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キイムラコマオウ編(過去編)2:にこにこした地獄の入口

お師匠――ギンボヒロユミは、複数の顔を持っていた。

一つは「凄腕の霊媒師」。

もう一つは、地域で評判の私立保育園「にこにこ保育園」の園長という顔だ。


その保育園に預けられている子供は、強すぎる力ゆえに親から気味悪がられた子や、無意識に街中の怪異を呼び寄せてしまうような子供たち。

お師匠は全国で除霊して稼いだ大金のほとんどをこの園の運営につぎ込んでいた。


「コマさん、今日も遊びに来たのー?」

「いやいや、バイトですよ!一応働きに来てますから」

そう言って俺を揶揄う保育士たちも、全員が“感知能力”のスペシャリストだ。


ここは強力な結界によって守られている。お師匠の多彩な能力があってこそ成り立つ、この世で最も「安全」で「異質」な保育園だ。


そこで、事件は起きた。

その日は、園庭で子供たちの霊力コントロール訓練を行っていた。

「コマさん! 今日は外さないから、ちゃんと見ててよ! 瞬き禁止!」

威勢よく声を上げたのは、アイちゃんと同じ年齢のミキヒサだった。

白いタンクトップに短パンというクソガキの見本のような格好だが、その体には、同年代を遥かに凌駕する暴力的なまでの霊力が渦巻いている。


「よっしゃ、見てるぞ! 決めたらアイス一本奢ってやる!」

「やったぁ! ミキヒサ、いきまーす!」

ターゲットは、お師匠が作成した小動物型の式神。ぴょんぴょんと不規則に跳ねる難敵だ。

ミキヒサが両手を突き出し、叫んだ。

「――ぶっとべぇ!!」

放たれたのは、霊力の弾丸。

それは見事に標的の鼻面を捉え、式神をパァンと乾いた音と共にただの御札へと戻した。

「よっしゃ! 命中だ!」

「すごいぞミキヒサ! 狙撃手スナイパーの才能あるぞ!」

「えへへ、もう一回! もっとデカいのいくよ!」

褒められて天まで昇る勢いのミキヒサが、さらに霊力を練り上げる。

「――ぶっとべぇぇ!!」

さっきの倍はあろうかという光の塊が、回転しながら放たれた。

それは真っ直ぐに、次の標的を消滅させる……はずだった。

「……あれ?」

ミキヒサの首が傾く。

放たれた霊力の弾丸が、標的の手前で不自然に止まった。

いや、違う。粘つく空気の中を泳ぐように失速し、一定の方向へと「誘引」されている。

俺の視線が、その先を追った。

砂場にポツンと座り、無心で山を作っているアイちゃんだ。

ミキヒサの放った光の弾丸が、磁石に吸い寄せられる砂鉄のような速度で、アイちゃんの背中に向かって加速していく。

「アイちゃん、危ないっ!」

俺が叫び、ミキヒサが顔を強張らせたその瞬間、光の塊がアイちゃんの小さな背中に着弾した。

衝撃はない。

爆音もない。

ただ、泥沼に石を投げ込んだときのような、不気味に静かな音だけが聞こえた。

「……吸い込まれた……?」

俺は呆然と呟いた。

それだけでは終わらなかった。

アイちゃんを『核』として、目に見えるほどの空気の歪みが生じたのだ。

「……っ!? なんだこれ、僕の力が、戻ってこない! 離してくれないんだ!」

ミキヒサが必死に手を引くが、見えない糸で繋がっているかのように霊力が奪われ続ける。

本来、放たれた霊力は霧散するか、術者に還るものだ。

だがアイちゃんの能力は、逃さない。

それどころか、ミキヒサの霊力だけではなく、園内の清浄な霊素、さらには結界を維持するエネルギーまでもが猛烈な勢いでアイちゃんへと収束し始めた。

ずぶずぶ、ずぶずぶ。

何かが「食事」をしているような嫌な音が響く。

アイちゃんを中心に、霊力が圧縮され、変質し、真っ黒に脈打つ「厄災の塊」が膨れ上がっていく。

それはまるで、小さな子供が背負うにはあまりに巨大な、黒い翼のようにも見えた。


「アイちゃん!やめるんだ!」

俺の声が聞こえていないのか!?

ミキヒサも踏ん張っているが、霊力を吸われている。


「――みんな!さがって!!」

上空から、無数の紙札が雪のように舞い散った。

お師匠だ!


安心したのも束の間。

信じられない光景が目に飛び込んできた。

お師匠が放った霊力さえも、アイちゃんの引力に捉えられ、黒い翼の栄養源として飲み込まれていくのだ。


「ダメか!? コマオウ! 止めて!!」

お師匠の悲鳴に近い声。

俺の霊能力は『止める力』。

「アイちゃん、ちょっと息苦しいけど我慢してくれよ……!」

俺はアイちゃんを霊力で包み込み、全霊力を叩き込んだ。

「ぐ……っ!!」

巨大な掃除機のホースを素手で塞ぐような衝撃。

肺から空気が押し出され、視界がチカチカする。

止まったのは、ほんの一瞬。瞬きするほどの刹那だった。

だが、彼女にはそれで十分だった。

その一瞬の隙に、お師匠はアイちゃんを檻のように囲み、封印術の一つ「封じの壁」を築き、引力の連鎖を力ずくで断ち切った。


核を失い、行き場を失った黒い塊は、お師匠が用意した特殊な御札に吸い込まれ、霧散した。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

膝をつき、肩で息をするミキヒサ。自分の手が、見たこともないほどガタガタと震えている。

「……アイちゃんの力、僕のとは全然違う。あんなの……あんなの、掃除機みたいだ」

恐怖に染まったその言葉が、静まり返った園庭に重く落ちた。


お師匠はアイちゃんに駆け寄り、その小さな体を強く、壊れるほど強く抱きしめた。

「アイコウ。怪我がなくてよかった…… 」

アイちゃんは、自分の周りで何が起きたのか全く理解していない様子で、トロンとした目で

「…僕、お腹すいちゃった」

その無垢な言葉が、逆に背筋を凍らせた。


その日の夜。

園が静まり返った後、お師匠は眠るアイちゃんの枕元で、その風のような囁く声で俺に言った。

「アイコウの能力は『引力』。周囲の霊力を収束させ、無限に強大化させる。核となるものは、自分自身も、悪霊も、この世界の理さえもランダムに選んでしまう……能力発動のトリガーもわからないまま」

彼女の指先は、今も微かに震えていた。

「コマオウ。あの子の力が、どんどん強くなってる。いつか私でも、抑えきれなくなる日が来るわ……」

「お師匠も弱気になることあるんですね。らしくないですよ~?」

俺は努めて明るく、冗談めかして言った。

「この不安感……あんたが舞台で思いっきりスベって、客席が完全に凍りついた時の気持ちが、今ならわかるわ」

「……いや!あの感覚は一度経験しないとわかりませんよ!」

「経験したくなぁ〜い」


一瞬、フッと空気が和らいだが、俺の胸の奥にある不吉なざわつきは消えなかった。

ヒロユミは、各地で出会った「普通ではない」子供たちを預かり、必死に育てていた。

それは、いつかアイコウがその暴走する力に飲み込まれそうになったとき、彼を一人にしないための、最後の防波堤を作っていたのかもしれない。


ミキヒサという、「放出」の少年

アイコウという、すべてを飲み込む「引力」の少年。

この二人が並んで歩く未来が、どうか破滅ではなく、誰かの救いになってほしい。

俺はそう願わずにはいられなかった。



最後まで読んでいただいてありがとうございます!

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