エピローグ
その日、事務所の窓から差し込む西日は、あの日見た「ヨモツヒラサカ」の白銀の光とは対照的に、どこまでも温かく、琥珀色に輝いていた。
世界の理を書き換え、僕たちがこちらの世界に戻ってきてから、三ヶ月が過ぎようとしている。
「要するに、なんか身体が重い。肩に何か乗ってる感じがする……と」
事務所の応接ソファ。
ギンボさんは、深刻な顔でマダムの訴えに耳を傾けている。
「……ふむ。奥様、これは少々厄介ですね。確実に悪霊にとりつかれています」
「まあっ! やっぱり……!」
「我々霊媒師は、そんな、とり”つかれている”状態のことを略して――『疲れている』。そう呼びます」
僕は紅茶を出しながら、「ただの疲労じゃないですか!」とツッコむのを必死で堪えた。
けれど、マダムは真剣そのものだ。
「ギンボ先生!助けてください!」
「大丈夫です。安心してください」
ギンボさんは勿体ぶった手つきで、引き出しから派手なピンク色のボールを取り出した。
「毎日お風呂に入るときに、この『ヘブンスボール』をお湯に入れてください。そのボールから出てくる聖なる泡が、悪霊を浄化し、血行を促進します。ぬるめのお湯で、ゆっくりと浸かるのが秘訣ですよ」
それは、かつて芸人だった師匠・キイムラコマオウさんが、舞台のピンネタ「インチキ霊媒師」で使っていたネタ――要するに、ヘブンスボールはただの炭酸入浴剤だ。
「今、このヘブンスボールに私の霊力を注入しますね……ハッ!」
ギンボさんがボールを握りしめた、その瞬間。
バチッ!!
指の隙間から、鮮烈な青白い火花が弾けた。
「きゃあっ! ……すごい!」
マダムが目を輝かせて歓声を上げる。
「先生の手から、稲妻が!」
「これで効果は抜群です。……お大事に」
ホクホク顔で帰っていくマダムを見送り、ドアがパタンと閉まる。
その瞬間、ギンボさんは「あー、演技疲れた」と、ソファに深く沈み込んだ。
「……ギンボさん。今の最後の火花、タケハヤの力ですよね?」
僕が尋ねると、ギンボさんは目を細めた。
そう。彼の身体には、タケハヤの霊力が微かに残っている。
かつて世界を滅ぼしかねなかった破壊の雷は、今やこうして「演出用エフェクト」として、インチキ除霊のスパイスになっていた。
「リアリティが出るだろ?」
ギンボさんはニヤリと笑い、デスクに置かれた小さな勾玉を指先で弾いた。タケハヤの核は今、この勾玉の中だ。要するに、タケハヤの器の御神体。これからゆっくりタケハヤを完成させていく。千年以上はかかるらしい。
「でもまぁ、あの奥さんが笑顔になって帰ったなら、それは『除霊成功』だ。道具がインチキだろうが、救われた事実は変わらねぇよ」
その言葉には、確かな誇りが滲んでいた。
「はいはい、休憩終わり! 次の予約入ってるぞタカスィ!」
奥の部屋から、ダンベル片手に大声で叫ぶ男がいる。
ミキヒサさんだ。
あの一件以来、彼は正式にこの事務所のスタッフとして働くことになった。
マジの除霊と事務作業を完璧にこなす、頼れる相棒だ。
そして――。
「あらあら、また大きな声を出して。ミキヒサさん、お茶が入りましたよ」
キッチンの暖簾をくぐって現れたのは、長い黒髪を後ろで束ねた、割烹着姿の美しい女性。
ヒロユミさんの姿をした、オオヒル様だ。
「おつかれー、ほら、駅前の新作シュークリームだ」
続いて事務所のドアを開け入ってきたのは、ボロボロの作務衣ではなく、小綺麗なシャツを着た無精髭の男。
コマオウさんの姿をした、ツクユミ様だ。
世界を管理していた二柱の神は、それぞれの器――ヒロユミさんとコマオウさんの姿のまま、霊体としてこの世で暮らしている。
本来の器だった鏡と剣は、ただの「古い物」になったが、それぞれ亜勢神宮と逸田神宮に奉納されている。
彼らは今、この世、この小さな事務所で「人間」を学んでいるのだ。
「ギンボよ。この間の『ツッコミ』のタイミングだが、やはりコンマ数秒遅い気がする」
ツクユミ様が真剣な顔でシュークリームを頬張る。
「いや、あれは『タメ』だよ。……ってかツクユミ、お前マジで俺と『M-1』出る気かよ?」
「当然だ。キイムラコマオウの身体を使う以上、彼の悲願であった笑いの頂点を極める。それもまた、人の心の探求だ」
「神様が相方とか、プレッシャーで胃に穴が空くわ……」
ギンボさんは頭を抱えているが、その口元は緩んでいる。
ツクユミ様とのネタ合わせは、彼にとって亡き師匠・コマオウさんとの時間を埋めるような、優しい儀式なのかもしれない。
「ふふっ。賑やかでいいですね」
オオヒル様が、湯呑みを両手で包みながら微笑んだ。
事務所に住み込み、家事を手伝い、僕たちの世話を焼く彼女は、すっかり「お母さん」だ。
「私がここにいるのは、人間の心の勉強のため。……人の弱さも、強さも、そして温かさも、この場所には全て詰まっていますから」
西日が、みんなの顔を優しく照らす。
かつて世界を揺るがした神々も、最強の霊媒師も、今はただの家族のように食卓を囲んでいる。
僕は、ふと窓の外を見た。
街の喧騒。子供たちの笑い声。
タケハヤの強制的な輪廻は終わり、世界はもう、誰にも管理されていない。
僕たちが一歩踏み出すたびに、新しい未来が、不確かに、けれど自由に紡がれていく。
「タカシ! 何ボーッとしてんだ、お前もお茶飲むだろ?」
ギンボさんが僕を呼ぶ。
僕は「はい!」と答えて、皆の輪の中へ駆け寄った。
僕の「未来視」で見えるのは、相変わらずたったの五秒先だ。
でも、その五秒先には、間違いなくみんなの笑顔がある。
それだけで、僕の人生はとびきりのハッピーエンドだ。
最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。初めて書いた小説なので至らない点もあったと思います。それでも読んでいただいた方々には感謝感謝です。短い話でしたが、お付き合いいただきありがとうございました。
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