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父と会ったその日の夜。
泊まっていけばいいのにと言うロバートソン商会長の言葉を遠慮して、あたしは神様と二人で自宅に帰っていた。
いろいろありすぎた――今は、ただ神様と二人になりたかった。
シャーレーンの姿で、神様と一緒に風呂に入る。
シャルテの姿で風呂に入ろうとしたら神様が蛇の姿で当然のようについてきたので、少し考えてシャーレーンの姿になり、入浴することにしたのだ。
蛇との入浴でも、さすがにシャルテのままは気が咎める。
薬湯にした湯船に浸かり、右手に神様を絡ませ、あたしは一人呟いた。
「……父さんって結局何者なんだ?」
神様が蛇のまま呟いた。
「……おそらく、ヒラエス自身が土地神のような状態になっているのだろう」
「島国を離れて久しいのに、かい?」
「離れていても神は神だ。生きているだけで意図せずとも故郷に加護を与え続けているのだろう。一度破滅した島国が今も残っているのは、間違いなくヒラエスの加護によるものだ」
「……そうか。父さんも神様なんだな……」
「これから父とはどうやっていきたい」
神様がじっと、金の瞳であたしに尋ねる。
あたしは天井を仰いだ。
「……そうだな……あたしは……父さんが生きやすい場所にいてくれたら、それでいいよ」
以前はずっと、一緒にもう一度暮らしたいと願っていた。
けれどこうして離れて、お互い別の人間として暮らして思う。
父さんを「父さん」に縛りつけたくない。お互い人間のようで人間ではない存在になったのだから。
「そうだな。……仲間として、これからは仲良くやっていきたいな」
「仲間」
「うん。父さんもいろいろ悩みとか辛いこととか抱え込んでるみたいだしさ。あたしもこれからいろいろ悩むことも辛いこともあるかもしれないし……父と娘で庇護したり庇護されたりとか、そういうのじゃなくて。あたしも父さんに頼られるくらい、しっかりしたいなって」
あたしはこれからシャルテとして生きる。
免許を持った薬師としてハーブティーショップ『ヒラエス』を盛り立てて、神様と夫婦で生きていく。
流れ者になる気は現時点では、あまりない。
父さんも――父さんとして生きて欲しいと思う。
きっと、それがあたしたちにとっていちばんの関係性だと思うから。
「シャーレーンならうまくやれる。シャーレーンは俺が見込んだ愛しい妻だ」
「へへ、神様がそう言ってくれるから自信が湧いてくるよ」
「愛してる」
蛇が唐突に湯船にするりと落ちる。
えっと思っていると、人間の男の姿になって現れ、あたしにキスをした。
「っ……!!!!」
「キスしたいと思った。だからした」
「風呂場で、やるんじゃねえ!!!」
あたしは口を押さえて叫んだ。
神様は何が悪かったのか? と言わんばかりに不思議そうな顔をして首を傾げて見せた。
◇◇◇
――後日のこと。
あたしはロバートソン商会長に、父がしばらくの間、彼の屋敷に客人として滞在することを聞かされた。
商会長は何がなんでも父を手放さないと決めたらしい。
「ほんっと父さん、難儀な人を助けちまったな……」
あたしといい父さんといい、父娘揃って執念が重い人に執着されやすい性質らしい。あ、あと神様を惑わす性分ってのも同じか――結果は真逆だけど。
神様とあたしで屋敷に足を踏み入れると、父がこざっぱりとした服装で私を迎えてくれた。
真っ白なシャツを纏い、上等そうなサスペンダーでトラウザーズを吊るした彼は、今ではすっかり若いお父さん、といった雰囲気だ。
「神様もお揃いで。わざわざ恐れ入ります」
恐縮する父に神様は首を振る。
「問題ない。時には直接顔を見るのも娘婿の役目だ」
「まてよ神様。時にはって……?」
あたしが訝しんだ瞬間、屋敷のいたるところから白い蛇がするりと姿を現す。
「ぎゃっ」
驚くあたしに神様は平然と答えた。
「見張りをつけている。勝手に逃げないように」
「あはは……信用されてねえよな、やっぱ」
苦笑いする父。神様は当然だという顔をする。
「シャーレーンを次に残していったら絶対に許さない。地の果てまで追いかけ、連れ戻す」
「……父さん、諦めなよ。神様はマジだから」
隣でロバートソン商会長もうんうんと頷く。
「大丈夫だよシャルテちゃん。一族郎党、末代までしっかりヒラエスさんは我がロバートソン商会で捕捉しておくから」
「は、はは……」
父が苦笑いする。
顔色も肌艶も改善しているし、髪もキラキラのひよこ色だ。それなのにどこかげっそり疲れが滲んでいる様子が見て取れた。隣で笑顔のロバートソン商会長は実にご機嫌そうだ。
「案内が遅れたね。ささ、早速だけどヒラエスさんが整えてくれた薬草園を見てくれ。すごいよ、すごいよ」
「あ、あはは……」
父と一緒に屋敷の庭へと向かい、広い庭をしばらく黙って散策する。
アーチを潜った先、そこには明るく手入れされたハーブ園が広がっていた。緑豊かな葉の間から、時折小さな花が顔を覗かせている。柔らかな香りが空気を満たし、心を落ち着かせてくれた。
その庭を見つめる父の眼差しが誇らしい。
「元気そうだね、父さん」
「まいったよ。逃がしてもらえないなあ」
父は笑いながら答えた。
「だろうね」
あたしも笑いながら答える。
父は少し考えた風にして、続けた。
「……いつか俺は、人間として死にたいと思っていた。その薬を作りたくて薬師を続けていたのもある」
「父さん」
父は深く溜息をつき、薬草園を見上げる。
「だがな。……またやっと生きていてよかったと思えているよ。賑やかで、楽しいもんだな。生きるのは」
「……そうだね。生きるのは楽しいよ」
黙っていた神様が、話しかける。
「シャーレーンと今度こそ、離れないで欲しい。万が一、何らかの事情で離れることがあったとしても、手紙のやり取りは絶やさないでくれ」
「シャーレーンにはあなたがいますでしょう、カヤ様」
父が言った。
「違う」
神様は断言する。
「俺は夫だ。あなたは父親だ。……お互い、シャーレーンにとって替えの利かない存在だ。俺たちは二人ともシャーレーンの幸福のためには欠けてはならない」
「……こんなに真っ直ぐに愛されて、シャーレーンも大変だな」
そう笑う父は、とても幸せそうだった。
「ああそうだ。シャーレーン。母さんの遺骨は俺が管理してるよ」
「えっ」
「墓に残していきたくなかったからな。無縁墓にはしたくないだろ、やっぱ」
「よかった……」
あたしも嬉しくなった。
ずっと流浪の薬師だった父が、ようやく居場所を得られたことに。
そして父は今でも、母を愛して大切にしてくれていたことがはっきりして。
あたしは父の顔を覗き込み、笑顔で提案した。
「墓を建てようよ、また。お参りしやすい場所にさ」
「ああ。まずは納骨堂を買わないとな」
「あー……なんかやけに現実的な話になってきたなあ」
あたしが頭を抱えると、父は声をあげて笑った。
神様は隣で静かに微笑んでいる。
その時、ラナが元気よくやってきた。
「あっいたいた! 二人とも! 俺の新しい銃弾チェックしてくれよ!」
その後ろからトリアスが続いた。
「ちょっと! この空気の場に突っ込んでっちゃダメでしょうが!」
二人もなんだか仲良くなっていて、あたしはほっとした。
トリアスも頻繁に屋敷に足を運んでおり、ラナから聞いた遠い島国の伝説と父の実体験を資料にしようとしているらしい。
ともあれ、みんな楽しそうでよかった。
父さんのことは、これで一件落着である。




