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それからはとにかく慌しかった。
宗教施設は湯柱になって全壊。
残されたのは呆然と座り込んだ、ここ最近の全ての記憶を失った信者たちと、これまた全ての記憶を失った神官たち。
湯が止まった後に残された跡地には、綺麗な白骨の遺体が残されていたという。
その遺体は体格から、ソルティックに派遣されていた神官だと判明した。
彼は新興宗教『聖女聖父の祈り』が勃興するほんの少し前から姿を隠していた。
彼の殺害に関しては、『聖女聖父の祈り』で救命神官という肩書きで人々を扇動していた詐欺師の男が名乗り出た。しかし名乗り出た直後、何者かによって彼は殺されたらしい。
残されたのは聖父として祭り上げられていた哀れな神官の遺体と、そこで起きた事件の報告書、そして神様が保管していた薬だけ。
ソルティックの街の後始末はトリアスに任せ(丸投げとも言う)、あたしと神様はロバートソンさんの用意した馬車でマケイドまで帰ることにした。
トリアスについてはロバートソンさんが用意してくれていた護衛を残した。
またトリアスは、あたしと神様が潜入調査している間に信頼できる神官仲間たちの縁を頼り武装神官も呼び寄せていたらしい。
酒場から明らかにチンピラにしかみえない肩幅の広いムキムキの武装神官らが「俺たちの出番だな!」と教会に向かったのを見た時はーー正直ちょっとびっくりした。
あとは神様の蛇も十匹くらい残してきたし、トリアスはある意味国で一番警護されているような状況にある。
ここまですれば多分大丈夫だ。
証拠は神様の懐の中にある。
さっさと離れた方がいいと思うので、夜も馬車を走らせている。
あたしは馬車の中でシャーレーンの姿に戻り(シャルテの姿だと夜更かしすると眠いのだ。体は所詮子供と言うことだ)話を整理した。
「救命神官は何者かに薬漬けにされ、薬と引き換えに『聖女聖父の祈り』を運営させられていた。運営の目的は「シャーレーン様と聖父様のためになんでもできる信者を作ること」……ってことは、シャーレーンと聖父の名の下に何かをさせるつもりだったんだろうな、黒幕は」
「シャーレーンと聖父」に関する人間が騒ぎを起こせば、当然シャーレーンの評判は落ちる。シャーレーンを永久に筆頭聖女に任命した教会の権威も落ちる。
以前の騒動のように国家転覆を目論んでいるとは考えにくい。
あまりにもやっていることが小さいのだ。
この国を動かしたいのなら中枢領域に繋がるのは必至。
地方の小さな都市で信者を増やしたって、そこから市民活動を扇動してくなんて無茶だ。
そもそもいくら地方でちまちまやっているとはいえ、いずれすぐに目論みは露見する。
実際、今回も王妃様や薬師協会に目をつけられていたのだから。
大きなことをするつもりはない。だが鉄砲玉的な存在を作っていた。
あたしは顎を撫でた。
「……教会とシャーレーンに恨みがある人間が黒幕、か……」
「そういうことだろうな」
「あたし、誰かに恨みを買ってたっけ」
「シャーレーンは世界が嫉妬する存在だ。恨みを買うのもやむない」
「そういうことじゃなくってさ」
あたしは肩をすくめる。
当然あたしは善人だとは思っちゃいない。
ただ同時に、シャーレーンという存在はこの世にはいないことになっている。
異世界に帰ったことになっているからだ。
生きているあたしの人生を破滅させたいならともかく、異世界に帰ったシャーレーンという女の評判を落として何になる?
シャーレーンを贔屓する教会の立場を悪くするため?
ーー冗談。
そもそも教会は今大きな力を失っている。ほっとけば自滅する相手に死体蹴りする意味はない。
そうなるとーー結局、行動の動機はあたしに対する恨みや怨恨ということになる。
あたしという存在を貶めたい奴。そして。
「あたしが……まだここに生きていると……知っている奴……」
シャーレーン・ヒラエスに薬師の父がいて、シャーレーン・ヒラエスが生きていると知っている、教会から薬を奪えるようなポジションにいる誰か。
「……なぁんか……一人だけ……あいつかなーって思う奴がいるんだよな……」
あたしは頭を抱える。
思い出したくもない、嫌な存在のことが頭をよぎったからだ。
「……神様。第二王子は……死んだんだよな?」
神様は頷いた。
「彼は魂をストレイシアに喰われて死んだ。哀れな最後だった」
「そうか……」
はっきりと死んだと言われると、流石にちょっと悲しくなる。
彼は将来有望な王子だった。
傲慢なところがあっただろうけど、若い時の失敗なんて誰にでもあるだろう。
その弱い心につけ込まれ、取り返しのつかないことをしてしまった。
そして罪を償うこともできないまま死んでしまった。
ーー神という存在に、翻弄されたばかりに。
「シャーレーン。あなたの責任ではない」
噛み締めたあたしの唇に触れ、神様が優しく言う。
「わかってる。ごめん」
あたしは笑顔を作って気持ちを切り替える。
「ピッシオゼ大神官も亡くなった。そのほかにもあたしを恨んでそうな人はみんな死んでしまった……一人を除いて」
「ルルミヤ・ホースウッドか」
「ああ」
あたしは頷いた。
そして窓の外の星空を見つめ考える。
野心家でギラついた眼差しをした、あの浅ましくも恐ろしい聖女。
最低だった。
聖女たちをめちゃくちゃにして、人を人とも思わない行動を取り続け、己の欲望だけで突き進んでめちゃくちゃになった女。
許されてはいけない存在だ。きちんと罪を償わなければならない存在だ。
「あいつは……湖牢に入っているんだっけか」
「まだ生きている。気配があそこにある」
「神様がそういうのなら、そこにいるんだろう……なあ」
湖牢とは、サイティシガ王国の北方にある大陸最大の湖、その中心に人工的に作られた刑務所の通称だ。
特に凶悪で死刑が妥当とされた聖職者や聖女が収監されている場所だ。
サイティシガ王国は死刑制度がある。しかし慣例として聖女と聖職者は死刑になることはない。
聖女も聖職者も土地神カヤに愛された存在である、という建前があるからだ。
死んで楽になるよりも辛い生かさず殺さずの終身刑。
あの派手好みの女が受けるには妥当な刑罰のように感じる。
「湖牢にいるあいつのために動いて、あたしの名に泥を塗ってくれるような奴がいるのだとしたら……随分愛されてやがんな、あいつ」
「愛されているかはわからない。しかしあの女はシャーレーンに復讐するためならばなんでもやるだろう」
「へえ? 神様のその見解の根拠を聞こうか」
「あの女は……シャーレーン以外は見ていなかったから」
「は? あたし?」
あたしは思わず彼を見た。神様は頷いた。
「俺はシャーレーンを愛している。だからわかる。俺の愛には遠く及ばないもののあの女はシャーレーンに執着していた。だから人生の全てを賭けてでも、シャーレーンに一矢報いようとしてもおかしくない」
「なんだよ熱烈なラブコールみたいな話だな?」
「実際それに近いのだろう」
神様は当たり前のように頷く。
「愛憎は似ている。俺はシャーレーンの全てが欲しい。渇望する。そのために神としての生き方が変わった。それでも幸福だと思う。おそらく彼女はシャーレーンに出会って生き方が変わり、魂がシャーレーンに飲み込まれ、シャーレーンを奪い尽くさなければならない渇望に苛まれているのだろう」
「……神様が言うと本当っぽいなあ」
「俺は嘘をつかない」
「あっそ」
あたしは話をやめ、目を閉じてルルミヤのことを思い出す。
ーーあの女はあたしにずっと執着していた。
それこそ、筆頭聖女になる前から。




