065 禁断症状
この半月、本当に色々あったな。
睡眠不足な顔で笑い、海が大地の頭を撫でる。
大地はベッドで眠っていた。
正しくは、気を失っていた。
たった二か月の投薬で、ここまでの禁断症状が出るんだ。そう思うと身震いがした。
薬を否定する気はない。必要な人が大勢いることは理解していたし、あの時の大地には必要だったんだと思う。
問題はそこではなく、過度に投薬したということだ。
確かにそのおかげで、大地は渇望していた死すら考えないようになった。しかしその代償として、薬がないと生きていけない体になってしまった。
薬に依存しないと、眠ることも出来ない。
少しでも不調を感じたら、迷わず安定剤を飲むようになった。
おかげで顔は浮腫み、呂律もまわらなくなった。
記憶が混濁し、何度も何度も同じ話を繰り返すようになった。
そんな彼が、薬を断つと決断した。
海は喜んだ。しかし。
それがあまりにも無謀な賭けだったことを、今更ながらに理解した。
大地はこの半月、ほとんど眠っていない。
今のように力尽き、気を失った時にしか目を閉じてない。
食事も摂れなかった。薬を断ってから9日、水以外口に出来なかった。
大地はまず、匂いに異常なほど敏感になった。
自宅から100メートル以上離れた場所にあるラーメン屋。窓を開けると、その匂いに嘔吐した。
薬によって麻痺していた嗅覚が、薬を断ったことで急速に過敏になったから。そう浩正が言っていた。
おかげで食事を出しても、吐くようになった。
毎日体重を測っていたのだが、9日で11キロも減ってしまった。
そんな大地に涙した。
しかし大地は、
「どうだ? 浮腫みも取れてきたし、だいぶ元に戻ってきたんじゃないか?」
そう言って笑った。
海は抱きしめることしか出来なかった。
体中の血管に、虫が湧いている。
初めて聞いた時、言ってることが理解出来なかった。
大地が服を脱ぎ、ベッドの上で悶絶する。
体中に爪を立て、唸り声を上げる。
数日もしない内に、大地の体はミミズ腫れで真っ赤になった。血が滲んだ。
「痒い、痒い! おかしくなりそうだ!」そう叫び、身悶えた。
風呂に入ると、シャワーの刺激に全身を震わせた。
「怖い、怖い」と涙した。
海は大地を抱きしめ、「大丈夫、大丈夫だよ。私がついてる」そう言って励ました。
頭痛はまだ続いている。だが、吐く回数は確実に減ってきていた。
頭痛が酷くなると不機嫌になり、投げやりな顔で煙草に火をつけた。
煙草を吸う方が酷くなるのに。それぐらいは自分にも分かる。
そう思い大地に言ってみたのだが、大地は顔を強張らせて怒鳴った。
「これぐらい好きにさせてくれ! 酷くなることぐらい、言われなくても分かってる! でもこうでもしないと、イライラして気が狂いそうになるんだよ!」
今まで見たことのない、憎悪に満ちた視線。
海は慌てて謝るのだった。
そしてしばらくして。
大地は涙を流し、「ごめん……海は悪くないのに……海の言ってることが正しいのに……」そう謝った。
そんな大地に海は、「大丈夫、分かってるから」そう言って微笑んだ。
「見捨てないでくれ……お前に見捨てられたら俺、本当に一人になってしまう……」
泣き崩れる大地を抱きしめ、海は思った。
普段ならこんなこと、絶対口にする人じゃない。
弱音を吐かないことが美徳、そう言ってもいいぐらい、大地はいつも強がっていた。
その大地が子供のように泣きじゃくり、自分に哀願している。
今の大地はそれぐらい苦しく、そして追い込まれているんだ。そう思った。
眠れない大地を放って、自分だけ寝ることなんて出来ない。
そう思い、栄養ドリンクを飲んで大地に付き合った。
そして半月が過ぎ。
今、大地はベッドで眠っている。
何度も見た光景。戦い疲れ、気を失っている大地。
しかし、今日の大地は少し違うように感じた。
寝息が静かで安定してる。
いつものように眉間に皺を寄せ、苦しんでいるようには見えなかった。
大地によると、薬を断ってから毎日、悪夢を見るようになったらしい。
父親に殴られ、泣きながら逃げている夢。
同級生から冷たい視線に晒され、トイレに隠れて泣いている夢。
そのトイレのドアを蹴破り、教師が恫喝してくる夢。
夢の中の自分は無力で、ただただ怖いだけなんだと言っていた。
そんな夢にうなされ、いつも苦しんでいたのに。
今の大地は、本当に穏やかな顔で眠っている。
そう思うと勇気が出てきた。
大地は確実によくなっている。ゴールは近い。
海は微笑み、大地に寄り添い目を閉じたのだった。
「浩正さん。大地、よくなってきてます」
興奮気味に海が話す。
「確かに、かなり落ち着いてきたようですね」
ベッドで眠る大地を見つめ、浩正が答える。
「そうなんですよ。だから私、嬉しくて……少しずつだけど、ご飯も口に出来るようになってきましたし、今まで頑張ってきたことが、やっと報われるのかなって思ったらテンション上がっちゃって」
涙ぐみ、笑顔を見せる海。しかし海は、浩正の反応が微妙だと感じた。
いつも通り、穏やかな笑みを浮かべ、何度もうなずく。しかしその瞳には、言い様のない不安が宿っていた。
「何か……気になることでもあるんですか」
「ああいえ、大丈夫ですよ」
「嘘……ですね」
そう言って、真顔で浩正を見つめる。
「弟さんも含めて、これまで大地のような人を何人も見てきた。そう言ってましたよね」
「……」
「そんな浩正さんは私にとって、誰よりも信頼できる相談相手なんです。大地の症状、ひとつひとつに的確に答えてくれるたびに、そうなんだ、みんななることなんだ。前例がある、それだけで安心出来る、そう思ってたんです」
「そうですね」
「でも……浩正さん、何か隠してますよね」
「それは」
「お願いします浩正さん。何を聞いても私、動揺したりしません。大地の身に、何か起こってるんですよね。教えてください、お願いします」
そう言って頭を下げる。そんな海に浩正は息を吐き、「……分かりました」とうなずいた。
「禁断症状のピークは過ぎてます。今の大地くんの様子を見るに、あとしばらくでその呪いから解放されると思います」
それが本当なら、こんなに嬉しいことはない。苦しまない大地にもうすぐ会える、そう思うと心が躍った。
しかし浩正の瞳が。声が。そうではないんだと告げていた。
「海さん、よく聞いてください。これは終わりじゃありません。始まりなんです」
その鋭い視線に、海は恐怖した。
始まりって……どういうこと?




