053 隔離病棟
女性看護師の先導で、海と浩正は大地の病棟に向かった。
エレベーターで最上階に着くと、扉の前で看護師がカードをかざし、解錠の音が響いた。
看護師が扉を開ける。すると中から一人の女が現れ、海とぶつかった。
「ちょっと、そこにいると邪魔でしょ」
「あ、はい……ごめんなさい」
海がそう言って、慌てて道を譲る。その女の腕を看護師がつかんだ。
「何よ! 離しなさいよ!」
女が看護師を睨みつける。しかし看護師は動じることなく、平坦な口調で言った。
「どこに行くんですか木村さん。こっちは駄目ですよ」
そう言って強引に中に連れ戻す。
「早く入ってください」
抵抗する木村を押さえつけて、海と浩正にそう告げる。
二人が中に入ると扉を閉め、ロックされたことを確認し声を荒げた。
「何やってるの! 木村さん、また出ようとしてたわよ!」
その声に、詰所から若い男性看護師が慌てて駆けつけてきた。
「すいません、ちょっと目を離した隙に」
「気を付けてよね。この人、もう何回も離設してるんだから」
男性看護師が何度も頭を下げ、抵抗する木村を中に誘導していく。
「今のようなことがありますので、中に入る時は気を付けてください」
海たちの方を向き、女性看護師がうんざりした表情でそう言った。
「道を開けるなんてこと、二度としないでください」
「あ、でも……私、あの人が誰なのか知らなかったので」
「ここでああいうことをするのは患者さんだけです。彼らは狡猾ですので、あの手この手で私たちを騙し、ここから出ようとします。ですのでどうか、騙されないようにしてください。入る時も出る時も、私たち以外は絶対通さないように注意してください」
厳しい物言いに怯えた表情を浮かべ、海は「……分かりました」そう答えたのだった。
中は大きく分けて三つのブロックになっていた。
真ん中に施錠された詰所があり、全体を見渡せるようになっている。その周りにベンチが設置されていて、患者たちはそこに座り、テレビを観ていた。
詰所から見て右側が男性病棟、左側が女性病棟になっていた。夜間になるとシャッターが降り、行き来出来ないようになっていた。
患者たちが海たちを物珍しそうに見つめる。
一人の男が浩正に、「煙草、煙草くれ」と言い寄ってきた。
「煙草の時間はまだでしょ。さっき吸ったばかりじゃない」
看護師が冷たく言い放つと、男が憮然とした表情で立ち去っていく。
老若男女、様々な人が入院していた。
こんなところで大地、うまくやっていけるのかな。そんな不安が脳裏をよぎった。
「清水さんにはしばらく、こちらで過ごしてもらいます」
そう言って案内された場所は、詰所に入って奥に進んだところにある、隔離された部屋だった。
後で聞いた。ここは保護室と呼ばれる、いわゆる隔離部屋だった。
「……」
鍵を開けて中に入ると、そこは8畳ほどの部屋になっていた。
「大地!」
布団で眠る大地を見て、海が叫ぶ。
「大地、大地!」
何度か肩を揺らし声をかけるが、大地は全く反応しなかった。
「かなり興奮されてましたので、少しきつめの注射をしてます。明日の朝までは眠ってると思います」
「大地……」
冷たい物言いが胸に刺さる。しかし今、自分に出来ることは何もない。そう思い、大地の髪に指を通し、肩を震わせた。
「……」
改めて部屋を見渡す。
全面コンクリートで覆われた、何もない部屋。
布団はベッドではなく、床に設置された台の上に直接敷かれていた。そして枕元に、用を足す為のスペースがむき出しで設置されていた。
そのトイレには便器がない。ただ排水溝があるだけだった。
どうして便器がないのか。それは、患者が蹴ったりして壊してしまうからだとのことだった。
長い時間ここにいると、頭がおかしくなりそうだった。どうしてこんなに息苦しいんだろう。
そしてそれが、「何もない」からなんだと思った。
高さ2メートルほどのところにある小窓が、唯一外の世界を認識できる設備だった。
まるで牢屋だ。そう思っている海の耳に、女の怒鳴り声が聞こえてきた。
「ふざけんな! 出せ、出せよ!」
それはこの部屋に隣接する、もうひとつの保護室から聞こえていた。
怒鳴り声と共に、壁を蹴る音が響く。
「岩木さん、静かにしてください。あんまり暴れてると、またお注射しますよ」
「うるせえババア、黙ってろ!」
看護師の声に反応し、女が興奮気味に壁を蹴る。
「……とにかく、ここでしばらく様子を見る予定です。状態が安定すれば、一般病棟の方に移動することになりますが、一週間はここになると思っていてください」
「こんなところに一週間……」
「ご家族にとって、これが辛いということは理解してます。ですがまず、患者さんの状態を安定させないことには、次のステップに進むことが出来ないのです。ご理解ください」
「そう、ですね……すいません、分かってます」
「それから、先生がお話ししてたかもしれませんが」
そう言ってバインダーの書類に目を通す。
「一週間は面会出来ませんので」
その言葉に、息が止まる思いがした。
「どういうこと……ですか」
「清水さんにはこれからしばらく、集中投薬を行います。その理由はお聞きですよね」
「は、はい……大地の中にある、死にたいという願望を抑える為に必要だと」
「その処置をしてる間は、なるべく外の情報を入れないようにしているんです。複雑な環境から完全に隔離して、心の安定だけを目的とした治療をする。ご家族との接触があれば、その効果が半減してしまうんです」
「そんな……」
「先生の許可が下りるまで、しばらくは我慢してください。これも患者さんの命を守る為なんです」
「……私が大地の治療に邪魔だってことですか」
看護師を睨みつける。
しかし看護師は表情ひとつ変えず、「そういうことになります」そう言い放った。
そんな看護師の態度に怒りを覚え、海が看護師に詰め寄ろうとする。しかし浩正に制され、唇を噛んで肩を震わせた。
「とにかくそういうことですので。よろしくお願いします」
そう言ってドアを開ける。
海は大地の元に跪き、そっと頭を撫でた。
「大地……ごめんね、ずっと傍にいるって約束したのに……一週間も大地に会えないなんて、寂しいよ……
ねえ大地、早く元気になってよね……私、大地と一緒にしたいこと、まだまだいっぱいあるんだから……それに大地がいないと私、一人で寝ることになるんだよ? それがどれだけ寂しいことか、大地が一番よく分かってるじゃない……
だから大地、早く戻って来てね。私、待ってるから」
涙が頬を伝った。
「すいません、早く出てほしいんですが」
看護師の冷たい物言いに拳を握り、海は大地の頬を撫で、ゆっくりと立ち上がった。
「すいません、お待たせしました」
浩正に支えられ、保護室から出る。
ホールでは患者たちが銘々に喋り、叫んでいる。
その喧騒に海は思った。
ここにいて、本当に大地はよくなるの?
ひょっとしたら私、とんでもない選択をしたんじゃない?
そんな不安を瞳に宿し、海は病棟を後にした。




