011 初めてのことだらけで
ワゴン車の後部ドアが開き、スタッフが手際よく車椅子の利用者を下ろしていく。
大地と青空、浩正が手を貸すと、「今日もよろしくお願いします」と笑顔を向ける。
海はどうしていいのか分からず、その場に立ちすくんでいた。そんな海に気付き、大地が声をかけた。
「海はそこで待ってて。要領も分からないだろうし、準備が出来たら声をかけるから」
そう言われてほっとする気持ちと、何も出来そうにない自分に苛立ちを覚えた。
車椅子なんか、学生時代の体験授業で少し触った程度だ。どう動かしていいのかも覚えてない。下手に手伝って、事故でも起こしたら大変だ。
大地の言う通り、今自分に出来ることはない。そう思い、準備が整うのを待った。
「今日は中山さんも来られてるんですね」
最後に一台、異彩を放つストレッチャー型の車椅子がゆっくりと降ろされた。そこには中山と呼ばれた男性利用者が、車椅子に横たわった状態で乗せられていた。
「こんにちは中山さん、お久しぶりですね。体調、戻ったようで何よりです」
大地が声をかけると、中山と呼ばれた男が笑顔で手を上げた。
「大地くん。中山さんと山田さん、下川さんはお任せしていいですか。後の方たちは僕が誘導しますので」
「分かりました」
そう言って、大地が三人を運動場のテーブルへ誘導していく。
「青空さんと海さんは、残りのみなさんの誘導をお願いします」
「分かったわ」
青空がスタッフと共に、一人ずつ中に誘導していく。
「海ちゃん。そちらの方、大沢さんをお願い出来る?」
「え? は、はい!」
青空にそう言われ、海が反射的に答える。そして大沢と呼ばれた女性利用者の後ろに回り、慌てて車椅子を押した。
「ひゃっ」
突然車椅子を動かされた大沢が、手すりを握り締めて足を浮かせた。
「ご、ごめんなさい……大丈夫でしたか」
「うふふふっ、お嬢さん、初めてなのね」
「は、はい……すいません」
「うふふふっ、大丈夫よ。ちょっと驚いただけだから」
口の中がカラカラに乾いてきた。取っ手を握り締め、大きく深呼吸する。
「海」
そんな海の肩に手をやり、大地が声をかけた。
「大地……」
「悪い。説明もなしに任されても困るよな。俺がやるから見ててくれ」
「う、うん……お願い」
そう言って入れ替わると、大地は耳元に顔を近付け、声をかけた。
「大沢さん、動かしますね」
そう言ってゆっくり車椅子を動かす。先ほどとは違い、大沢は後ろにのけぞることもなく、笑顔で「ありがとう」と答えた。
大沢をテーブルにつけると、両サイドのブレーキを掛け、「じゃあお飲み物をお持ちしますね」と、もう一度耳元で声をかけた。
「大丈夫か?」
「うん……ごめん……」
「なんでそこで謝罪なんだよ。車椅子なんて、日頃から触ってないとあんなもんだ」
「でも……大沢さんを驚かせちゃったし」
「あれはな、初めて車椅子を動かす人間がよくやることなんだ。前に進むのは分かってる。でも突然動かされたら、利用者は本能的に身構えてしまう。
なんてことはないんだ。何かする前に一声かける、それだけで安心してくれるから」
「……そういうものなんだね」
「だーかーらー、いちいち気にすんなって。こんなのよくあることだし、悪意を持ってやったことでもないんだから」
「それは……分かってるけど……」
「初めてのことをする時は、誰だってこんなもんだ。大切なのは、次からその教訓を生かそうとする気持ちだ。それがあれば大丈夫だ」
大地のフォローが優しすぎて、温かくて。海の瞼が濡れた。
「おいおい、こんなことでいちいち泣くな。大丈夫だよ、こんなのすぐ出来ることだから」
「うん……ありがとう」
「ああでもひとつだけ、大事なことを言っておくな。多分海は今、初めてのことばかりで混乱してる。そういう時はな、どんな些細なことでもいい、経験者に聞くことだ。慌ててしまうと、どうしても自分で判断しようとする。それが大きな事故につながることもあるんだ。だから分からないことがあったら、まず俺に聞いてくれ」
「分かった。大地に聞くようにする」
「よし。じゃあ浩正さんの方、手伝ってくれるか? 今から飲み物とおやつを提供するから」
「大地は?」
「俺の担当は外のお三方だ。みなさんに提供が終わったら、海もこっちに来たらいいよ」
「分かった。そうするね」
海がそう言って微笑み、カウンターの方へと向かっていった。
その時男性利用者の福見が、意味ありげな笑みで大地に話しかけてきた。
「大地お前、いい出会いがあったみたいやな」
「なんですか福見さん。その顔、気色悪いですよ」
「ひひひっ。青春しとるみたいやな」
「だーかーらー、そんなんじゃないですって。そんなことより福見さん、あいつの尻とか触ったら駄目ですからね。福見さん、若い娘見たらすぐセクハラするんですから」
「んなことするもんか。わしは紳士じゃぞ」
「スタッフさんから色々聞いてますからね。ほんと、自重してくださいよ」
「世知辛い世の中になったもんじゃのう」
「いやいや、そういうのは昔も同じはずですから」
「しかしな、あれは中々にいい娘じゃぞ。少々頼りないし危なっかしいが、磨けば光るタイプじゃ」
「まあ、大手の人事部長だった福見さんがそう言うんだから、確かなのかもしれませんね」
「おうよ。わしの仕事は、人を見ることじゃったからな」
そう言って福見がニンマリと笑った。




