エピローグ1
あたしと神様は、二人で旅に出た。
最近、国で初めて敷かれた鉄道を使った旅で、あたしたちにとって初めての経験だった。
神様がどこまでも続くレールを見つめ、「まるで龍神だ」と言う。
あたしはシャーレーンの姿で過ごしたかったので、ボックス席で人目を避けて二人だけの時間を楽しむことにした。
あたしは窓の外を興味深そうに眺める神様に尋ねた。
「……神様、初めての乗り物だけど平気か?」
「平気か、とは?」
「魔道具で動く奴だけど、体調が悪くなったりしてねえか? こう……神様の権能に悪い作用を起こす、みたいな」
あたしは大丈夫だけど、魔道具の魔力に弱い体質の人や、乗り物酔いをしやすい人は具合を悪くする場合もあるという。神様は丈夫な男だけど、やっぱりちょっと心配だった。
だってほら、鉄道を敷いた人たちも神様を乗せて運行することなんて、想定してないだろうし。
心配するあたしに、神様は首を横に振って答えた。
「大丈夫だ。それはない」
「そりゃよかった」
「俺はただ、幸せなだけだ」
神様はあたしを見つめ表情を緩めた。
「シャーレーンと一緒にいる時間が、嬉しい」
「……そうか」
人間じみた表情にあたしはドキッとしつつ、照れ隠しに窓の外へと目を向ける。
目の前に広がるのどかな景色は、まるで絵画のようだ。
美しい田園風景が続き、心が落ち着いていくのを感じる。気忙しい日々から離れるのもいいな、と思う。
そう思ったところで、あたしは自分がそれなりに神経をすり減らしていたと気づく。
試験勉強、今後の悩み、ロバートソン商会長など複数人への身の上暴露。国を揺るがす大きな事件と、それにまつわる冒険と解決。そして試験と、合格。
――念願だった、父との邂逅。
「そりゃ、シャルテちゃんには荷が重いイベントばっかりだったな」
あたしは一人、呟く。
心を読める神様は、あたしの呟きを静かに受け止めていた。
それから――神様とあたしは、余計なことは何も話さなかった。
心の中では、綺麗だなとか、眠いとか、そんな他愛のない会話はしたけれど。
沈黙の時間が心地よい。
風が、気持ちよく吹き抜けていく。
◇◇◇
優雅な鉄道の旅を終え、とある駅で降りた後。
あたしたちはのどかな田園地帯を馬車で三日かけて進み、大きな湖にたどり着いた。
湖は海のように広がっていた。
まるで空と水面が溶け合っているかのようだった。
周囲には人の住む家は一軒もなく、ただただ、静かだった。
あたしたちは船着場の係に通行証を見せて、魔道具を動かす小舟に案内される。
その小舟は魔力で動く自動運転の仕組みで、湖牢に収監された者の逃走を防ぐために、人は一緒に乗れないようになっていた。
静かに水面を滑る小舟で、湖の中央へと向かう。
湖の中ほどにある四角い小さな建物が見えた時、あたしたちは湖牢の受付に到着したことを悟った。
湖牢は水底の地下に、深く深く、罪人たちを閉じ込めていた。
面会室でしばらく待った後、部屋を二分するガラスごしに女がやってきた。
あたしは片手をあげる。
「よお」
「……なんであんたがここにいるのよ」
ルルミヤが睨む。
彼女はボロボロになっていた髪をショートボブに整えていた。
くっきり左半分だけが白髪になっていて、それはそれで洒落た髪型に見えるのは、ルルミヤの容姿の特権だろうか。
真っ白な囚人服もどこか仮装のようにすら見えた。
しかし彼女は確かにここで、囚人として人生を続けている。
あたしは椅子に座ったまま、静かに伝える。
「あんたに会いたくてさ」
「わたくしを笑いに来たのッ⁉」
彼女はカッと目を剥いてガラスに近づく。
だが彼女の両手両足の枷が、ガラスを叩こうとする彼女を許さない。
腕を振り上げた瞬間、バチッと音を立てた。
「……ッ」
「模範囚なんだろ、こんなところで余計なマイナスつけない方がいいぜ」
「……ほんと、最悪だわ」
彼女は顔を顰めながら椅子に座った。
「久しぶり。少しは肉がついたみたいだな」
ルルミヤは今もまだ痩せていたが、回復しているように見えた。
「何よ、笑いに来たの、わたくしを」
「そういうんじゃないけどさ」
「……」
沈黙が続く。神様は基本的に自分から話さないので空気同然になっている。
ルルミヤは、あたしがシャルテではなくシャーレーンの姿で面会に来たことに驚いていない様子だった。
やはり、あたしがシャルテとして生きていることを悟っているのだ。あの王都の騒乱で、シャルテがシャーレーンだと気づいたのはルルミヤだけだ。
――皮肉な話だ。あたしの正体がわかるくらい、この女は。
「本当、あんたあたしのこと嫌いだよな」
「嫌いに決まってるでしょ」
ルルミヤは苛立ったようにこちらを睨む。
あたしはこうして面会しながら、不思議な気分だった。
同じ聖女同士だった時代にも、筆頭聖女だった時代にも、ルルミヤとこうしてまともに話したことはなかったように思う。
大抵はルルミヤの方から喧嘩をふっかけてきて、あたしが適当に流していた。
「……何がおかしいの」
つい笑ってしまったあたしに、ルルミヤが鬱陶しそうに言う。
「いや、なんでもないよ」
いい加減ルルミヤの堪忍袋が切れそうだ。
あたしは鞄から手紙を取り出し、ルルミヤに掲げて見せる。
ここで直接渡すことはできないが、見せることはできた。
「何それ」
「あんたに助けられたって連中が、手紙を書いてたよ」
「は?」
何を言ってるのかわからない。そう言いたげな怪訝な様子で、ルルミヤは片眉をあげる。そこでふとあたしは、ルルミヤの眉毛がほとんどなくなっていることに気づく。
やはり聖遺物を行使した体の負担は、そう簡単には回復しないらしい。
――こいつもしっかり取り返しのつかないことになってるんだなと、少し胸が痛む。
しかし同情を見せてやる義理もないので、あたしは片眉をあげて肩をすくめて言った。
「いや、いろいろあってさ。あんたがここで大人しくしてる間にね」
それから、あたしは看守に怒られない程度に、ここ最近起きた『聖女聖父の祈り』にまつわる顛末を話して聞かせた。
ルルミヤは神妙な顔をして話を聞いていた。
感じいっている顔にも見えたし、どうでもよさそうな顔にも見えた。
無表情で静聴するルルミヤを見ていると、この湖牢での日々が、彼女に穏やかさを与えているように感じた。
――ずっと、野心と欲望と承認欲求に塗れて生きてきた女だ。
もしかしたら、今が最も彼女にとって静かな日々なのかもしれない。
あたしはそう思いなら、話をまとめた。
たっぷり沈黙したのち、ルルミヤは視線を落とす。
「……感謝されたって、あたしの人生は破滅してるから意味ないわ」
「そうだな、あんたの人生は終わってるよ」
嘘はついても仕方ない。あたしは言う。
「でも、一度終わっただけだろ。湖牢の中でもできることはあるさ。そのための終身刑なんだから」
「……それはあんたが勝ち組だから言えるのよ。このハリボテ聖女が」
「あんただってあたしよりうまくやれてただろ? 自滅して不幸だと思ってるからって、あたしに八つ当たりすんなよ」
「あんたのそういうところ、わたくしはずっと嫌いだった」
「あたしは好きでも嫌いでもねえよ、あんたのことは」
手紙の束に目を落として、あたしは思う。
――ルルミヤのせいで人生が破滅した人がたくさんいる。
――ルルミヤがこれまでの人生でやった罪は、決して安易に許されることではない。
でも、彼女はこれから生きていく。
その中で罪を償って反省していく未来は、彼女にはある。
「少なくともあんたのおかげで、人生を取り戻した人も多少はいる。その人らにとってはあんたは一生忘れられない聖女だってこと、忘れんな」
「……何よそれ」
あたしも、結局、ルルミヤに何が言いたいのかわからない。
お綺麗なことを言ってると思う。
だけど――ルルミヤにこの事実は隠したくなかった。
「もちろん、あんたは救った人の数以上に何倍もの人に苦労させた。不幸にした。命も奪った。罪はチャラとはもちろん思わねえ。あたしはあんたの罪は憎んでいるし、あんたのことは嫌いだよ」
「……」
「ただ……あんただって、多少は人の役に立ったことはあるってこと、ちゃんと言っておきたかったんだ」
「上から目線で最低」
「あんたほんとそういう女だよな」
「……反省してるわ。あたしは、二度とここから出る気はない」
「ルルミヤ……」
「生まれ変わったら覚えていなさいよ」
ルルミヤは睨んだ。
「必ず生まれ変わったら、あんたを引っ叩いてやるから。大嫌いよ、シャーレーン」
「楽しみにしてるぜ」
あたしは神様に頷くと、立ち上がる。
面会室を出る前に、ルルミヤを振り返った。
「ああ、あと最後に」
「ん?」
首を傾げるルルミヤに、あたしは最後に伝えた。
「あたしがシャーレーンだって気づいてくれたの、ちょっと嬉しかったよ」
「……っ」
「じゃあな。また見舞いに来るよ」
「二度とくるな! クソ女!」
あたしが部屋を出ると、部屋の方からバチッと何度も音が鳴る。
ルルミヤが暴れている姿を想像して、あたしは少し笑った。
ルルミヤは今後も人生をかけて、自分の罪を償っていく。
聖女異能でポーションを作り、日々慈善事業を行う日々。
処刑で死ぬのは簡単だ。けれど死ねば終わりだ。
反省する機会すら与えられない。
彼女が壊れたのは、初代筆頭聖女だったあたしの聖遺物のせいだ。
――あたしもまた、彼女の現状に対して全く罪がないとは言えない。
彼女が反省して湖牢で静かに、少しでも穏やかな日々を過ごせることを祈るくらいは、したいと思う。
「大っ嫌いな女だけどな」
神様が少し笑った気がする。
あたしたちはまた再び、湖牢から出て船に乗り込んだ。
外は変わらず、美しい景色が続いている。
「シャーレーン」
神様が穏やかな声音で尋ねた。




