055 新たなる誓い
「完全に……壊れる……」
「薬物によって、抗う意欲を根こそぎ排除する。それは言い方を変えれば、絶望して全てを諦めることなんです。
すいません。煙草、構いませんか」
海がうなずくとライターを持ち、火をつけた。
「……青空さんの煙草、まだ吸われてるんですね」
「ええ……日常的に吸っている、というのではないのですよ。ただこうしてると、不思議と心が落ち着くんです。青空さんがすぐ傍にいるようで」
「……」
浩正の言葉に海がうつむく。
大地のことがあって。自分の容量が一杯で、すっかり失念してた。
ある意味、この人も絶望してるんだ。青空さんを失って。
この人があまりにも強いから。そこに思いを巡らせることが出来てなかった。
「僕は別に、強くないんですよ」
心を読まれた、そう思った。
「青空さんを失って……僕自身、進むべき道が見えなくなりました。どれだけ頑張っても、夢を実現したとしても。そこに青空さんはいないんですから」
「……ごめんなさい……そんな当たり前のことも考えられなくて……」
「いえ、海さんが自然に接してくれているからこそ、僕は正気を保ててるんだと思います。それにこう言ったら悪いですが、大地くんがこうなったことで、一人自問する暇もありませんので」
車内を煙草の煙が舞う。
「ただ僕は……青空さんに笑われたくありませんし、失望されたくないんです。その思いがあるから、今もこうして踏みとどまっているんだと思います」
「……」
一体どれだけの経験を積めば、ここまで強くなれるんだろう。
この人はこれまで、どれだけの涙を流してきたんだろう。そう思った。
そして。
そんな彼が、大地はもう手遅れだと言った。
その言葉はどんな真実よりも重く、海の心に響いた。
「大地くんの話に戻りましょう。そういう訳で、僕は以前の大地くんに戻る可能性は低いと思っています」
「……はい」
「ですが、可能性はゼロじゃない、そうも思ってます」
「……」
限りなくゼロに近いってこと、なんだな。海が窓の外を見つめ、小さく息を吐いた。
「でも海さん。それが重要なんです」
「え……」
「僕がこう言ったことで、海さんの中には絶望が渦巻いていると思います。大地くんが無事退院出来たとしても、それは以前の彼じゃない。隙を見つけて死のうとするか、その意欲すら削がれた廃人となっているか。
そんな大地くんに、これからどう向き合っていけばいいのか分からない、そう思ってますよね」
「……はい」
「ですがゼロじゃない、ゼロじゃないんです」
「……」
「可能性は低いです。僕自身、淡い希望を抱いて弟を迎えましたが、それがすぐ絶望に変わりました。そんな僕が何を言っても、説得力に欠けると思います。でも海さん、もう一度言います。ゼロじゃないんです」
「……浩正さんは私に、どうするべきだと思ってるんですか」
「すいません。それは僕にも分かりません」
「そう……ですか……」
「大地くんは僕じゃありません。考え方も価値観も、何もかもが違う存在です。僕には有効な手段でも、大地くんに当てはまるとは限りません。
でもだからこそ、他の誰に当てはまらなくても、大地くんには意味を成すことが必ずあります。そしてそれは、彼のことを誰よりも想っている海さん、あなたにしか出来ないことだと思ってます」
「私に……だけ……」
「ええ。ただそれには覚悟がいります。それもただの覚悟じゃない、命を賭けた覚悟です」
「……」
「今の海さんになら、言っても大丈夫だと思います。海さん、どんな悩みも苦しみも、自分のことなら大したことはないんです」
「どういうことですか?」
「弟の心が蝕まれている時、気付いたことです。自分の悩みなら、諦めるという選択肢、逃げ道があります。別の何かで代用することも出来ます。でも、自分にとって大切な人の悩みとなると、その理屈が通用しないんです。
大切な人が苦しんでいる。どれだけ励ましても、勇気を持ってほしいと願っても、相手がそう思ってくれなければどうすることも出来ません。諦めることも出来ません」
そう言われて。
海は思った。
裕司の時、確かにそうだった。
自分がどれだけ哀しもうと、絶望しようと。何も変わらなかった。
運命に抗おうとした。世界を憎んだ。自分が変わってあげたい、そう願った。
諦めることが出来なかった。
しかしそれが自身の悩みになった時。自分は全てを諦めて、死という形で区切りをつけようとした。
確かにそうだ。自分の悩みなら、自分で解決出来る。
それが例え、命を捨てることであったとしても、その悩みからは解放される。
今の状況も同じだ。私は大地を諦められない。どんな代償を払っても大地を助けたい、救いたいと思っている。そしてそれが出来なくて、自身の無力さを痛感している。
そう思うと、自分が背負っていた悩みが軽く思えてきた。
「そうは思いませんか」
信号待ち。浩正がそう言って、穏やかな笑みを向けた。
「浩正さん……」
本当にすごい人だ。
大地のことを通じて。
改めて今、私の中でまだ燻ってる迷いを打ち砕いてくれた。
自分の悩みなんて、大地のことに比べたら大したことないでしょう? そう諭されてしまった。
悩みを一段高いところに置き換えた時。どれだけ些細なことで悩んでいたか分かるんだ、そう思った。
「今の大地くんにとって、唯一の希望は海さんです。今の彼が気付いてなくても、魂の深いところではそう思ってるはずです。
大地くんを救えるのは僕じゃない、青空さんでもない。海さん、あなたなんです」
海は微笑んだ。
涙が頬を伝った。
「……そう、ですね……私しか、大地を救えないんですね……」
そんな海を見つめ、浩正が静かにうなずいた。
「ありがとうございます、浩正さん。何が出来るか分からないけど、私、頑張ります」
「その為にも海さん自身、体力を戻しておかないと。それが気力にもつながりますから」
「あはははははっ、そうですね」
笑うとまた、涙がこぼれた。
「僕も協力します。一緒に彼を守りましょう」
「はい!」
そう言って大きくうなずき、海は拳を握った。
さっきまでの重い気持ちが嘘のようだ。
今、心が躍動している。
誓いの躍動だ。
そしてこの誓いは、自分との誓いなんだ。
大地との、浩正さんとの。青空さんとの誓いなんだ。
裕司、両親、叔父さん夫婦。
これまで私を守ってくれた、全ての人との誓いなんだ。
そう思い、海は涙を拭き、窓の外に視線を向けた。
その目にはもう、迷いはなかった。
絶望は映ってなかった。




