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「あっはっは! カインズの旦那が騎士! あーっはっはっは」
「笑わないでくださいよぉ、ロバートソン商会長さん〜〜」
後日。
あたしと神様はロバートソン商会長の邸宅に訪れていた。
テーブルの上に並べられたのは遠いエイゼリアという島国から寄せられたお菓子の数々。
なんでもロバートソン商会長が仲良くしている商人がやってきているとかで、あちらで人気のお菓子のレシピをキッチンメイドがあれこれと作っているとかなんとか。
赤くて丸くて大きくて美味い苺を丸ごと、ふわふわの生地と黒いアンコと呼ばれる甘味で包んだ甘いお菓子とか、ひよこの形を模した白いアンコ(アンコは白いものもあるらしい)お菓子とか、エヂュチ家派とブラック家派の二種類に分かれて王国をあげた派閥争いが行われている蒸しパンだとか。
とにかく甘くて珍しいスイーツの数々に、さらに高級な紅茶までセット。
大笑いするロバートソン商会長を前に、あたしは遠慮なくもぐもぐといただく。
ロバートソン商会長は目尻の涙を拭い、ようやく大爆笑を収めつつ言った。
「いやごめん面白くってね。あはは、騎士……あはは、貴族の仲間いりかあ、大変だねえ。今度から王妃様御用達ハーブティとして売れちゃうねえ、よかったねえ」
「他人事みたいに言わないでくださいよう。これからたくさん王宮からのお誘いが入ることになって、大変なんですから」
「でもおかげで戸籍もはっきりとして、王妃様のお墨付きを得た。きちんとシャルテちゃんとしての人生を送るには、ちょうどよかったんじゃないのかな?」
「まあ、そうですけど」
そこで何気なく思い出した風に、ロバートソン商会長は話を変える。
「そうそう。もうトリアスから聞いてるかい? あの騒ぎで起きた不思議な話を」
「不思議な話? 聞いてないです」
マケイドに帰ってからはいろいろとバタバタしていて、そういえば手紙が届いていても気づけない状況だった。
商会長は頷く。
「そうか、シャルテちゃんが捕まえられなかったから俺に話してくれたんだろうね。……あのソルティックでの『聖女聖父の祈り』事件だけど、結局聖父様は偽物のご遺体だったんだよね?」
「はい。可哀想な話でした」
「それがね。聖父様に助けられた……って言ってる人がいるんだよ」
「え」
あたしは思わず顔を上げる。
ロバートソン商会長はちょうどひよこ型のお菓子をペロリと口にしたところだった。
指を舐めながら、彼は続ける。
「俺は直接は見ていないからあれなんだけど。胡散臭い宗教施設が燃えた直後に、霊泉がブワーッと空に舞い上がったーーそれは間違いなんだよね?」
「はい」
「その宗教施設が燃えてる時に、聖父様が『ここは危ない、逃げろ!』って逃してくれた、と……そんな話があるんだよ」
あたしは眉を寄せた。
それこそ信者たちが見た幻覚なんじゃないか、と。
そんな与太話にロバートソンさんが食いつくのはらしくないなあ、と思いつつ、あたしは一応義務として話を聞く。ロバートソンさんは膝の上で手を組み、続けた。
「その聖父様が興味深くてね。口調がチンピラのように荒っぽくて、髪の色はひよこ色、背が高くてがっしりとした体格の男だったそうだ。……世界唯一無二救国救命聖女シャーレーン・ヒラエス様の高貴なるお父君とは思えないほど、ちょっと柄が悪かったそうだ」
あたしは息を呑んだ。
胸を押さえながら、話を聞く。決してアンコが喉に詰まっているのではない。
「信者たちの証言は揃っている。薬で見た幻覚ならば聖父様のイメージがそんなチンピラの男の姿で揃っているわけがない。シャルテちゃんだって思うだろ? シャーレーン様の父親たる人が……ガラの悪いチンピラなわけはないって」
「……一般論で言うなら、違いますね……」
あたしは口に出した後で、シャルテちゃんらしいぶりっこを忘れてしまっていることに気づく。
けれどロバートソン商会長は口調に動じず、話を淡々と続ける。
「その聖父様は信者たちの命の恩人だ。だから教会関係者も信者たちも彼を探しているらしいんだが、どこにもいないらしい。それも妙な話だ。ソルティックの街は人里から離れている。珍しい見た目の男が一人で逃げているのなら、どこかでももう少し目撃証言が集まってもおかしくない」
「……」
「ねえ、シャルテちゃんはどう思う? 彼のことを」
あたしは言葉が出なくなっていた。
隣の神様が、あたしの心の中に話しかけてくる。
(どうする? この男の記憶を消すか?)
(……いや。いいよ。……きっとこれは多少人の記憶をいじっても取り返しがつかない……)
あたしは深呼吸をして、ロバートソン商会長の顔を見た。
商会長はあたしをじっと見ている。
奥様はいない。よく見ると、使用人も応接間から消えている。
あたしと神様と、ロバートソン商会長だけの空間になっていた。
ーーああ。ロバートソン商会長は、この話を切り出すために、わざわざ。
「……商会長さん。私の意見を言う前に、一つ確認させてください」
「うん。なんだい?」
ゆっくりと紅茶を飲み干す。
そして背筋を伸ばし、あたしはロバートソン商会長を見た。
「……商会長。あなたは一つ言わないでいることがありますね」
「なんのことだい?」
「本当は知っているんでしょう?」
「ん?」
「……シャーレーン・ヒラエスの正体を。そしてあたしの秘密を」
ロバートソン商会長は笑みを崩さない。
しかし瞳はしっかりとあたしを捉えている。
ーークロだ。
あたしは確信を込めて続けた。
「あなたは危ない橋は渡らない人です。若くしてマケイドの商会長という立場もありますし、妻子もいる。そんなあなたが流れ者の怪しい夫婦に店を貸し、懇意にし、今回も危ない橋を渡ってくれた」
「当然のことさ。だってシャルテちゃんは『シャーレーン様の御使』だろう?」
「もうすでにそれは終わった話でしょう、商会長。そもそも今回はその、シャーレーンに纏わる胡散臭い話に纏わる話です。胡散臭さでは私もあちらも変わりない。……けれどあなたは明確にあちらを偽物だと判断した。そしてわざわざ大切な薬師協会の伝手を使って都合をつけてくれた。……あなたには確信があったんです。流れ者で妙な薬を売る、学校にも通っていないただの小娘ーーシャルテが、怪しくないという確信が」
「……そうだね。あなたのことは信頼しているよ」
「教えてください。……あなたはあたしを、誰だと思っているんですか? 何を知っているんですか? ……もしかしたら、あたしとあなたは、同じものを追いかけているのではないですか?」
「……煙草、吸ってもいいかい」
ロバートソン商会長は突然言葉を紡いだ。
前髪をくしゃりとかきあげ、ジャケットの胸ポケットから煙草を取り出す。
ゆっくりと、深くーー彼は静かに一本吸い切った。
そしてもう一本、煙草に火をつける。今度は吸わずにじっと手元で炎を見つめていた。
「……昔話をしようか」
ロバートソン商会長が静かに呟く。その声音はいつもの彼とは違う哀愁が滲んでいた。
「時間はたっぷりとあります……聞かせてください」
「俺はね。ヒラエスさんに助けられたんだよ。何度もね」
ーーそこから聞かされる話は、ロバートソン商会長の数奇な出会いの記憶だった。




