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「ッ……!!」
救命神官が目を白黒させる。
まさかそのまま飲むとは思わなかったのだろう。
最初は驚愕に染まっていた表情が、次第に勝利を確信するいやらしい笑みに変わっていく。
あたしは冷めた目で見ていたーー相手は神様だぜ? 神官様よぉ。
ごっくん。
神様は喉を鳴らして呑み、唇を嫣然とペロリと舐める。
表情は一切変わっていない。
「な……あれだけの薬を飲んで……何も変わらないだと……?」
「もっと飲んでも構わない。お前の口移しは嫌だが」
神様はさらりとそんなことを言うと、袖の中から瓶を取り出して瓶の栓を抜き、指先をそこに差し込む。
サラサラと粉が中に溜まっていく。
「な……な……」
「さっき飲んだ粉だ。口から出すよりこちらの方が楽だから」
「いやいやいや! な、なぜ指先から粉が!?」
「できるのだから仕方ない」
「あ、あわわわわわ……」
あたしは神様に寄り添って、ニヤリと笑う。
「これくらいの奇跡、余裕で起こさねえと新興宗教なんて難しいぜ? 救命神官様よ」
神様が空気をさっと手で払うと、蛇が勢いよく飛び出して救命神官様を捉える。
救命神官は雄叫びをあげた。
「く、薬が切れて、幻覚が! 薬を、薬を〜!!!」
「やっぱり色々分かってんじゃねえか。あんたは黒だな。覚悟しとけよ」
あたしは救命神官の脇を抜け、ベッドの天蓋を捲る。
中には案の定ーーミイラと化した男の遺体があった。
体の痛みを誤魔化すように豪奢な絹のフリルたっぷりの服を着せられ、手足には化粧が施されている。
顔は目が落ち窪み、物言わぬ口がぽかんと空虚に開いていた。
匂いは防腐処理のおかげでしないが、保存状態が悪いのだろう、相当に傷んでいる。
髪は無理やり脱色されているのだろう、ボロボロで縮れ毛になった金髪は、半分ほど削げ落ちつつなんとか頭皮に張り付いている。
ひどい有様だった。
死体に罪はない。あたしはそっと祈りを捧げる。
「……安らかに眠ってくれ」
そしてあたしは神様を見た。
「彼が誰かわかるか?」
「……この国の生まれの男だ。肺の方からこの薬の匂いがする。長い年月飲み続けた匂いだ。……おそらく教会関係者。背中あたりの骨と肉が破壊されている。殺されたのだろう」
「……そうか」
あたしは彼の枕の下を探る。
そこには隠しボックスが作られていて、蓋を開けると中には真っ白な粉がなみなみと入っていた。
「俺に薬を、薬を、頼む、このままでは……やめろ、蛇の大群が俺のことを喰らって、電撃が、ひゃはははは」
救命神官が心を壊して泡を吹いて独り言を呟いている。
立て続けに本物の奇跡を見て、薬の副作用も相まって完全にやられたのだろう。
神様は救命神官を見下ろして尋ねる。
「この行動の目的は? 首謀者は誰だ?」
「わ、悪気はなかったんだ、俺はただ『聖父様の御精印』を貰うためには神官になるしかなかったんだ、だからあの人に言われるままに神官を殺した。死体はそこの聖父様だ。俺はただ薬を配っていただけの詐欺師で、それ以上のことはねえ、ただ聖父様と世界唯一無二救国救命聖女シャーレーン・ヒラエス様のために死ねる人材をたくさん作れと言われていた、そして中央にバレないようにしろと、なあ、答えたからいいだろう、薬を、薬を」
「まだ終わっていない。首謀者は?」
「それは決まってるだろう、教会のーー」
その時。
外で大きな爆発音がする。神様の霊泉の音とは違う、明らかな火薬の匂いがする爆発音だ。
「何が起きた!?」
あたしと神様はカーテンを破り窓を割り、外を見る。
庭から一回から火の海になっていた。
神官の姿をした男が数名、馬に乗ってすごい速度で逃げていくのが見える。
ーーやられた!
「神様、追求は後だ、信者たちを助けるぞ!」
「分かった」
◇◇◇
あたしたちが全世界救命最上極楽堂を出ると。すでに煙が立ち込めていた。
もともと火薬を入れていたのだろうか、爆破の勢いは激しくて、すでに巻き込まれた人がいてもおかしくない。地下にいる信者たちは尚更逃げられないだろう。
「神様、人が死んでる感じはあるか!?」
「ない。これからすぐに消す」
神様は言い切ると、瞳を金に輝かせる。
その瞬間に外の霊泉の噴水が次々と湯柱を立て、3階建ての宗教施設よりも高く立ち上る。建物も大きく揺れる。
「神様、もしかして建物の地下からも噴き出すようにした!?」
「早くていいだろう」
「そ、そういう問題か!?」
建物がぐらぐらと揺れて、あたしは神様にしがみつく。
かくして床がバキバキと割れ霊泉の湯が勢いよく噴き出す。
激流に押し流され、あたしは空高く上昇するのを感じる。
「うわあ……ッ!!!」
目を開けた次の瞬間、視界にあるのは雲ひとつない空と神様の涼しげな顔だけ。
そして足元を見下ろすと、点のように小さくなったソルティックの街と、『聖女聖父の祈り』の宗教施設丸ごと破壊した馬鹿でかい湯柱の姿。
「な、なんてことに……!!」
「問題ない。人間も犬も皆無事だ。湯を浴びた者はみんな全ての幻覚が抜けるようになっている」
「ききき規格外すぎんだろ!!!」
ご都合主義にも程がある。
「と、とにかく急いで戻らないと……」
ーーん?
あたしはふと思う。
戻る。とは。
どうやってこの空から戻るのか?
あたしは神様を見た。
神様は人間の姿のままだ。
例の蛇神の姿でも龍の姿でもない。
冷や汗がたら、とこぼれ落ちる。
「……もしかして、このまま落下するしかないわけ?」
神様は当然という顔で頷いた。
「怪我はしないし、落ちるのは早い。それでいいだろう」
「い、い、わ、け、ある、…………かああぁああぁあぁあぁぁぁあぁあ!!!!」
ーー自由落下。
空が綺麗だ。
あたしを愛おしそうに見つめる神様が綺麗だ。
それはともかく、落下速度は地獄だ。
「シャーレーンはどこに落ちたい?」
「んなこと言ってる場合じゃねえだろ!!! 流れ星じゃねえんだッ!!」
うっとりとロマンティックなことを言われてもどうしようもない。
◇◇◇
ーーその日、遠くの街にて。
真昼の空に流れ星が落ちたのを見た人がいると言う。
それをちょうど目撃した、とある善良な姉弟は願った。
世界が平和でありますように、とーー。




