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 そして、ルイス王子の心は沈んでいた。

 シャーレーン(実際はラナの扮装だったが)に会えなかったことが、彼を深く打ちのめしていたようだ。

 時々、彼はあたしを茶会に招いては自分の不満をこぼしていた。

 いや勉強させてくれ。



 今日も、午後の茶会という名目で、あたしは中枢領域の騎士団本部の応接用庭園に招かれていた。

 湖に浮かぶ白鳥を眺めながら、あたしたちは静かにティータイムを過ごしている。

 優雅に泳ぐ白鳥を見つめ、ルイス王子は大袈裟に溜息をついた。


「はあ……なぜシャーレーンは僕に会ってくれなかったのだろう……」


 声には途方もない失望が込められていた。

 あたしはうまくフォローしようと努めた。


「ええと……ほら、シャーレーン様は、殿下に前を向いて欲しいんじゃないですか。過去にとらわれず、新たな出会いを見つけて欲しいというお気持ちがあるのでは?」


 励ますあたしの言葉に、ルイス王子は顔を上げる。


「新しい出会い……?」

「そうです。新しい出会いです」

「シャルテのことか?」


 王子は私をじっと見つめてきた。


「いや、私じゃなくて。その……私、既婚ですので」


 き・こ・ん。の言葉に力を込めつつ、あたしは薬指を指差し、力を込めて言った。


「そ、そうだったな。あはは」


 王子は慌てて笑ってごまかす。

 そしていきなり、真剣な表情で身を乗り出して尋ねてきた。


「ところでシャルテ、子供の予定は」

「最低だなあんた!」


 思わずシャーレーンの地で叫ぶ。

 その後、シャルテちゃんスマイルでえへへと場を和ませる。


「……って、シャーレーン様の声が今聞こえてきました」

「なんだって⁉ しゃ、シャーレーンが僕を罵倒してくれたのか⁉」

「ひっ」


 彼は興奮を隠さずに身を乗り出し、もっと聞かせてくれとばかりに爛々と目を輝かせる。


「それは嬉しい! シャーレーンは今も僕のことを忘れず、見守ってくれているんだ……」

「そ、そうかもしれませんねえ〜」

「ああ、シャーレーン……そしてありがとう、シャルテ。きっと君の僕に対する心配がシャーレーンに通じて、この奇跡を起こしたんだ」

「ち、近いです王子、近いです」


 もーやめて。疲れる。

 テーブルの下であたしのスカートから蛇が大量に顔を出して、あんたの下半身食らいつこうとしてんだぞ! 止めてんだぞ! あたしは!

 王子がされないように、神様をなだめるのも一苦労だ。

 慌てているところに、メイドがタイミングよくワゴンで新しい紅茶を持ってきてくれる。

 王子は我に返ったように体を離し、こほんと咳払いする。


「失礼。君の前にいるとこう……今でも気持ちが抑えられなくなってしまって」

「えへへ……」


 あたしは誤魔化す。

 それからしばらくの間、王子は紅茶を傾け、無言で時を過ごす。

 白く輝く繊細なティーカップを持ち、遠くを見つめる彼の姿は、相変わらず美しかった。


 ――ずっと黙っていたらいいのに、喋ってしまうとこの人は……。


 そんな失礼なことを思っていると、彼がポツリと呟いた。


「……彼らがルルミヤへの思いをこじらせたのも、思えば僕が不甲斐ないせいだ」


 王子はふっと遠い眼差しをして空を見上げた。


「ルルミヤに頼ることでしか、未来に望みを見出せない――サイティシガ王国の現状は、我々王族の責任でもある」


 その横顔は、王子が事件を真剣に重く受け止めている様子を示していた。

 ギュッと、王子の逞しくなった右手が拳を作る。


「僕は今回の件をしっかりと受け止め、鍛錬に励むよ」


 ルイス王子は、あたしに向けてふっと微笑んだ。


「『聖女聖父の祈り』の信者たちへの事後対応は、中枢領域でやっていく。未遂で終わったものの、今回の事件は善良な国民たちの平和を脅かすもの。決して許されない」

「そうですね……」

「今回はなぜか投薬されていた信者も、依存症を起こさずすっきりと回復した。だからまだ良かったが、本来なら数百人単位で被害者が出ていたはずだ。『聖女聖父の祈り』関係者に対するしかるべき処罰は当然だ……しかし」


 王子は言葉を切る。


「……ルルミヤという存在に縋ろうとした彼らも、また彼らの言葉を信じた者たちも、全て我々の福祉が届かなかった民だ」


 ルイス王子は言う。その言葉は重たかった。

 一瞬の静寂を挟んで、彼は続けた。


「彼らと同じ苦しみを抱える者、ルルミヤに救いを求める新たな人々も、また存在するだろう。『聖女聖父の祈り』関係者の話に耳を傾けることで、より良い政治を目指したい」


 彼の横顔には改革への前向きな決意が浮かび上がっていた。


「殿下……」


 感銘を受けながら、あたしは呟く。


「きっと、シャーレーンの奇跡(・・)が、信者たちの薬依存を断ち切ってくれたのだろう」


 国内各地で噴出した霊泉の力で、信者たちは奇跡的に回復していた。

 その奇跡を起こしたのが神様(カインズ)だとは、ルイス王子は気づいていない。彼はそれをシャーレーンの奇跡だと信じている。

 国民も同様であり、教会もシャーレーンの願いが神に届いた結果として記録している。


 ――その記録作業は、ある巡礼神官の担当に決まったそうだ。


 あたしはその説を否定せず、神様に国民の記憶をいじってもらわなかった。

 奇跡を起こせる「シャーレーン」と、ただの薬師「シャルテ」の立場を少しずつ離していきたいから。今はまだシャーレーンの御使として扱われているが、いずれ王宮から呼ばれることもなくなるだろう。そうならなければ困る。

 王子はふう、と熱っぽい息を吐く。


「はあ……シャーレーンは僕が立派になったら、僕の前にも奇跡を起こしてくれるかな」

「それはどうでしょうか」

「どうだろうシャルテ。この湖なんて奇跡を起こしやすいと思わないかい? 水辺だし、白鳥は綺麗だし、何より教会総本山が近い中枢領域内の湖だ」

「池の生態系が変わるようなこと、しないんじゃないでしょうか? だってこの池には白鳥もいますし魚もいます。神様の思し召しでこのような美しい湖が作られているのですから、そこを壊すようなこと、シャーレーン様は」

「……」


 王子があたしをじっと見ている。

 言いすぎただろうか、と謝罪しようとしたところで、王子は静かに微笑んだ。


「そうだな。確かに……シャーレーンは、そんな軽々しく僕の前に出てきてくれないよ、もう。それでもいいんだ。……彼女がこの国を見守ってくれているだけで、十分嬉しい」


 そう語る横顔が、急にぐっと大人びた顔つきに見えて。

 あたしは――彼もどうか、幸せになって欲しいと心から願った。

 彼がどんどん逞しくなっていくのは嬉しい。

 それを理解してくれる誰かができたら、きっと彼はもっと、強く立派な施政者になっていくだろう。



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