040 戸惑い
「疲れたー」
12月24日、クリスマスイブ。
帰宅した海が、そう言ってベッドにダイブした。
「今日はお客さん、ほんと多かったよね」
「まあ、嘘でもイブだからな。外でお茶したい人も多かったんだろ」
「明日も忙しいんだよね」
「老人ホームの利用者さんを招待してるからな、それなりに忙しくなると思うぞ」
「中山さんも来てくれるかな」
「ははっ。海、中山さんのこと気にいったみたいだな」
「だって中山さん、胃ろうで何も食べられないのにニコニコしてて。こんな私にも優しくしてくれるんだから」
「確かにな。俺にはあんな顔、見せてくれたことはなかったよ」
「なになに大地、嫉妬?」
「90歳越えの人相手に、嫉妬も糞もねえだろ」
「ふふっ、そうなんだ」
「ちなみに海、忙しいのは明日で終わりじゃないからな。明後日からは正月準備があるし、年が明けたら青空姉の結婚式もある」
「22日だったよね。青空さんの誕生日の3日後」
「その後だって、新婚旅行で3日店を任されてるんだ。しばらくゆっくり出来ないぞ」
「分かってる、分かってるって。でもとにかく、今日は疲れたー」
両手を伸ばし、思いきり伸びをする。
「大地はどう? 疲れてない?」
「いつものことだからな」
「そうなんだ。やっぱ大地、男の子なんだね」
そう言って微笑むと、大地は照れくさそうに顔を背けた。
海に告白されてから、数日が過ぎていた。
あれ以来、海はその話をしてこない。ただ、明らかに態度が変わっていた。
笑顔が多くなった。それも自然な笑顔だ。
青空はそのことを、裕司の呪縛から解放されたからだと言った。
「呪縛って……青空姉、裕司を悪霊みたいに言ってやるなよ」
「実際そうなんじゃない? 彼のおかげで海ちゃんは、この世界で幸せになることを放棄した。そして一日も早く、彼の元に行きたいと願っていた。それってある意味、呪いと同じじゃない?」
「そうかもしれないけど、それにしても例えが悪すぎる。海が聞いたら怒るぞ」
「これ、海ちゃんから聞いたんだよ?」
「……マジか」
「うん、マジ。笑いながら、涙を浮かべながらね。こんなことを考えてしまう私は、本当に酷い女なんだと思う。でもそう思わないと私、次の一歩を踏み出せないんですって言ってた」
「……そうか」
全てを捧げた男を呪いと言い放つのに、どれだけの葛藤があっただろう。勇気がいったことだろう、そう思った。
しかしそれは、裕司と過ごした日々を過去として清算した証とも言えた。
海は今、間違いなく未来を見ている。
問題なのは、未来で彼女の隣にいるのが自分だということだ。
初めての告白。異性から、初めて向けられた好意。
その事実に動揺した。狼狽えた。
そんな大地に対し、海は着実に仕掛けてきていた。
スキンシップが多くなった。
露骨にすり寄ってくる、そんなことはない。自然に、まるで何十年も連れ添ったパートナーのように寄り添ってきた。
それが大地を混乱させた。
こういうのには全く免疫がない。いっそのこと、下心満載で仕掛けられる方が対処出来る、そう思った。
「ねえ大地。そんなところに突っ立ってないで、あんたもこっちにおいでよ」
ベッドに寝そべったまま、隣を叩く。
「いやいや寝ないから。と言うか風呂が先だろ。俺、お湯はってくるから」
「ボタン押すぐらいで大袈裟に言わないの。押したらこっち、来てよね」
そう言って意地悪そうに微笑まれ、また動揺する。
完全に弄ばれている、そう思った。
そして、そのことに動揺してるものの、不快に感じてない自分にも困惑していた。
俺は海に対し、特別な感情を持っていない。だが、彼女との生活を心地よく感じているのも事実だった。それが不思議だった。
海は変わった。死んで裕司と再会することを捨て、生きることを選択した。
その選択にどれだけの勇気と覚悟がいったか、想像しなくても分かる。
その彼女の覚悟が、自分にも伝染してると言うのか?
青空の言葉を思い出す。
「大地。あんたは確実に変わってきている。海ちゃんとの出会いは、あんたにとっての希望だ。だってあんた、海ちゃんのことを信じ始めてるじゃない。昔のあんたならそんなこと、死んでも思わなかったはずだよ」
本当にそうなんだろうか。
青空姉以外の人間を、俺が信じてる?
俺のようなサイコパスに、そんな資格があるのか?
俺はこの世界のノイズ。さっさと退場するべきだ、ずっとそう思っていた。
しかし青空姉が言う様に、海と出会ってからの俺は確かに、肩の力を抜いて生きているように思う。
誰に何を思われようがどうでもいい、そう思って生きてきた。
ただ、海に対しては違った。常に彼女を観察し、彼女が今何を感じてるか、何を望んでいるか。そんなことを考えている自分がここにいる。
そういう人間じゃなかったはずなのに。
こいつと出会ってから本当、調子が狂いっぱなしだ。
そう考える中、ひとつの疑問にぶつかった。
――そう言えば俺、最後に死にたいって思ったのはいつだ?
海のおかげで実行出来ず、面倒をみてやることにして。こいつが死ぬまでは生きてやると約束した。
でも最初の頃は、いつも早く死にたいと思っていた。
こいつ、さっさと死ねばいいのに。そうすれば、何の憂いもなく死ねるのに。そう思うことすらあった。
それが、彼女と同じ時間を重ねていくにつれ。いつの間にか死を考えないようになっていた。
これが変化なのか?
そしてそれは、海と出会ったからなのか?
俺は、俺は。
生きることを望んでるとでもいうのか?
そして海のことを受け入れ、意識してると言うのか?
「いいから大地、早くこっちに来なさいってば。じゃないと、私の方から行っちゃうよ」
「……あまり駄々をこねないでくれ。そういうのが苦手だってこと、分かってるだろ」
「そういうこと言うんだー。じゃあもっと言ってあげる。大地、こっちにおいでってばー」
「勘弁してくれ……」
微笑む海を直視できず、大地は慌てて風呂場に向かった。
おかしいだろ、俺。
こんなの俺じゃないだろ。
そう思い、何度も首を振った。




