流する前に、一人で店内へと入った。

 手料理を持参してコンビニのテラス席を利用するのは、明確なマナー違反になってしまう。コンシェルジュとしての安全基準を守るためには、この明るく防犯カメラのあるテラス席が絶対に必要だ。だからこそ、大人としてのスマートな「筋通し」が求められる。


 俺は店内で食後のホットコーヒーと、お茶請けのスイーツをいくつか多めにカゴに入れ、レジへ向かった。

 カウンターには、あのアンニュイな店員・長谷川さんが立っている。


「こんばんは。少し買い物を多めにするので、外のテラス席で、連れと少しだけ持参した軽食を食べるのを黙認してもらえませんか? ゴミは必ず持ち帰ります」


 俺が正直に事情を話し、場所代としての多めの会計を済ませると、長谷川さんは面白そうに目を細め、フッと赤い唇の端を吊り上げた。


「……マエストロの頼みなら、断れませんね。どうぞ、ごゆっくり。素敵な夜食の時間を」


 彼女の粋な計らいに小さく頭を下げ、俺は堂々と外のテラス席へと向かった。


 煌々と明かりが灯る安全なテラス席。

 俺たちは並んで椅子に座り、保温バッグから取り出した揚げたてのフィッシュ・アンド・チップスを広げていた。


「……すごい。お店のテイクアウトみたい。まだちゃんと熱々で温かいわ」


 李雪課長は、湯気を立てる黄金色のフライを見て、少女のように目を輝かせている。

 今日の彼女は、いつものえんじ色のジャージではなく、少し大きめのグレーのスウェット上下という、さらにラフで新鮮なスタイルだった。

 Tシャツの胸元の文字は『有言実行』。

 いつもはお団子にしている長い黒髪は今日は下ろしており、夜風にさらさらと心地よさそうに靡いている。少しだけシャンプーの甘い香りがした。


「さあ、まずは熱いうちにどうぞ」


 俺は彼女に割り箸を渡した。

 彼女は一番大きなタラのフライを箸で持ち上げ、ふーふーと息を吹きかけてから、思い切り口に運ぶ。


 サクッ。


 深夜のテラス席に、驚くほど軽快な音が響く。

 ビール衣ならではの、クリスピーで羽のように軽い食感。

 そのサクサクの衣の中から、ホワッと熱い湯気と共に、淡白でありながら力強い白身魚の旨味が溢れ出す。


「……んっ! サクサク! なにこれ、揚げ物なのに全然油っこくない!」

「衣の水分を水じゃなくてビールに置き換えて、あえて軽くしてるんです。炭酸の気泡を含んでいるから、胃にもたれないんですよ」

「この手作りのタルタルソースもすごく美味しい……ピクルスの酸味と卵のコクが絶妙ね」


 彼女は箸を止めず、次々と二度揚げしたホクホクのポテトや魚を口に放り込んでいく。

 俺はその見事な食べっぷりに満足しながら、タイミングを見計らって、用意していたモルトビネガーの小瓶を差し出した。


「半分くらい食べたら、味変に、これを全体にたっぷりかけてみてください」

「……お酢? 揚げ物にお酢をかけるの?」

「ああ。イギリスの本場の食べ方です。たっぷりの油を纏った揚げ物に、このモルトビネガーをじゃぶじゃぶかけると、魔法みたいにさっぱりして、胃もたれせずに無限に食べられるようになるんです」


 彼女は半信半疑といった顔で小瓶を受け取り、フライとポテトにビネガーを振りかけ、再びパクリと食べた。

 その瞬間、瓶底メガネの奥の目が、これ以上ないほど大きく見開かれる。


「……っ! 化けたわ。なにこれ、すごい! ツンとしないまろやかな酸味が油のくどさを完全に中和して、魚とポテトの純粋な旨味だけが舌に残る感じ!」

「でしょう?」


 俺はしてやったりのドヤ顔で頷き、マイボトルに入れてきた冷たいキャロットジュースを、紙コップに注いで彼女に渡した。


「口の中が油と酸味でいっぱいになって、喉が渇いたら、これです」

「……オレンジジュース? いえ、人参?」

「自家製のキャロットジュースです。揚げ物の油とビネガーの酸味。その後に来るこの人参とリンゴの自然で優しい甘みが、口の中を完璧にリセットしてくれます。それに、人参のβカロテンは油と一緒に摂ると吸収率が格段に上がるから、美容にも最高ですよ」


 彼女はコップを受け取り、一口ゆっくりと飲み、ほう、と深く息を吐き出した。


「……本当に優しい甘さ。微かに土の香りがして、なんだかすごく落ち着くわ」


 たっぷりの油で揚げたジャンクなフライと、体に染み渡るヘルシーな野菜ジュース。

 背徳感と健康への配慮の、絶妙な綱引き。

 それが、昼間は厳格な上司と部下でありながら、深夜にこうして秘密を共有している今の俺たちの関係――緊張と緩和のバランス――に、どこか似ているような気がした。


 しばらくの間、無言で美味しい食事を楽しんだ後、ボックスの中身が完全に空になった頃を見計らって、俺は少し姿勢を正して切り出した。


「……そういえば」

「ん?」

「今日の昼間、オフィスで課長のこと、見てましたよ」

「何を?」


 彼女はコップの縁をくわえたまま、キョトンと首を傾げている。


「おやつの時間の、ブラックサンダーです。……あの袋の端を折ってから切る独特な開け方、俺の真似ですよね?」


 俺がニヤリと笑って直球で指摘すると、彼女は「ぶっ」と危うくキャロットジュースを吹き出しそうになった。

 ゴホゴホと激しく咳き込み、顔を茹でダコのように真っ赤にして俺を睨みつける。


「……は、はぁ!? な、何言ってるのよ! ただの自意識過剰じゃないかしら!」

「いやいや。袋のギザギザの端を丁寧に折ってから切るあの手順、あれは不器用な俺が独自に編み出したオリジナルです。普通の人は、あんな面倒なことはしませんよ」


 俺は逃さず畳み掛ける。

 先日結んだ『深夜の夜食契約・改』の通り、このテラス席にいる間は上司命令無効の対等な関係だ。変な遠慮はいらない。


「いつから見てたんですか? 俺のデスクでの手元」

「……っ」


 彼女は口をパクパクさせ、完全に視線を泳がせた。

 そして、どう言い逃れしても無駄だと観念したようにガックリと肩を落とし、ボソリと呟いた。


「……見てたの? 部下のくせに、趣味が悪いわね」


 こちらを睨むその顔は、街灯に照らされて夕焼けのように赤い。

 デレた。

 会社で冷たい指示を飛ばす「氷の女帝」が嘘のような、恥じらいと動揺に満ちた、年相応の可愛らしい表情。


「……貴方が、いつもデスクで仕事しながら、不器用そうな大きな手で、すごく綺麗に開けてるから。……ちょっと真似してみたら、手が汚れなくて合理的で良かった、ただそれだけよ。別に、貴方のことをずっと観察してたとか、そういう深い意味なんて全くないわ」


 彼女は目を逸らしながら、ものすごい早口で言い訳を並べ立てる。

 その必死さが、たまらなく愛おしい。

 俺の些細な手癖を無意識にコピーしてしまうほど、彼女は俺のことを見て、気にかけてくれていたのだ。


「そうですか。……まあ、師匠としては光栄の極みですね」

「……うるさい。今の話は今すぐ忘れて。上司命令よ」

「ここでは上司命令は無効という契約ですが?」

「……っ、もう!」


 彼女は完全に拗ねたようにそっぽを向き、残りのジュースを一気に飲み干した。

 

「……でも、悪くなかったわよ。貴方のその、合理的な開け方」


 しばらくして、蚊の鳴くような小さな声で、彼女が照れくさそうに付け加える。

 その一言で、俺はこれ以上ないほどの満足感で胸がいっぱいになった。


「じゃあ、明日からはコソコソせずに、堂々と真似してください。俺の特許はフリー素材ですから」

「……ふふっ。そうさせてもらうわ」


 彼女はついに堪えきれなくなったように小さく笑い、俺の方に体を向き直った。

 月明かりとコンビニの照明の下、二人の影がアスファルトの上で重なる。

 誰にも言えない、秘密の共犯関係。

 互いの些細な癖すらも無意識に共有し始めた俺たちの心の距離は、確実に、そして劇的にゼロへと近づいている。


「……ごちそうさま、師匠。今まで食べた中で、最高のフィッシュ・アンド・チップスだったわ」

「お粗末さまでした」


 俺たちは空になったランチボックスなどのゴミを片付け、椅子から立ち上がった。

 並んで歩き出す帰り道、俺のパーカーの袖を、彼女の小さな手がごく自然に、軽く掴んだような気がした。


 だが、俺はあえてそれに気づかないフリをして、ペースを合わせながらそのままゆっくりと歩き続けた。

 焦ることはない。

 この甘くて、もどかしくて、じれったい夜の時間を、俺はもう少しだけ、このままの距離で楽しんでいたかったからだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ