001 人生最後の日
11月5日。金曜の昼下がり。
男は駅のホームで待っていた。
通過する特急を。
長い間自問した。
生きる意味。理由を。
そして辿り着いた。
猛スピードで通過する特急に飛び込む。それが自分に残された、最後の仕事なんだと。
「まもなく3番ホームを、特急が通過します」
アナウンスが聞こえ、静かに立ち上がる。
顔を上げると、雲ひとつない青空が広がっていた。
男は自虐的な笑みを浮かべ、ゆっくりホームへと歩を進めた。
その時だった。
「ちょっとあんた!」
突然腕をつかまれ、男はバランスを崩し転びそうになった。
誰だ、こんなタイミングで声をかけてくる馬鹿は。
やっと定まった決心が揺らぐだろうが。
そう思い、男は振り返り憎しみのこもった視線を向けた。
「あんた、次にしなさいよ」
腕をつかみ、自分をまっすぐ見つめる邪魔者。
それは年の頃20代の、若い女だった。
「次ってなんだ? 意味が分からないぞ」
「だから、飛び込むのは次にしてって言ってるの」
「はああああっ? ますます訳が分からん。大体お前、誰なんだよ」
「誰だっていいでしょ。とにかく私が飛び込むんだから、あんたは次の電車にしなさいよ」
「いきなり人の腕をつかんでおいて、何好き勝手なことを言ってるんだよ。俺はこの列車に飛び込むと決めて、ここでずっと待ってたんだ。後から来たやつにとやかく言われる筋合いはないぞ」
「この電車じゃなきゃ駄目だって理由でもあるの?」
「ねえよそんなの。ある訳ないだろ」
「だったら譲りなさいよ」
「ならお前にはあるのかよ、この列車じゃなきゃいけない理由が」
「そんなものないわよ、当たり前でしょ。大体飛び込むなんて勇気がいるんだから、ベンチに座ってずっと決心がつくのを待ってたのよ。それでやっと決心がついて、最後にお手洗いを済ませて戻ってみれば、あんたが先に飛び込もうとしてた。割り込みよ割り込み。いいから私に譲りなさい」
「割り込みだろうが何だろうが、先に動いたのは俺だ。大体お前、この列車に決めたのは今だろ? 別にこだわりがある訳じゃないだろ? だったら俺の後にしろ」
「こだわりがあろうがなかろうが、とにかく私は今飛び込むって決めたの。男なら黙って譲りなさいよ。レディファーストでしょ」
「今から死ぬのに男も女もあるか。いいから離せよ」
「列車が緊急停止します。緊急停止します」
「え……」
「なっ……」
アナウンスに二人が声を漏らす。
視線を移すと、徐々に速度を落としていく特急が見えた。
二人のやり取りを見ていた誰かが、緊急停止ボタンを押したようだった。
「マジ……か……」
「あんなスピードじゃ死ねないじゃない……」
「そこの人! 何してるんですか!」
周囲がざわめく中、駅員がものすごい剣幕で近付いてきた。
「ヤバっ……」
そう呟いた女が、男の腕をつかんだまま出口に走っていく。
「お、おい! 何で俺まで」
「いいから! とにかく逃げるわよ!」
「あ、こらっ! 待ちなさい君たち!」
駅員が声を上げる中、男は女に引っ張られるように改札口に走っていった。
なんてこった。
俺、死に損ねたのか?
こんな訳の分からん女に邪魔されて。
と言うかおい! いい加減手を離せよ!
そう思いながら。