婚約破棄された悪役令嬢は記録魔です ざまぁ証拠を突きつけたら、なぜか隣国皇太子の溺愛ルートに入りました
王立学院の大広間。
きらきらしたシャンデリアの下で、私はいつものように「悪役令嬢」の席に座っていた。
ざわめき。視線。ひそひそ声。
「ほら、あれが冷血令嬢エルシアよ」
「殿下を独占して、庶民いじめばかりしてるんだって」
……うん、知ってる。
それ、全部誤解なんだけどね。
私は、エルシア・フォン・グランツ。公爵家の一人娘で、王太子ユリウス殿下の婚約者。
そしてこの世界が、前世で私がプレイしていた乙女ゲームそっくりなことも知っている。
私の役は「悪役令嬢」。
ヒロインをいじめたあげく、最後には婚約破棄されて処刑、という、なかなかにひどい未来が待っているキャラだ。
だから私は、転生してからずっと頑張ってきた。
ヒロイン候補には近づかない。
もし関わるなら、こっそり助ける側に回る。
問題を起こさないように、勉強も礼儀も完璧にこなす。
……その結果。
「エルシア様、また一人で勉強を」
「友だちを作らないなんて、高慢ですわ」
はい、無愛想で近寄りがたい悪役令嬢の出来上がり。世の中、なかなかうまくいかない。
そんな私の前に、今日、ゲーム最大のイベントがやって来た。
王立学院卒業前夜祭。
そしてここで、王太子による「公開婚約破棄」が発動する……はず。
音楽が止まり、ユリウス殿下が壇上へと歩み出る。
金髪碧眼、いかにも王子様な外見。周りから歓声が上がる。
「エルシア・フォン・グランツ」
その凛とした声が、広間に響き渡った。
視線が一斉に、私に集まる。
きた。
私はゆっくり立ち上がり、礼儀正しくお辞儀をする。
「はい、殿下」
「そなたとの婚約を、ここに破棄する!」
ざわっ、と空気が揺れた。
「理由を申し上げよ、殿下」
驚いたふりをすることもできたけれど、私はあえて静かに問い返した。
慌てない、慌てない。ここで取り乱したら、悪役っぽさが増すだけだ。
「そなたは、庶民の娘セレナに、度重なる嫌がらせをした。身分を盾にして、教科書を隠し、ドレスを汚し、舞踏会での誘いを邪魔した。そんな者を、未来の王妃として迎えるわけにはいかない!」
殿下の隣には、ぱっと見、儚げで可憐な茶髪の少女。
セレナ・ハワード。今日も大きな瞳をうるませている。
「エルシア様が、怖くて……わたし、何度も泣いて……」
周囲から、同情と怒りのざわめきがあがる。
「ひどい」
「やっぱり悪役令嬢だ」
「殿下は、庶民のために立ち上がったのね」
……いや、違う。ぜんぶ逆なんだけど。
教科書を隠そうとした男爵令嬢を止めたのは私だし、ドレスを汚したのはセレナが自分で転んだからだし、舞踏会での誘いも、セレナが困っているから助けただけ。
でも、証人たちはみんなセレナの味方。
ゲーム通りにいけば、ここで私は悪役として断罪される。
本来ならね。
「……そうですか」
私は小さく息を吐き、殿下を見上げた。
「では、私からも一つ、お伝えしなければならないことがございます」
「なんだ?」
「私もまた、殿下との婚約破棄を、望んでおりました」
広間が、さらなるざわめきに包まれた。
「なっ……エルシア、お前……!」
「驚かせてしまい、申し訳ありません。ですが、殿下。私は、理不尽な婚約を続けるつもりはございません」
「理不尽だと?」
「はい」
私は微笑み、背筋を伸ばした。
「これ以上、私が殿下とセレナ様の隠れ蓑役を続けるのは、さすがに疲れましたので」
「隠れ蓑……だと?」
ユリウス殿下の顔が、見るからにゆがむ。
ここからが、私のターンだ。
「皆様に、少しだけお話をさせてください」
私は一歩前に出て、周囲に視線を向ける。
「私は、確かにセレナ様に何度も注意をいたしました。授業をさぼろうとした時も、王宮への出入りで礼節を守らない時も、危ない場所へ一人で行こうとした時も」
「注意、だと? それを、嫌がらせと呼ぶのが普通だろう!」
殿下が怒鳴る。
私は首を振った。
「いいえ。私は、これらの言動を、すべて書面で記録してあります」
「……記録?」
「はい。王妃教育の一環として学んだ、証拠の残し方です」
私は侍女に合図し、分厚い書類束を運ばせた。
そして、それを会場中央の机に置く。
「これは、この3年間、セレナ様と殿下の周辺で起こった問題の一覧です。目撃者、日時、場所を、できる限り正確に記してあります」
「そんなもの、信用できるか!」
「そうおっしゃると思いましたので」
私は、もう一人の人物に視線を向けた。
「証人として、隣国アルスター帝国の皇太子殿下にご足労いただいております」
その名が告げられた瞬間、広間の空気が一変した。
黒髪に銀の瞳。
鋭さと穏やかさを同時に宿した美貌の青年が、ゆっくりと前へ出る。
アルスター帝国皇太子、アレクシス・フォン・アルスター殿下。
この数か月、なぜか私の周りをうろうろしていた、あの人だ。
「紹介にあずかったアレクシスだ。諸君、突然の訪問を詫びよう」
低く落ち着いた声が、広間を満たす。
女子生徒たちの瞳が、一斉に輝きを増した。
「アレクシス殿下が、どうしてここに……?」
ユリウス殿下が、明らかに焦った声を出す。
「簡単な話だよ、ユリウス王太子殿下」
アレクシス殿下は、私の書類束をひらひらと持ち上げた。
「この書類の写しは、すでに両国の上層部に送ってある。そこに記されているのは、君とその取り巻きによる、セレナ嬢とエルシア嬢への一方的な言葉の暴力。そして、学院の規則違反の数々だ」
「な……!」
「セレナ嬢が泣いていたのは事実だろう。しかし、その多くは、君が彼女に過度な負担を強い、周囲との摩擦を生み出した結果だ」
「うそよ! アレクシス殿下、エルシア様に騙されて……!」
セレナが叫ぶ。
アレクシス殿下は、冷ややかに彼女を見た。
「騙されているかどうかは、もうすぐわかるさ」
そう言って、彼は指を鳴らした。
扉が開き、数人の教師と学院の使用人たちが入ってくる。
その中には、私もよく知る顔があった。
図書室司書、厨房の料理人、掃除係の老女。
身分は高くないが、長く学院に仕えてきた人たちだ。
「ここ数年で、一番印象に残っている生徒の話をしてくれ」
アレクシス殿下がそう頼むと、彼らは口々に話し始めた。
「セレナ嬢は、最初は素直な子かと思いましたが、だんだんと態度が変わりましてな……」
「王太子殿下の寵愛を笠に着るようになってからは、注意もしづらくて」
「でも、エルシア様が、こっそり謝りにいらしたんですよ。『私の監督不行き届きです』と」
広間のざわめきが、少しずつ色を変えていく。
「エルシア様は、厨房に来ては使用人たちにも気さくに声をかけてくださって。余った菓子を持って、孤児院に届けておられました」
「掃除の仕方を教えたこともありますよ。『自分で動かなければ、見えないものがある』とおっしゃって」
いくつもの証言が重なり、空気がじわじわと傾く。
セレナの顔から、血の気が引いていくのが見えた。
「で、でも、わたし、エルシア様に冷たくされて……!」
「それはそうだろう」
アレクシス殿下が即答する。
「エルシアは、君を守るために、わざと嫌われ役を買って出ていた。君がこれ以上、危ない目にあわないように」
「な、なにそれ……どういう……」
セレナだけでなく、ユリウス殿下も口をぱくぱくさせる。
私の胸の奥で、ちくりとした痛みが生まれた。
でも、顔には出さない。
「殿下。覚えておられませんか?」
私は、静かにユリウス殿下を見た。
「お忍びで城下町へ行った時。危険な路地裏へ入ろうとしたセレナ様を、私が止めたことを。あの時、殿下は『エルシア、お前は何も楽しくないのか』と、お怒りになりましたね」
「そ、それは……」
「楽しいですよ。殿下と、セレナ様が笑っている顔を見るのは。ですが、私の役目は、王妃候補として、危険の芽をあらかじめ摘むことでしたので」
私は、にこりと微笑んだ。
「役目を果たしただけです」
「エルシア……」
ユリウス殿下の声が、かすれる。
でも、遅い。
もう、私はとっくに決めていた。
「ともあれ、殿下が私との婚約を破棄なさるというのであれば、それは好都合です」
「好都合、だと?」
「はい。私は、殿下との婚約を盾にされて、セレナ様を守るための悪役を続けてきました。しかし、もう必要ないようですから」
私は、王家の紋章が刻まれた婚約指輪を外し、机の上にそっと置く。
「今までありがとうございました、殿下」
深く礼をすると、広間の空気がまたざわついた。
同情、後悔、驚き。いろんな感情が混ざっている。
――そこで。
「待て」
低く、よく通る声が、私の腕を引き留めた。
アレクシス殿下が、私の隣に立っていた。
「エルシア」
「はい?」
「君は今、自由になった。そうだな」
「……そう、ですね。書類上の手続きはまだですが、気持ちの上では」
「ならば」
彼は、私の右手を取った。
え、ちょっと待って。近い。距離が近い。
「アルスター帝国皇太子として、正式に申し込もう」
「……え?」
「エルシア・フォン・グランツ。君を、私の婚約者として迎えたい」
――はい?
広間が、今度こそ本当の意味で凍りついた。
「ア、アレクシス殿下?」
「前から決めていた」
彼は、さらっと爆弾を落とす。
「この国に留学生として来たのは、君の素行調査のためだ」
「え、素行調査……」
「悪役令嬢と噂の公爵令嬢。だが、送られてくる報告書には、妙なことが書かれていた」
アレクシス殿下は、指折り数え始める。
「使用人に優しい」
「孤児院に寄付している」
「勉強熱心で、魔法の才能も高い」
「問題児たちを影で片づけている」
「自分の評価が下がるような役回りを、全部引き受けている」
……あれ。全部、私が「フラグ回避」のためにやっていたことだ。
「興味が湧いた。実際に会ってみると、噂と中身がまるで違う」
「そ、それは、ええと……すみません?」
「なぜ謝る」
アレクシス殿下は、ふっと優しく笑った。
「君は、自分をほとんど顧みずに、人のために動く。そんな君が、くだらない誤解で処刑される未来など、認められるはずがない」
……処刑、という単語に、背中がぞくりとした。
ゲームで描かれた、あのトゥルーエンド。
火あぶりになって笑っていた、「悪役令嬢エルシア」。
思わず、指先が震えたのを、アレクシス殿下は見逃さなかったらしい。
「安心しろ」
彼は、そっと私の手を握り込む。
「もう誰にも、君を悪役にはさせない」
「アレクシス殿下……」
「君がそれでも悪役になりたいのなら、そうだな。私だけの前で、意地悪な顔をするといい」
「な、なにを言って……!」
「可愛いからな」
「かわっ……!」
ちょっと待ってほしい。
この人、隣国の皇太子ですよね? こんな溺愛みたいな発言、堂々と公衆の面前でしていいんですか。
「勝手なことを……!」
そこへ、ユリウス殿下の怒声が飛ぶ。
「エルシアは、この国の公爵令嬢だ! 勝手に連れ出されては困る!」
「先ほど、君が婚約を破棄したばかりだろう」
アレクシス殿下が、あっさり返す。
「それに、彼女はもうすぐ、君の庇護から外れる。ならば、私が守るのは自然な流れだ」
「ぐっ……!」
「だが、君がどうしてもというのなら、こうしよう」
アレクシス殿下は、さらりと恐ろしいことを言った。
「彼女を選ぶか、この国の未来を選ぶか。好きな方を選べ」
「は?」
ユリウス殿下だけでなく、私も思わず声を出してしまう。
「アルスター帝国とグランツ公爵家は、すでにいくつかの取り決めを交わしている。エルシアは、その中心にいる。君が彼女を手放すと言うのなら、こちらは彼女を、正式に迎えるだけだ」
そう言って、アレクシス殿下は私に視線を向けた。
「エルシア。君の意思は?」
……ああ、そうだ。
私は、ずっと「役目」や「ルート」に縛られて、自分の意思を後回しにしてきた。
ゲーム通りの悲しい未来にならないように。
ヒロインも、王子も、みんなが幸せになれるように。
でも。
「私は」
私は、アレクシス殿下と、ユリウス殿下、そしてセレナを順に見渡した。
「もう、悪役は降ります」
胸の奥にたまっていたなにかが、ふっと軽くなる。
「殿下とセレナ様の恋路を守る役も、処刑フラグを一人で背負う役も、お断りします」
「エルシア……!」
「ユリウス殿下。私を疑い続けたことは、もう構いません。ですが、どうか、これからはご自分で選び、ご自分で責任をお取りください」
次に、セレナを見る。
「セレナ様。あなたの涙は、人を動かす力を持っています。どうか、その力を、人を陥れるためでなく、自分も周りも幸せにするために使ってください」
「わ、わたしは……わたしは、ただ、殿下に愛されたくて……!」
「それ自体は、悪いことではありません」
私は、柔らかく笑う。
「ただ、誰かを踏みつけにした上で手に入れた愛は、長くは続かないと思いますよ」
そして最後に、アレクシス殿下を見上げる。
「アレクシス殿下」
「なんだ」
「私、今まで、自分の気持ちを考える余裕がありませんでした。でも、ひとつだけ、はっきり言えることがあります」
「聞こう」
「殿下といると、私、自分のままでいてもいいのかなって、思えるんです」
きちんとしていなきゃ。
悪役としてふるまわなきゃ。
そうやって、ずっと肩に力が入っていたのに。
この人と話していると、不思議と、それがふっと抜けた。
「だから、その……もし、それでもよろしければ」
私は、少しだけ視線をそらしながら言う。
「あなたの婚約者にしていただけると、嬉しいです」
アレクシス殿下の瞳が、ふっとやわらかくほどけた。
「もちろんだ。何度でも言おう、エルシア」
彼は、私の手の甲に軽く口づける。
「私は、君を心から愛している」
「……あの、その、皆様の前で、そういうことを」
「事実だからな」
「うぅ……」
頬が熱い。視線が痛い。穴があったら入りたい。
でも、不思議と、嫌じゃなかった。
「ユリウス王太子殿下」
アレクシス殿下が、振り返る。
「最後に、君に望むことがある」
「なんだ」
「今日ここで起こったことを、よく覚えておけ。人を断罪する前に、事実を見極めること。自分の感情だけで国を動かさないこと。それができないのなら、君は王になる資格がない」
ユリウス殿下は、悔しそうに唇をかんだ。
それでも、しばらくの沈黙のあと、小さくうなずいた。
「……わかった。俺は、俺の未熟さを認める。エルシア、お前を疑い続けたこと、心から謝罪する」
「顔を、お上げください」
私は、静かに首を振った。
「私も、自分の気持ちをずっと隠していたのですから、お互い様です」
そう言って、ほんの少しだけ微笑みを返す。
それで、もう十分だと思った。
こうして、私の婚約破棄騒動は幕を閉じた。
ユリウス殿下とセレナは、しばらく謹慎と教育やり直しだとか。
まあ、それくらいは当然のざまぁ、というやつだろう。
私はというと――。
「エルシア、転ばないように」
「転びません」
「さっきも転びかけていた」
「あれは、ドレスの裾を踏みそうになっただけです」
アルスター帝国へ向かう馬車の中で、隣に座るアレクシス殿下が、相変わらず過保護に私を支えてくる。
「……そんなに心配しなくても」
「心配するに決まっているだろう。君は、もう私の婚約者だ」
「まだ正式な式は終えていません」
「では、仮の婚約者だ」
「なんですか、その都合のいい言い方」
「事実だ」
くすくすと笑いながら、私は窓の外を見る。
見慣れた王都の景色が、少しずつ遠ざかっていく。
胸の奥に、少しだけ寂しさがよぎる。
でも、それ以上に、大きな期待と、あたたかい何かが満ちていた。
ゲーム通りの未来なら、私はここで終わっていたはずだ。
処刑されて、「悪役令嬢」の役目を果たして。
けれど今、私は、隣国の皇太子の婚約者として、新しいルートを歩き始めている。
誰かのためだけじゃない。
自分のための物語を、生きていいのだと。
「エルシア」
名前を呼ばれて、顔を向ける。
「これから先、君がどんな顔をしてもいい。怒っても、笑っても、泣いても、甘えても」
「な、なんで甘える前提なんですか」
「見てみたいからな」
「アレクシス殿下、性格わるくないですか」
「君の前でくらい、少しくらい悪役でもいいだろう?」
「それは……ずるいです」
思わず笑いながら、私は答える。
「でも、その役なら、私も一緒にやってみたいです」
「一緒に?」
「はい。今度は、二人で悪役になるんです」
「ふむ。それは興味深い提案だな」
アレクシス殿下が、楽しそうに笑う。
――悪役令嬢エルシア。
その肩書は、もうきっと、私一人のものじゃない。
私を溺愛してくる隣国皇太子と一緒なら。
世界がどんなルートに進んでも、きっと大丈夫。
そう信じて、私は新しい人生のページをめくった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
「婚約破棄×悪役令嬢×ざまぁ×溺愛」要素てんこ盛りで、一気に読める短編として書きました。
ちょっとでも
「エルシアかわいいな」
「アレクシス殿下ずるい」
「ユリウスとセレナ、ざまぁ」
と思っていただけましたら、
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・下の方にある感想欄での一言
どれかひとつでもいただけると、とても励みになります。
数字やひと言が増えるたびに「続きや番外編を書こうかな」と本気でやる気が上がります。
もし需要があれば、
・アルスター帝国に行ってからの甘々新婚(仮)生活
・ユリウス視点の反省会
・更生した(かもしれない)セレナのその後
などの番外編も考えていますので、見てみたいものがあれば感想で教えてください。
ここまで読んでくださったあなたに、心から感謝を。
よろしければ、今後の作品も追いかけていただけると嬉しいです。




