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「そうそう、俺、みんなにはシャルテ様の親戚筋って思われてるから」
「親戚筋、か……」
「俺たち目立つ容姿だし、流れ者だし。そういうことにしといた方が何かと客も安心できると思ってさ」
「ありがとう。ラナがそれでよかったら、あたしもそういうことで話を合わせるよ」
言いながら、あたしは上着を脱いで椅子に座ると、神様がお茶を淹れてくれる。
透明なティーポットに入ったお茶は可愛らしいピンク色に染まっていて、温められたカップに注がれて、くるくると綺麗な小花が回る。
「シャルテ。俺も覚えた。飲んで欲しい」
「ありがとう、神様」
フェンネルとマロウがベースとなっていて、レイレイの白い小花がふわっと酸味をつけたハーブティ。
色を一番綺麗に出すお茶の温度も、注ぎ方も完璧だった。香りもよく出ている。
「あたしがいなくても完璧だなあ。ちょっと寂しいかも」
「そんなことはない。茶の淹れ方も忘れる」
「極端だって」
「そうだよ。シャルテ様も、早く学校でストレートに資格とって戻ってきてくれよ。そうじゃなけりゃ店を乗っ取っちまうぜ」
「店を乗っ取られるのは困ったな、でも仕事は性に合ってるみたいだし、あたしが資格取り終わった後もたまには働くか?」
「あー、それは遠慮するかな」
ラナは肩をすくめる。
「ロバートソン様と一緒にあちこち危ない場所を飛び回るのが好きなもんでね。まだこの面で食えるうちにいろいろやっときたいじゃねえか」
「なるほどねえ」
歳を重ねていく少年らしい意見だ。
「さて、と。あたしもそろそろ宿題やるか」
「店じまいか? じゃあ俺も帰ろうかな」
「スコーン持っていくといいよ。よかったらエダさんと食べてよ」
「やった」
神様が詰めてくれたスコーンを持って、ラナは軽やかに去っていく。
ただの少年のようでありながら、部屋を出た瞬間足音が消えた。窓の外を見ても姿が見えない――有能な護衛らしい。護衛か? 本当に? 違う仕事してない?
それからあたしは宿題に勤しんだ。
神様は向かいのテーブルに座って、じっとあたしの様子を見ている。
神様は退屈という言葉を知らない。疲れも知らない。
だからこうして、あたしが勉強しているならそこにいるのだ。
教科書は分厚くて、初めて受ける授業というものはどれも新鮮で、まだ慣れてなくていっぱいいっぱいだ。
でも年齢層がバラバラの同級生みんなで机に並んで授業を受けて、テストや授業内容に一喜一憂するのは素直に楽しい。
みんな薬師になるという同じ目標があるから尚更だ。
薬草について学んでいると、父がやっていた薬湯の理屈が少しずつ見えてきて、楽しい。ただ知識として「ライズライトの葉は炎症に効く、沸騰したお湯で煮出して冷やして飲むと即効性がある」と知っていても、薬学としてなぜ炎症に効くのか、どの成分が効果があるのか、なぜ沸騰した湯が必要なのか――といった情報に触れていくと、世界の解像度がグッと上がっていくのを感じる。
自分はまだまだ知らないことだらけだ。それが楽しい。
夢中になって勉強して、ふと顔を上げる。
神様が商品棚の掃除をしていた。その背中をあたしは不思議な思いをして見つめる。
まるで、その背中は人間の男の人のようだ。
エプロンのリボンが縦になっているのが、妙に人間臭い。
視線に気づいた神様が振り返る。
「どうした。集中できないか」
「ううん。……神様も、刻々と変わってるんだなあって」
「?」
「愛しいってことだよ、ダーリン」
あたしは微笑んで、再び手元の教科書へと目を落とす。
変わっていくのは人間だけじゃない、神様もだ。
あたしは時々不安になる。
自分は人間なのか、人間じゃないのか。どんな生き方をすればいいのか。
けれど神様の背中を見ていると、あまり難しいことじゃないのでは? と思えてくる。
だって大陸を守護する土地神様がエプロンをつけて、リボンを縦結びにして細々とハーブティショップで働いているなんて、考えれば考えるほど珍妙だ。
けれどその珍妙が現実だ。
ならば、そんな感じでゆるゆると、人間と人外の間を生きていけばいいのではないか――よい部分を吸収して、自分らしく生きながら。
「そうか」
あたしは気づきに至り、思わず口に出す。
神様がこちらを見ている。あたしは話を続けた。
「……父さんも、変わっていったんだ。よくわからない存在でありながら、子供を持ったり、家庭を持ったり。ロバートソンさんに存在を示したり……」
「……」
「長く生きてるからって、完全に人間の感覚を失うわけじゃないんだな」
「シャーレーンは子供が欲しいのか?」
ズコッ。
あたしは思わずノートを取りこぼす。
「いいいいきなりなんだ‼」
「そういう意味に聞こえた」
「聞こえんな!」
「……実際どうなんだ? 生き物は繁殖を本能で求める。シャーレーンも俺を人間の男として性的関係を」
「あーあーあーそこのところは詳しく言わなくていいから」
「……俺に人間の夫としての接触を求めてくる。ということならば、シャーレーンも俺との子供が欲しい、ということなのか?」
「う、うう……獣ならともかく、人間の繁殖はそんな簡単なことじゃねえよ……」
あたしは顔を教科書で覆う。
あとシャルテの姿でこの話をするのはなんとなく嫌で、あたしはシャーレーンの姿に戻る。神様はあたしをじっと見つめ、言葉を待っていた。
「ええと、その。子供は……まあ……全く興味ないってほどじゃあ、ないけど……」
「‼」
ずい、と身を乗り出す神様。
「怖い怖い、目が怖い。待てよ、落ち着け」
「わかった。話を聞く」
「ほら、やっぱりなんだかんだ流れ者だしさ、腰を落ち着けて子供を育てるって大変なことだし……あたしや神様の一存だけで片付く話じゃないじゃねえか。子供が生まれるなら、神の血と聖女の血を継ぐことになる。聖女シャーレーンの子としての面倒も生まれるかもしれない。そういう時に……ちゃんと守れないのに、安易に子供を持つなんてできない」
「シャーレーン……」
「まだあたし、ガキみたいなもんなのにさ。それでガキを作っちまうのは怖いんだ。もっとしっかりしてからにしたい。……なんて言ってたら、永遠にその機会は来ないかもしれないけどな。ははは」
「確かに人間社会のことを考えれば、簡単な話ではないな」
神様は納得したように頷く。
「繁殖は雌個体の負担も大きい。俺はシャーレーンに苦しい思いをさせるのは本意ではない。いっそ俺が産むか」
「そうなんだよな、無事にお産ができるかも不安……って神様⁉ 産めんの⁉」
「俺は土地神だ、なんでもできる」
「真顔で言われると信じそうになるぜ」
「信じて欲しい」
「いや、いろいろとあたしの理解が追いつかないから、今はとりあえずその話はやめよう」
あたしは神様を止めたのち、改めて落ち着いて己の体を見下ろす。
十八歳で時を止めた体。ここからどうなるのか、わからないからだ。
「……父さんがあたしを作れたのは、父さんが男だからじゃないのか? 女側がこんなでも、いけるのか?」
「いけると思う。俺にできないことはない。シャーレーンが欲しいのなら、俺が責任をとって孕ませる」
「怖い怖い」
「それにあのラナという少年も神の血を継いでいるらしい」
「へー。って、はあ⁉」
「歳はとるし異能もないらしいが、伝説ではそうらしい。ラピスアステの血を引くものは皆神の末裔だと言われている、と聞かされた。俺もなんとなくそんな話は聞いたことがあるような、ないような」
「へ、へええ……」
「はっきり覚えていればいいのだが、いかんせん細々とした興味のないことは覚えきれなくてな」
神様は肩をすくめ、続ける。
「シャーレーンの父も、神に愛されし存在なのだろう。どこかの……ラピスアステの神、などに」
神様の目が輝く。
「シャーレーンがシャーレーンとして生まれ変わることができたのも……そういう縁があったのかもしれない。人ではない力を持つ親だからこそ、シャーレーンの魂が……引き寄せられたような」
「なんだか、運命を感じるな」
神様は静かに頷いた。
「……運命に導かれて出会った俺たちだから、きっと子を為してもそれは運命だ。俺はシャーレーンも我が子も守る。シャーレーンが欲しいと思った時、相談して欲しい」
「……ありがとう、その言葉が嬉しいよ」
「俺が産んだ方がいいなら、その旨も」
「そのことは置いとこう、な」
そんな感じで、学校と日々の生活をのんびりと享受していたのだけれど。
穏やかな日々は長くは続かなかった。
ロバートソン商会長の下に、父に関する有力情報が飛び込んだのだ。
後日。あたしたちはすぐに、ロバートソン商会長の屋敷へと向かうことになった。




