031 信じるという鎖
「素敵……」
海が目を輝かせた。
「素敵かどうかは知らないけど、そうして青空姉は無事、社会復帰を果たした」
「大地はいつからとまりぎに?」
「俺はかなり後になってからだ。まあそれまでも、ちょくちょくヘルプで入ってたけどな」
「そうなんだ……そして青空さんは、浩正さんに告白されて」
「いや、告白は青空姉からだ」
「そうなの?」
「ああ。それも電光石火だったぞ。いつしたと思う?」
「いつって、それはやっぱり相手のことを知ってからになるから……半年後ぐらい?」
「出会ったその日だ」
「ええええっ?」
「あの日、家に浩正さんを連れてきて。仕事の話を色々聞かされて、青空姉は益々やる気になってた。まあ、その前にもう決めてたみたいなんだけどな。それで一緒に酒飲んでる時に、俺の目の前で告白しやがった」
「……ほんと青空さん、アグレッシブだね」
「いやいや、そんないいものじゃないから。弟の目の前で告白する女なんて、聞いたことないぞ」
「それで浩正さん、オッケーしたの?」
「ああ。それにもびっくりしたけどな」
「何と言うかほんと、面白い人たちね」
「変わり者ってだけだよ」
そう言って苦笑し、新しいビールを冷蔵庫から取り出した。
「それで半年後、青空姉は浩正さんの家に転がり込んでいった」
「同棲ってこと?」
「ああ。それまで何度も泊まりに行ってたからな、時間の問題だと思ってたよ」
「そうなんだ」
「もう大地は大丈夫、そう言って笑いながら出て行きやがった」
そう言って笑う大地を見て、こんな笑顔も見せるんだ、そう海が思った。
そして同時に。
胸が高鳴るのを感じた。
「青空姉、それからどんどん元気になっていったよ。フラッシュバックの回数も減って、笑顔も多くなっていった。それに……信じられないかもしれないけど、ああ見えて青空姉、実は人見知りなんだ」
「ええっ? ほんとに?」
「ああ。だからあの頃は本当に大変だった。取引先とのやり取りとか、青空姉が一番苦手なやつだから。でもそれも、浩正さんがうまくサポートしてくれてたよ。
青空姉、浩正さんの役に立ちたい一心で、人見知りを克服しようと頑張ってたよ。勿論、最初の頃はかなり無理してやがったけどな、でもそれを続ける内に、いつの間にかそれが青空姉の本質に変わっていった」
「なんか……すごいね」
「そうだな。我が姉ながら、よく頑張ったと思うよ」
「青空さんだけじゃないよ」
「浩正さんか? あの人は別格だよ、別格」
「そうじゃなくて。もう、なんでとぼけるかな」
「とぼけてなんかいないだろ。他にすごいやつなんて」
「大地もだって言ってるの」
「俺? いやいや、俺は大したことないだろ。実際何もしてないし」
「何もしてないことないよ。青空さんのことだって、立ち直るまでずっと見守っていた訳だし」
「立ち直れたのは浩正さんのおかげだよ」
「勿論それもあるんだけど、でも青空さん、大地が傍にいてくれたからこそ、それまで頑張ってこれたんじゃない」
「俺には何の力もないよ。ただ環境を受け入れて、適当に生きてるだけだ」
「またそんなこと言って……今の青空さんがいるのは、大地のおかげなんだよ」
「見てきたように言うなって」
「それぐらい分かるわよ。ある意味青空さん、大地に依存してたんだから」
「……」
なんでそんなことが分かるんだ?
俺の話、そんな風に感じる要素はなかった筈だぞ?
そう思い、複雑な表情を浮かべた。
「全ては大地の為、そう言い聞かせて青空さんは頑張ってきた。それって逆に言えば、大地がいたから頑張れたってことじゃない。辛い時も泣きたい時も、一緒に幸せになるんだって誓いを何度も何度も思い出して。
もし大地がいなかったら、青空さんはもっと早く潰れていたと思うよ」
ビールを飲み、息を吐く。
「私だって……そうなんだから……」
その呟きは小さくて、大地の耳に入らなかった。
「……そろそろ寝るか」
「うん。話、聞かせてくれてありがとう」
「いや、俺も……初めて人に話して、なんだか楽しかったよ。こんなこと、お前と出会ってなかったら話すこともなかっただろうからな」
その言葉に、また海の鼓動が高鳴った。
「……」
相変わらず、大地は背を向けている。その背中に手を回し、海がしがみつく。
「今日はまた……随分がっちり抱き付くな」
「駄目?」
「いや。別にいいよ」
「……ねえ大地」
「どうした」
「私……いつまでいていいのかな」
「なんだよ改まって。言っただろ、死ぬ覚悟が出来るまでいいよ」
「そうなんだけど、そうなんだけど……私、本当にいいのかなって」
「……いいよ」
「……」
「前に言った通りだ。死ぬまでここにいればいい。死ぬ気になったら死ねばいい。それだけだ」
「……」
「それでもし、死なないって結論になるのなら、それはそれで構わない。それから先のことだって、お前が好きに決めればいいんだ」
「私が、私がって……大地はどう思ってるのよ」
「俺?」
「そう、大地の気持ち。大地はいつもそう。私の気持ち次第だって言ってくれる。全部私が決めればいい、自分はそれを尊重するって」
「悪いことなのか?」
「悪くない、悪くないんだけど……そこに大地の意思がないっていうのが、寂しいって言うか……大地が私のことをどう思ってるのか、それが分からなくて怖いって言うか……」
「……」
突然大地が向きを変え、海の方を向いた。
間近に大地の顔がある。
海は動揺し、目を伏せた。
「俺が海のことをどう思ってるか、正直よく分からない」
「……」
「何て言うか、そういう感情を持たずに生きてきたからな。勿論青空姉は別だけど、それ以外に対しては深く考えていない」
「浩正さんのことは」
「青空姉を幸せにしてくれる人、そういう認識だ。あと、人として尊敬してる」
「だけど信用はしてないと」
「なるほどな。そのことを根に持ってる訳だ」
「そんなこと……言ってない……」
「俺が人を信用しないのは、いくつかの理由があるからだ。それを説明しないでお前を信じてないって言ったから、かなり誤解させちまったみたいだな。
俺はな、海。信じるってことは、裏切るなよって強迫するのと同義なんだと思ってる。そして俺みたいな男は、信じたら求めすぎてしまう。自分の理想を押し付けてしまう。
だけど人には個性があって、それぞれ別の人格なんだ。当然行き違いも生まれるだろうし、求めるものだって違う。そうすると自分にとって、それは裏切られたと感じることに繋がってしまう。それが怖いんだ」
「よく分からないけど、青空さんはそれをクリアしてるの?」
「んな訳ねえだろ。青空姉だぞ? ある意味俺の理想の対極だ」
「じゃあどうして、青空さんのことは信じてるの?」
「それは何て言うか、青空姉は青空姉だからだ。そうとしか言えないし、仮に裏切られたとしても、俺の心が青空姉から離れることはない。それだけは確かだ」
「それってやっぱ、家族だからなのかな」
「どうなんだろうな。俺にもよく分からん。家族っていうなら、あのクソ親も入っちまうし」
「……」
「いくら家族でも、あいつらを信じるなんてあり得ない。だからやっぱり、青空姉をどうして信じてるのかは、自分でも分からない」
「結局大地は、私のことを信用してないんだよね」
「会った時よりかは、信じてるよ」
「……そうなんだ」
「ああ。だけど自分の中でセーブしてる」
「どうして」
「さっき言った通りだ。万一俺が信じちまったら、海が疲れるに決まってる。瞬間瞬間、俺の理想を押し付けられる訳だからな。俺にとって信じるってことは、相手を縛る鎖でもあるんだ」
「……大地って本当、面倒くさいね」
「だから俺みたいな欠陥品、一人で生きていく方がいいんだよ。と言うか、さっさとこの世界から消えるべきなんだ」
「でも、ね……私はそんな大地のこと、好きだよ」
「え……」
大地が声を漏らすと同時に、海が胸に顔を埋めた。
「……今なんて」
「なんでもない。と言うか大地、こっち向くのはルール違反じゃない? 駄目だよ、自分で決めたことは守らないと」
「あ、ああ、そうだな……」
困惑の表情を浮かべ、大地が壁を向く。その背中をもう一度強く抱きしめ、海が囁いた。
「大丈夫だよ、大地……今のは友達としての好き、だから……」
「そ、そうか……分かった……」
その言葉に安堵の息を吐き、大地が目を瞑った。
「今はまだ、ね……」




