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「気づいたんだ。あの人はこうして毎回、存在を消して生きているのだと。それでも俺の記憶は消えていなかった。あの人の顔も、声も、恩も覚えている。……俺は確信したんだ。あの人は確かに本気で、俺に大切な娘さんの後ろ盾になるように願ってくれたのだと」
煙草はすでに消えていた。
あたしは今更ながら気づいた。
ロバートソン商会長の嗜む煙草は妙に古く珍しい銘柄だ。
良質な葉巻だって嗜める立場なのに、彼はずっと安っぽい煙草を燻らせる。
――父の煙草なのだ。父の思い出を、彼も共有していたのだ。
彼はあたしを真っ直ぐに見つめた。そして小さく微笑んだ。
「シャーレーンちゃんがシャーレーン様として街で活動を始めた時、俺はすぐに会いに行ったよ。けれど異世界から来た聖女として扱われていたから、過去を知っていると明かしてしまえば、あなたに迷惑になると思った。だから黙って、あなたと一緒に仕事をしていたんだ。……間近で顔を見なくても、成長して雰囲気が変わっていても、聖女になっていても俺はすぐにわかった。ああ、ヒラエスさんの娘だな……って」
そして思い出すようにクスッと笑う。
「でもシャーレーン様、異世界から来た聖女って設定、あまり乗り気じゃなかっただろ? その話を振ると言葉に詰まってたのが面白くってね」
「あの」
あたしは手のひらを向けて話をストップさせる。
「シャーレーン様の話ですよね? それ……」
あたしは今、あくまでシャルテだ。その話題に「そうそう! その時困りましたよ!」なんて乗れない。ロバートソンさんはあははと笑う。
「シャルテちゃんもシャーレーン様、当然わかってるよ。だってあの夜に寝ぼけて起きてきた時の顔と全く同じだしさ。もう俺の前ではぶりっこはいらないよ」
「……そうですね。そうさせてもらいますよ」
「敬語もいいって。ヒラエスさんみたいで蓮っ葉な喋り方も可愛いから」
「親父のこと、好きすぎだろロバートソン商会長!」
「あっはっはっは」
あたしはへなへなと体から力が抜ける思いだった。
これまであたしがずっと演技をしていたのは、全部ロバートソン商会長には筒抜けだったのだ。
「いろいろ腑に落ちたよ。胡散臭いあたしの商売を信じてくれたり、いろいろと構ってきたり……あれは全部、シャーレーン・ヒラエスと父さんへの信頼だったんだな」
「そうそう。俺ももう一度ヒラエスさんに会いたいしね」
商会長の言葉に、あたしは顔を二度見する。
「……ロバートソン商会長。例の聖父の件、やっぱり父だと……思う?」
「うん。ヒラエスさんだろうね。神出鬼没なところも、人助けしてそのまま消えるのもヒラエスさんらしい」
ロバートソンさんは頷く。
あたしはお互いの事情を分かち合った関係ということで、以前店の前に置かれたリースの話を商会長に共有した。
話を聞くなり、彼は身を乗り出した。
「あ、あのリース、ヒラエスさんのものなの⁉」
「多分な」
商会長は目を大きく見開き、口を手で覆う。
「うっそ……今度改めてじっくり見させて。拝みたい」
「本当、父に何を思ってるだよ、あんたは」
「憧れの推し」
「……」
娘としては微妙な気持ちになる。なってもいいよな?
そんなあたしを前に、商会長はさらりと話を変えた。
「とにかく、はっきりしていることは俺がシャルテちゃん、そしてシャルテちゃんの夫であるカインズさんのためには尽力するよってこと。多分カインズさんも普通の男じゃないんだろ?」
「……まあ、一応……」
「シャーレーン様の夫ってことは、もしかして神様だったりする? あははまさかね」
あたしはチラリと神様を見る。
話が始まって以来微動だにせず黙っていた神様が、あたしを見て平然と言う。
「本当のことを伝えて何の問題がある?」
「う、うわあ……本当に神様なの……? 恐ろしいなあ、俺に天罰を与えないでくださいね?」
「シャーレーンに色目を使ったら殺す」
「大丈夫! シャーレーン様は俺にとって恩人の娘だから! カインズさんに嫌われちゃうようなことは、絶対シャーレーン様にもシャルテちゃんにもやらないよ」
「ならば良い。今後もシャーレーンのために励んで欲しい」
二人の会話に、あたしは頭を抱えた。
「なんなんだ、この集まりは……」
過保護で溺愛の夫の神様。父に異常な執着を見せる若き商会長。
――あたしって、妙に重い連中に好かれやすいんだろうか。
そう溜息をついていると、神様が勝手に心の声に応えた。
「あの女もそうだろう。ルルミヤという女」
「あれもその枠に入れるのかよ!」
「ああ……ルルミヤ様、ねえ」
商会長が表情から笑みを消し、足を組み直す。
場の空気が真剣なものへと切り替わる。
「今回の『聖女聖父の祈り』の件も、彼女が噛んでる可能性……あるよね?」
あたしはロバートソンさんに頷く。
そしてマケイドに帰ってくるまでにまとめたことも併せて共有した。
――シャーレーン・ヒラエスと聖父の名前を穢そうとする勢力が黒幕でないか。
――シャーレーンに恨みがありそうな教会に通じた権力者として、ルルミヤが黒幕ではないかと考えられること。
――ルルミヤは湖牢にいて、本人がそのままあちこちで暗躍するのは無理だということ。
ロバートソンさんは顎を撫でながら頷いた。
「俺もいろいろと調べてみる。中枢領域関係については王妃様の調査が入るだろうから、商人や一般人から得る情報の中で、何かないか調べるよ」
「ありがとう。けれど謝礼はいいのか?」
商売人を謝礼なしに動かすのは気が引ける。
するとロバートソンさんはにっこりと笑った。
「大丈夫だよ。今たっぷりシャーレーン様……もといシャルテちゃんに恩を売って、後日いろんな広報活動に手を貸してもらう予定だから」
「こ、広報活動⁉」
「シャルテちゃんのイラストをつけた特製ハーブティを作ってもいいし、シャルテちゃんが直々にハーブティを入れてくれる特別券を商品に封入してもいいし、そうだ薬師協会のイメージ向上イベントのアンバサダーにも」
「……シャーレーンを利用するつもりか?」
神様が睨む。瞳が金になる。
ロバートソンさんは急いで手をブンブンと横に振る。
「もちろん奥様が嫌なことはしませんよ! あっそうだ、シャルテちゃんじゃなくて神様でもいいですよ! 神様も随分と美男子ですし、あなたが手を握りながら薬を配るだけでも、女性ファンが長蛇の列」
「それはあたしが嫌だ!」
二人の話に割り込む。
ロバートソンさんはあっはっはと笑う。
あたしがシャーレーンだと明かした途端に何か吹っ切れたのだろう、とてもご機嫌だ。
「まあ、無理のない範囲でお互い助け合って生きていこうよ。俺はヒラエスさんとシャーレーン様は家族だと思ってるしさ。末長く今後とも、よろしくね」
ロバートソンさんは姿勢を正すと、あたしに握手を求めてくる。
あたしも背筋を伸ばして、ロバートソンさんと握手した。
「こちらこそ、今後ともよろしく。ロバートソンさん」
あたしたちは微笑みあった。神様は隣で「さすが俺の妻」と言わんばかりに腕組みして一人で頷いていた。




