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ロバートソン商会長の邸宅からの帰り道。
馬車に乗るのは少し飽きたので、あたしは送迎を断って神様と二人で歩いた。
「まあ、いろいろあったけど……戸籍問題も解決しそうだし、学校にも行こうと思えば行けそうだし。……人間シャルテちゃんとして生きるのはひとまずなんとかなりそうだな」
「……」
神様は黙っている。
神様が無口なのはいつものことだけど、様子がおかしい。
何か思い詰めているような、考え込んでいるような姿に見えた。
「どうした?」
「……俺は神だが、人間社会においては無力だな」
あたしは目を瞬かせる。神様らしくもない弱音だと思った。
「俺はここ最近の件で痛感した。あなたを幸せにすると言いながら、人間社会においての地位を確立させることはできないのだと」
「そんなもん……神様にわざわざ頼る気はねえよ」
「頼られたい。一から一〇〇まで、あなたを守るのは俺でありたいのに」
神様はむう、と頬を膨らませる。
妙に子供っぽい所作がおかしいと思ったけれど、これで笑ったら神様は嫌がるだろう。あたしは神妙に神様の話を聞くことにする。
「戸籍を捏造はできるが、俺だけの判断で全ての人間に怪しまれないよう整合性を取るのは難しい」
「神様だもんな」
「王妃に爵位を与えられて、ようやくまともに夫として世間に認められる立場になった」
「まあ王妃様の後ろ盾は強いよな」
「ロバートソンのように薬師協会へのコネクションをスムーズに出すこともできないし」
「そりゃあまあ、人間関係の問題だしな」
「あなたの愛する父親の情報を開示することもできない」
「あれは父さんの気まぐれがたまたま、あたしとロバートソン商会長を繋いでくれただけだから……」
「悔しい」
神様はむう、と不満を訴えた。
「俺は神だ。シャーレーンを人間として守れる男になりたい。神なのだから、全ては俺の手のひらで回らないと不満だ」
「なんつーか、神様らしい傲慢っつーか……珍しいな、あんたがそういうこと言うの」
「悔しかった」
「……可愛いな、あんた」
空を覆い尽くし、全てを強引に丸く収める土地神でありながら、それに飽き足らず神様はあたしを全てから守りたいと思っている。
人間の欲望は尽きない、底のない蟻地獄という言葉がある。
けれど神様の欲望というものも随分な蟻地獄だ。
全部をひっくり返せる力があるからこそ、ひっくり返さずに世渡りするのが苦手なのだろう。
「俺がシャーレーンの全てでありたいのに……」
「おい、神様!」
あたしは神様の手を掴んで引っ張り、顔を引き寄せて頬を両手でペチンと挟む。
そしておでこをくっつけて、あたしは拗ねるダーリンに言い聞かせた。
「あのさ。あたしは神様のあんたが好きになったんだ。夫として選んだのはあんた。あんたはあんたで、ロバートソンじゃねえだろ」
「そうだ」
「できないことも含めてあんただろ。それを夫に選んで愛してんだから、ウジウジする必要ねえだろ。夫婦ってのはどちらかが完璧にカバーし尽くす関係じゃないし、神様だってできることとできないことがあって当然だ。それじゃダメなのか?」
「……シャーレーンはそれでいいのか?」
「悪いって誰がいつ言ったか?」
「……シャーレーンが他の人間に感謝しているのを見ると、悔しい」
「そのままならなさも含めて人間ごっこだ。楽しめよ、神様」
あたしは笑う。
「そういうウジウジした気分の時は、楽しいことをするのが一番だ。……ここは一つ、あたしの趣味に付き合ってくれないか?」
「趣味?」
神様が目をぱちぱちと瞬かせる。
「小洒落た喫茶店に行きたいんだ。ちょうど今はアフタヌーンティの時間だし、飛び込みで入れそうないい感じの店、発掘しようぜ。そしてあんたも食べること」
「俺は食事をせずとも生きられるが」
「甘いものは趣味だ趣味。味がわからねえわけじゃないんだろ」
「味覚を構成すれば、わかる」
「……それでいいよ。よし決まり! 飲食店街に行こう! 出発!」
あたしは笑顔で手を振り上げると、神様を置いて走る。
神様が急いで走って追いかけてくる。それがなんだかおかしくて、あたしは笑った。周りの行き交う人々も微笑ましそうにあたしたちを見ている。
これでいいんだ。こういう普通の時間を過ごすことが、人間を生きるために必要なことなんだ、きっと。
「シャーレーン。あの二階に看板がかけられている。甘い匂いがする。きっと喫茶店だ」
「隠れ家的って奴だな。よし、行こう」
「わかった」
二人で手を取り合って歩きながら、ふと思う。
あたしたちは人間社会から浮いた立場だ。それでもあたしは人間だ。
だから浮いていても異質だとしても、それでも人間として、人間社会で生きていくことしかできないのだ。
それは不幸だとは思わないのは「人間ごっこ」を楽しんでくれる神様が側にいるからだ。
かつて、初代筆頭聖女のシャーレーンが死んでから。
神様が岩になって何百年も、あたしの転生を待っていた気持ちが少しわかる。
人間として暮らす賑やかな日々を一度覚えてしまえば、最期。
「……ひとりぼっちは寂しいもんな」
「シャーレーン?」
「なんでもない、早くお店に入ろう」
あたしたちは二人でドアを開いた。
――父さんも、一人で生きるのが寂しかったんだろう。
だからロバートソン商会長に覚えていてもらった。
そして――母さんと恋をして、あたしという娘を作ってくれたんだ。
――じゃあ、あたしはどうする?
人間ごっこの神様と、これからどうやって生きていく?
まだ答えははっきりとはしていない。
けれど――この幸福な猶予期間を、今は楽しみたい。
◇◇◇
――それから、あたしたちはしばらく穏やかな日々を過ごした。
ルルミヤのことも『聖女聖父の祈り』の黒幕の件も気になる。
けれど、ただの一介のシャルテちゃんにできることは限りがあった。
穏やかに過ごせる間は、楽しくのんびりするに限る。
まあ、本当はのんびりはできていないのだけど。
『聖女聖父の祈り』の事件があってから、あたしのハーブティショップには王妃様から命じられた護衛がつくようになった。
同時にロバートソン商会長も、あたしが学校に行っている間に店を守ってくれる用心棒を一人用意してくれた。
例の美少年、ラナだ。




