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 神様は頷き、庭にある噴水に目を向ける。


 噴水から水が一際大きく跳ねる。人々は太陽を浴びて虹を帯びるそれを見上げ、目を楽しませている。


「おお……」

「ロバートソン商会長らしい、見事な演出の噴水だ」


 その噴水が霊泉・・の力を帯びて水量が増えていると知らずに。

 神様の瞳は金色になっているけれど、噴水に見惚れている人々は誰も気づかない。神様が心の中で言った。


(庭園西、ローズマリーの植え込みの向こう。逃げていく気配をつかんだ)

(わかった!)


 あたしは神様と頷き合い、人混みを縫って神様の示した方向へと向かう。

 人の目を盗んで神様が蛇を足元から放つ。

 蛇はあたしたちより先に人々の足元をすり抜け、植え込みを潜り、目的の相手へとまっしぐらに進んでいく。次第に人の影は少なくなっていた。


「痛ッ……!」


 ローズマリーの植え込みの向こう、男性の小さな呻き声が響く。

 あたしと神様は、ようやくそこにたどり着いた。

 蛇が男性の腕に絡み、噛み付いている。

 血は出ていないので甘噛みのようだ。


 ひよこのような眩い金髪を、うなじのところで軽く括った男性。

 背が高くて無精髭で、こちらに顔を背けたその姿。

 耳の形も手の形も。


 ――こんなに長い間離れていたのに。

 目の前の人は、あまりにも記憶の中の姿、そのままで。


「……父さん……」

「シャルテ! 何があった⁉」


 パーティーから抜け出したあたしたちの下に、ラナとトリアスが駆けつけてくる。護衛のラナと肩を並べて走れるくらいにはトリアスも体力はあるらしい。さすが巡礼神官。

 二人はあたしと目の前の父を見て、何かを悟ったようだった。

 彼らは距離を取り、足を止めた。

 あたしは再び、父を見つめた。


「父さん……」


 呼びかけるあたしに、父は青ざめて後ずさる。

 近づこうとすると、反射的に逃げようとした――しかし、息を切らせたロバートソン商会長が入り口から駆け込んできた。

 彼は追い詰められた父を見ながら訴えた。


「ヒラエスさん! 逃げないでください! もう……観念してあげてください!」


 あたしの肩に、神様の手がそっと添えられた。


「シャルテ。シャーレーン(・・・・・・)に戻ってかまわない。結界はすでに張ってある」


 結界が張られていれば、この場にいる人以外には見えない。

 あたしは頷いた。


「……ありがとう」


 あたしはシャーレーンの姿になる。

 十八歳の――あの一度殺された日で止まった姿で、あたしは父に近づいた。


「父さん。……あたし、会いたかった。お礼を言いたかった。父さんが何を考えて、生きているのか、聞きたいんだ。……仲間なんでしょ? 父さんも。人でもなければ神でもない……」

「俺は……」


 父は目を逸らし、声を振り絞った。


「どうして」


 十年以上ぶりに聴く父の声に、涙が自然とあふれた。

 私は父に駆け寄り、彼の腕を掴んだ。

 鏡の中の私に似た顔立ち、同じ橙色の目。誰が見ても、私たちは親子だった。


「父さん、どうして……」


 私の訴えに、父は目を揺らし、唇を噛みしめた。


「俺は……」


 涙をこらえるような表情だった。


「……すまない……お前に顔向けできるような父親ではないんだ……俺のことは忘れてくれ……」

「忘れられないよ!」


 あたしは叫んだ。


「忘れられるわけないだろっ、父さんはあたしのたった一人の肉親なんだ。父さんがいたから、あたしは筆頭聖女になれたんだよ⁉ 父さんに、父さんに……しっかり生きてるところを見て欲しくて……もう、一度、また、会えるようにって、思って……」


 涙が止まらなくなる。悔しさと、泣きたくないという思いが交錯する。

 だけど感情は抑えられず、涙が顔を濡らしていく。

 しゃっくりが出始め、あたしは顔を覆った。もう、めちゃくちゃだ。子供みたいな泣き方をしている。


「もう二度と会えないと思ってた。死んだって聞いた時はどうしようもなかった。父さんと……お別れ、できなかったと思うと……辛くて……ッ……お願い、事情があるなら、話、して……お願い……」


 涙を抑えきれず、あたしはうつむいた。

 神様が後ろから寄り添い、肩に手を置いてくれる。蛇も涙を舐め取って慰めてくれた。


「シャーレーン……」


 父の手は宙で震えていた。

 抱きしめれば良いのか、撫でれば良いのか、わからないと言った様子だった。


「……義父上と呼べばいいか。俺はカヤ。貴様の娘と番になった神だ」

「土地神様、その上カヤ様に義父と呼ばれるなんて……私にはもったいないです……」


 神様の名乗りに父は姿勢を正すと、深く膝を折って首を垂れる。

 俯いたまま姿が変容していく――顔を上げた父は、無精髭のない、真っ白な服を纏った美青年となっていた。


「シャーレーン様と瓜二つじゃねえか」


 ラナが遠くで呟く。

 父はラナに気づき、懐かしさを含んだ目で少年を見た。


「同じ故郷ラピスアステの少年か……あの島国はまだ残っているんだな」


 そして父は目を閉じた。

 心の奥深くにある感情と向き合い、自身の気持ちに折り合いをつける時間をとっているようだった。


 ――父はゆっくりと顔を上げる。

 そして私と神様を見つめ、穏やかに言葉を紡ぎ始めた。


「土地神カヤ様、私の娘を幸せにしていただき、心より感謝しております。シャーレーンは母親にとても似て、立派な子に育っています。彼女を幸せにしてくださって、男親としてこの上ない喜びを感じています。今後も末永くシャーレーンのことをよろしくお願いいたします」

「当然だ。だが」


 神様は真っ黒な双眸で静かに父を見た。

 ただの娘婿ではなく、心の深淵を覗く土地神としての眼差しだった。


「貴様が義父上とはいえ、我が妻……シャーレーンを泣かせたのは事実だ。シャーレーンに全てを聞かせてやれ。貴様の存在の始まりから、人生の歩み、彼女をもうけてからの別離、そして今日に至るまでの顛末を」


 父は神妙に頷いた。


「……情けない話です。俺はかつて……神に食われた贄です」


 あたしは息を呑んだ。

 父から聞かされた話は、私と神様の顛末に似ていて――しかし全く異なる、重たく辛い、数百年にも及ぶ流浪の日々の物語だった。

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