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そして、ルイス王子の心は沈んでいた。
シャーレーン(実際はラナの扮装だったが)に会えなかったことが、彼を深く打ちのめしていたようだ。
時々、彼はあたしを茶会に招いては自分の不満をこぼしていた。
いや勉強させてくれ。
◇
今日も、午後の茶会という名目で、あたしは中枢領域の騎士団本部の応接用庭園に招かれていた。
湖に浮かぶ白鳥を眺めながら、あたしたちは静かにティータイムを過ごしている。
優雅に泳ぐ白鳥を見つめ、ルイス王子は大袈裟に溜息をついた。
「はあ……なぜシャーレーンは僕に会ってくれなかったのだろう……」
声には途方もない失望が込められていた。
あたしはうまくフォローしようと努めた。
「ええと……ほら、シャーレーン様は、殿下に前を向いて欲しいんじゃないですか。過去にとらわれず、新たな出会いを見つけて欲しいというお気持ちがあるのでは?」
励ますあたしの言葉に、ルイス王子は顔を上げる。
「新しい出会い……?」
「そうです。新しい出会いです」
「シャルテのことか?」
王子は私をじっと見つめてきた。
「いや、私じゃなくて。その……私、既婚ですので」
き・こ・ん。の言葉に力を込めつつ、あたしは薬指を指差し、力を込めて言った。
「そ、そうだったな。あはは」
王子は慌てて笑ってごまかす。
そしていきなり、真剣な表情で身を乗り出して尋ねてきた。
「ところでシャルテ、子供の予定は」
「最低だなあんた!」
思わずシャーレーンの地で叫ぶ。
その後、シャルテちゃんスマイルでえへへと場を和ませる。
「……って、シャーレーン様の声が今聞こえてきました」
「なんだって⁉ しゃ、シャーレーンが僕を罵倒してくれたのか⁉」
「ひっ」
彼は興奮を隠さずに身を乗り出し、もっと聞かせてくれとばかりに爛々と目を輝かせる。
「それは嬉しい! シャーレーンは今も僕のことを忘れず、見守ってくれているんだ……」
「そ、そうかもしれませんねえ〜」
「ああ、シャーレーン……そしてありがとう、シャルテ。きっと君の僕に対する心配がシャーレーンに通じて、この奇跡を起こしたんだ」
「ち、近いです王子、近いです」
もーやめて。疲れる。
テーブルの下であたしのスカートから蛇が大量に顔を出して、あんたの下半身食らいつこうとしてんだぞ! 止めてんだぞ! あたしは!
王子が処されないように、神様をなだめるのも一苦労だ。
慌てているところに、メイドがタイミングよくワゴンで新しい紅茶を持ってきてくれる。
王子は我に返ったように体を離し、こほんと咳払いする。
「失礼。君の前にいるとこう……今でも気持ちが抑えられなくなってしまって」
「えへへ……」
あたしは誤魔化す。
それからしばらくの間、王子は紅茶を傾け、無言で時を過ごす。
白く輝く繊細なティーカップを持ち、遠くを見つめる彼の姿は、相変わらず美しかった。
――ずっと黙っていたらいいのに、喋ってしまうとこの人は……。
そんな失礼なことを思っていると、彼がポツリと呟いた。
「……彼らがルルミヤへの思いをこじらせたのも、思えば僕が不甲斐ないせいだ」
王子はふっと遠い眼差しをして空を見上げた。
「ルルミヤに頼ることでしか、未来に望みを見出せない――サイティシガ王国の現状は、我々王族の責任でもある」
その横顔は、王子が事件を真剣に重く受け止めている様子を示していた。
ギュッと、王子の逞しくなった右手が拳を作る。
「僕は今回の件をしっかりと受け止め、鍛錬に励むよ」
ルイス王子は、あたしに向けてふっと微笑んだ。
「『聖女聖父の祈り』の信者たちへの事後対応は、中枢領域でやっていく。未遂で終わったものの、今回の事件は善良な国民たちの平和を脅かすもの。決して許されない」
「そうですね……」
「今回はなぜか投薬されていた信者も、依存症を起こさずすっきりと回復した。だからまだ良かったが、本来なら数百人単位で被害者が出ていたはずだ。『聖女聖父の祈り』関係者に対するしかるべき処罰は当然だ……しかし」
王子は言葉を切る。
「……ルルミヤという存在に縋ろうとした彼らも、また彼らの言葉を信じた者たちも、全て我々の福祉が届かなかった民だ」
ルイス王子は言う。その言葉は重たかった。
一瞬の静寂を挟んで、彼は続けた。
「彼らと同じ苦しみを抱える者、ルルミヤに救いを求める新たな人々も、また存在するだろう。『聖女聖父の祈り』関係者の話に耳を傾けることで、より良い政治を目指したい」
彼の横顔には改革への前向きな決意が浮かび上がっていた。
「殿下……」
感銘を受けながら、あたしは呟く。
「きっと、シャーレーンの奇跡が、信者たちの薬依存を断ち切ってくれたのだろう」
国内各地で噴出した霊泉の力で、信者たちは奇跡的に回復していた。
その奇跡を起こしたのが神様だとは、ルイス王子は気づいていない。彼はそれをシャーレーンの奇跡だと信じている。
国民も同様であり、教会もシャーレーンの願いが神に届いた結果として記録している。
――その記録作業は、ある巡礼神官の担当に決まったそうだ。
あたしはその説を否定せず、神様に国民の記憶をいじってもらわなかった。
奇跡を起こせる「シャーレーン」と、ただの薬師「シャルテ」の立場を少しずつ離していきたいから。今はまだシャーレーンの御使として扱われているが、いずれ王宮から呼ばれることもなくなるだろう。そうならなければ困る。
王子はふう、と熱っぽい息を吐く。
「はあ……シャーレーンは僕が立派になったら、僕の前にも奇跡を起こしてくれるかな」
「それはどうでしょうか」
「どうだろうシャルテ。この湖なんて奇跡を起こしやすいと思わないかい? 水辺だし、白鳥は綺麗だし、何より教会総本山が近い中枢領域内の湖だ」
「池の生態系が変わるようなこと、しないんじゃないでしょうか? だってこの池には白鳥もいますし魚もいます。神様の思し召しでこのような美しい湖が作られているのですから、そこを壊すようなこと、シャーレーン様は」
「……」
王子があたしをじっと見ている。
言いすぎただろうか、と謝罪しようとしたところで、王子は静かに微笑んだ。
「そうだな。確かに……シャーレーンは、そんな軽々しく僕の前に出てきてくれないよ、もう。それでもいいんだ。……彼女がこの国を見守ってくれているだけで、十分嬉しい」
そう語る横顔が、急にぐっと大人びた顔つきに見えて。
あたしは――彼もどうか、幸せになって欲しいと心から願った。
彼がどんどん逞しくなっていくのは嬉しい。
それを理解してくれる誰かができたら、きっと彼はもっと、強く立派な施政者になっていくだろう。




