004 一人は嫌だ
「……はい?」
「だから、大地の家に泊めてって言ってるの」
「……」
こいつ今、何を言った?
カップを置き、海を見る。
冗談を言ってる顔には見えなかった。
「いやいやいやいや、おかしいだろ。自分の家に帰れよ」
「私の家、解約してるから」
「……」
「逃げられない状況にしないと覚悟も出来ない、そう思ったから」
「いやいや、それならホテルにでも泊まれよ。金はあるだろ」
「そうね。お金はそこそこ持ってるわ」
「ならそうしろ。何で出会ったばかりの男の家に泊まるんだよ。その発想おかしいから」
「おかしくなんか……ないって言ったら?」
「いやいやいやいや、おかしい、おかしいから。あと、その小動物が餌をねだるような顔で俺を見るな。お前ずるいぞ」
「だって……寂しいんだもん」
「もん、じゃねえよ。寂しいってんならぬいぐるみでも買って抱いとけ。見ず知らずの男の家に泊まるだなんて、何考えてんだよお前。男なら誰でもいいのかよ」
「そうだよ」
海が真顔で答えた。躊躇なく。
その言葉に大地の顔が強張った。
「誰でもいい、そばにいて欲しいの。一人でいるのは……もう嫌だから。辛いから」
濡れた瞳を見せないよう、海がうつむく。その姿を見て、大地はようやく海の本当を見れたような気がした。
でも。
「……大切なパートナーを失ったんだ。辛いし寂しいだろう」
レシートを手に立ち上がる。
「でも、それとこれとは話が別だ。俺は海のパートナーじゃないし、保護者でも友達でもない。それに今日会ったばかりの女を泊めるほど、肝の据わった男でもない。悪いがその要求には応えられない」
大地がそう言うと、海は涙を拭い、小さくうなずいた。
「そうだよね……我儘言ってごめんなさい。今の言葉、忘れて」
「ああ」
支払いを済ませ外に出ると、海は大地に頭を下げた。
「ごちそうさまでした。それからその……飛び込むの、邪魔しちゃってごめんなさい」
海の態度に面食らった大地だったが、それを悟らせないよう努めて静かに答えた。
「いや、その……それはお互い様だ。見方を変えれば、俺も海の邪魔をした訳だし。だからまあ、ごめんな、海」
「うん……」
「これからどうするんだ? この辺は分かるのか? ここまで付き合ったんだ、泊まる場所、一緒に探しても」
「ありがとう。大地はほんと、優しいね」
「いや、これぐらい優しくなくてもするだろ」
「ふふっ、そうなのかな。でも……うん、ありがとう。一人で探すよ」
「……そうか」
「うん……じゃあ大地、元気でね」
「死にたい者同士でする挨拶じゃないけどな。でもまあ、そうだな。海も元気でな」
「うん。じゃ」
「ああ」
笑顔で手を振り、海が背を向け歩き出す。
その後姿が見えなくなるまで、大地はその場に留まった。
「ほんとにいいのか? 後でやっぱり嫌だ、なんて言わないよな」
「言わないってば。今晩一緒にいてくれるなら、私に何してもいいよ」
繁華街の路地裏で。
海がサラリーマン風の男と話していた。
「でもなあ、話がうますぎるだろ。ホテル代も払ってくれて、その上タダで抱いていいだなんて、どっかに男が隠れてるんじゃねえのか? 美人局なんかと疑っちまうぜ」
「ほんと、そんなんじゃないってば。私の望みはただひとつ、今晩一緒に寝てほしいってだけなんだから」
警戒心と肉欲を天秤にかける男の股間を、海がそっと撫でて微笑む。
その仕草に男の天秤が一気に傾き、ニヤニヤしながら海の尻を撫で、酒臭い息をかけた。
「行こう? 続きはホテルで」
「ははっ、なんだよこれ。ラッキーすぎるだろ」
海の肩を抱き、男がホテル街へと足を向ける。その時だった。
「おい」
背後からの声に振り向くと、そこに大地が立っていた。
男の存在を全く無視し、大地が呆れ気味にため息を吐く。
「何してるんだよ、お前」
「大地……なんでここに」
「それはこっちのセリフだ。何だ? 10分遅刻しただけで他の男に言い寄ってるのか? 俺に対するあてつけか?」
「え……」
「なんだお前、この女と知り合いか?」
サラリーマンが憮然とした表情で大地を睨みつける。
「やっぱりお前ら、美人局か」
「そんなんじゃねえよ。と言うか、そんな気がしてるんだったらやめとけよな」
「ふざけんな!」
言葉と同時に大地を殴る。衝撃で大地が後ろに吹っ飛んだ。
「きゃあああああっ! 大地、大地!」
「お前もだよこの売女、馬鹿にしやがって!」
そう言って腕をつかみ、海の横面を張ろうとした。咄嗟に大地が割って入り、もう一発見舞われる羽目になった。
「ふざけんな! 二度とその面、俺に見せるな!」
そう吐き捨て、男が足早に去っていく。
海は跪き、大地を抱きかかえた。
「ごめん、ごめん……」
「大丈夫だ、心配すんな」
「心配……するわよ! 大体なんでここにいるのよ!」
「そのセリフ、そっくりお前に返すよ。て言うか海、ちょっと離れてくれ。立ちたいから」
「あ……ごめんなさい……」
「それから」
そう言って、指で海の涙を拭った。
「こんなことでいちいち泣くな」
「だって……」
「こんなもん、屁でもないよ」
そう言って立ち上がると、土を払い海の手を握った。
「え……大地?」
「行くぞ」
「行くって……どこに」
「いいからついてこい」
そう言って力強く握ると、海は一瞬頬を赤らめた。
そしてしばらくして、
「うん……」
うなずき、大地と共に歩き出した。