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 一旦場所を変え、あたしたちはロバートソン邸の客間に集まっていた。

 円卓を囲むのは父と、あたしと神様、そしてロバートソン商会長、ラナ、トリアスだった。

 関係者と場所の提供者、護衛兼同郷の少年、そして神官が揃っている。

 物語を聞くにはぴったりの顔ぶれだった。


 女主人であるエダさんが、繊細なデザインのティーセットを用意してくれた。

 舶来品だろう、白磁のカップには細かい金の装飾が施されており、煌びやかながらも上品な雰囲気を漂わせていた。ティーポットもまた、同じく繊細な花模様が描かれ、エレガントなティータイムを彩るにはぴったりの品だった。


 客間を包む重たい空気が、ほのかに軽くなった気がする。


「ごゆっくり」


 エダさんは優しく微笑み辞儀をして、ロバートソン商会長の肩を撫でて部屋を後にした。

 かくして――関係者だけの空間が形成された。

 父はゆっくりと口を開く。


「さあ、どこから話そうか――」


 ヒラエスという青年――父は、交易地点として細ぼそと暮らす島国、ラピスアステの青年だった。

 島は遥かな海に浮かぶ宝石のような場所で、豊かな自然と素朴な村落が調和していた。

 海は常に澄み渡り、岩々はまるで玉座のようにそびえ立っていた。島民たちは海の恵みに感謝し、神々との共存を大切にして生活していた。


 ――そう。

 父が人間として暮らしていた時代には、当たり前のように人と神が共存していた。


 大陸の土地神であるカヤの存在も、人間だった頃から知っていたらしい。


 父もその時代の全ての島民と同じように、毎日朝から晩まで働き、神に祈って健やかに過ごしていた。

 島で生まれ、島で成長し、島の娘と一緒になって子を成し、そして命を繋いでいく。その生き方以外は何も知らない、シンプルな時代だった。


 しかしある日、父の平穏は突如終わりを告げる。

 ――島の土地神が、父を番に選んだのだ。


「それって、あたしと神様と同じってことか?」


 問いかけたあたしに、父は首を横に振って否定した。


「違う。カヤ様はお前を確かに愛している。お前という人間にとって善き夫となるため、姿だけでなく魂さえ変容させて側にいる。……そんな神様、カヤ様以外にはいないだろう」


 父は皮肉を浮かべて笑う。

 その昏い眼差しに、あたしは息を呑む。

 父は、話を続けた。


 ――土地神に見初められたのは、毎年島の浜辺で行う豊漁を願う神事の時だ。


 島民全員が海に向かって祈りを捧げる壮大な儀式だった。

 舟が火の輪を通り抜け、神々への捧げ物が海に流された。

 毎年変わることなく行われる、壮麗な儀式。


 ――その年は、突如土地神が山から姿を現した。


 前例のない事態に、人々は凍りついた。

 神は、そのまま父を攫った(・・・)。 

 そして、父は番になった。


「一方的に? 強制的に? あんまりじゃないか⁉」


 驚くあたしに、父は静かに微笑む。神様が首を横に振った。


「土地神は元来そのような気質を持つ。神隠し、という言葉があるだろう。……神は己の気分で人間を攫う。そして番にする。人間の意思などは関係ない。神が結婚したいと思えば、成立するのだ」


 神様の言葉に父が同意を示す。


「カヤ様のような神は多分他にはいないんじゃないか? 少なくとも俺は知らない」

「そんな……」

「俺を攫った土地神は、カヤ様のように言葉で理解を求めるのはもちろん、人の形すらとらなかった。男か女かもわからない。ただ、山の方から――人の言葉では形容できない何か(・・)が触手を伸ばして、俺を捕らえて山に連れ込んだのだ」

「っ……」

「そしてよくわからない生き物に番にさせられた」


 父は昏い目で笑った。

 その表情にあたしはゾクリと背筋が震えるのを覚える。

 父は泣きたいような、笑いたいような、複雑な顔をして肩を抱いた。


「……あれは一体何だったのか、今でも俺には理解できない。五感を全て奪われ、時間の感覚さえ失い、快も不快も感じなくなって――それが神にとっての番の役割だったのだろうか。自分が内側から全て作り替えられているような感覚に襲われた。まるで内臓をひっくり返され、別の存在に変わったようだった。俺は全てを奪われた。そして……」


 あたしは息を呑み、父の話に耳を傾けた。

 ロバートソン商会長も、ラナも、普段はお喋りなトリアスでさえ、ただ黙って聞き入っていた。


 ――神様だけが、全てを見通すような静かな眼差しでそこに佇んでいた。


「気がつけば、俺は浜辺に寝そべっていた」


 父は続けた。

 神に愛玩・・されている間に、島は壮大な変貌を遂げていた。

 周囲を見渡すと、すでに冷え固まった溶岩が島の景色を一新させていた。

 周囲は静まり返っており、生命の気配すら感じられない世界となっていた。

 全ての島民は逃げ去り、父はその時、島でたった一人の存在だった。

 真っ青な空と海が広がっていた。

 目を閉じて耳を澄ませても、他の生き物の気配は一切なかった。


 ラナが独り言のように口を挟む。


「そういえば、ラピスアステは活火山で、その三角形のゴツゴツした地形は溶岩が原因だって聞いたことがある。その溶岩の下には、かつての遺跡が眠っているかもしれないって……」


 父は同郷のラナの言葉に頷いた。


「俺はその時悟ったんだ。土地神が朽ちたのだと。だから連動して、山が爆発したのだと」


 あたしは思わず神様を見た。


「そんなことってあるのか?」


 神様は頷く。


「あの鏡の邪神ストレイシアと同じだ。力を失えば土地神だって朽ちる」


 そしてはっと目を見開き、珍しく慌てた顔で付け足した。


「大丈夫。俺は朽ちない。シャーレーンと共に生きる。俺が朽ちる時はこの世界が終わる時だ」

「大丈夫だって、心配してないよ、神様」


 あたしが神様の手を握って言うと、神様はふにゃっと目を細める。

 あたしたちの様子を見て、父が笑った。


「本当にカヤ様に愛されているんだな、お前は」

「まあな……」


 微笑ましそうにした父は、表情を戻して話を続けた。

 そして――自分は、魂がになったまま、解放されてしまったのだと。


「俺は中途半端に神に近い存在になっていた。不老不死になった。容姿を好きな形に変えられるようになった。それからは長い日々を過ごした……島に残された船を修繕して大陸へと渡り、俺は旅人になった」


 父は五感が冴え渡り不可思議な能力――今でいう魔術を好きに操れるようになった。

 自然の声が聞こえるようになった。人間のおしゃべりのようなものじゃなく、意思を直接やりとりできるような、不思議な感覚。

 その感覚に導かれるままに薬を作れば、薬は覿面に効果を発揮して人々に喜ばれた。

 生業を薬師にした。薬師になれば、あちこちを放浪していても怪しまれない。

 大陸の各国を渡り歩いた。

 どこでもヒラエスは異邦人であり、素晴らしい薬をもたらす稀人だった。


 感謝されることもあった。

 捕らえられることも、火炙りになることもあった。

 何をされても父は傷一つ残らず回復した。

 そしてどんな薬を作っても、人の魂に戻り、人として生きて死ぬことは叶わなかった。


「神を愛していたわけでもない。むしろ全てを奪われた。そして島が破滅するのを止められなかった……俺はそんな愚かな存在だった。人を愛したいなんて、思ってはいけなかった」


 父は顔を覆う。そして、苦しげに一人の女性の名を口にした。


 ――母の名だった。


「あの人に出会ってしまったんだ。そして愛し愛されたいと……願ってしまった」


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― 新着の感想 ―
[一言] 神が存在を忘れ去られて滅んだから噴火したなら、その間どれだけ悪評立てられて口外禁止されていたんだ… ただの1回人攫いしただけでそこまで嫌われるって、距離が近すぎた(見たことはないけど居ると感…
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