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そんな感じで、連日少しずつ信者たちの薬を抜いて、一人、また一人と『聖女聖父の祈り』から脱出させて行った。
ある男性は、職場でいびられたトラウマでここにきていた。
「ありがとうシャルテちゃん。違う街に働き口があるのなら希望がある! 職場の連中だって俺を忘れてるだろうに、なんで俺ばっかり鬱々としなきゃいけないんだ」
ある女性は、家族に先立たれていた。
「そうね……私は辛かったけれど、私を励ましてくれていた村の親友がいたわ。……彼女は今の私を見たらきっと怒るわね……。追い先短いのだし、最後まで少しは人助けをして生きていこうかしら」
ある夫婦は不妊と不能で別れるように言われ、駆け落ちしていた。
「すごい! シャルテさん聞いてください! 俺! 股間が!」
「シャルテちゃんが背中をさすってくれただけで、こんなに復活するなんて……!」
ある男はシャーレーンの信仰者だった。
「あのシャーレーン様がいない世界で俺は生きていけないと思ってたけど……シャルテちゃん……推しますッ!!!」
「はいはい、元気でな」
神官たちはどんどん消えていく信者たちに疑問を抱いていたようだったが、神様の権能で彼らの認識をぐちゃぐちゃにして誤魔化した。
少し彼らの脳みそが心配になる強引な手だが、世界平和のためだ、仕方ない。
そんな感じで少しずつ囚われている人々を正気にしつつ、あたしは神官たちの顔を一人一人チェックした。
大抵の神官は地方出身の顔も知らない奴だったが、一人だけ中央にいた男を見つけ出した。
(神様、あいつ中枢領域にいたよな?」
(ああ。あれは中央育ち中央生まれ、貴族に近い場所に暮らしていた匂いがする。おそらく奴はーー)
(ああ、わかったよ。中央のやつがいるというだけでも十分な収穫だ)
◇◇◇
そして三日後の午前中、礼拝の後。
いつものように信者の目を醒させてやろうとしたところで、あたしと神様は険しい顔をした神官に名を呼ばれた。
「善男カインズ。善女シャルテ。救命神官様がお呼びだ。至急、全世界救命最上極楽堂まで来るように」
「ぜん……ええと……もう一度」
「全世界救命最上極楽堂。この建物の三階の一番奥にある部屋だ。私がこれから案内する。ついてこい」
「はーい」
あたしは神様と顔を見合わせて、頷きあう。
流石にそろそろ潮時だとは思っていた。
まだ気になっている信者はいるけれどやむを得ない。
あとの調査やケアは本業のトリアスと本部に任せることにする。
長い廊下と曲がりくねった階段を何度も行き来し、頭が混乱しそうになるような(実際混乱させるための仕組みなのだろう)迷宮めいた行程を抜けた先、あたしと神様はついに救命神官の前に立つことになった。
施設の中で救命神官とは何度も顔を合わせていたが、こうして向かい合って会話するのは、初日以来だ。
あたしと神様は、ここですっかり慣れた珍妙な辞儀をして、彼の顔を見上げる。
彼は疑念と憤りを押し殺したような顔をしていた。
「カインズ、そしてシャルテよ。二人は今この『聖女聖父の祈り』の内部で、奇怪なことが次々と起きていることを知っているな?」
「奇怪なこととは?」
そう尋ねるのは、神様(の口を借りたあたし)だ。
救命神官は神様を見下ろし、問いただす。
「お前は妻シャルテに言葉巧みに語らせ、信者たちに迷いを与えているな?」
「ハッ。迷いとは?」
私の指示通り、神様は鼻で笑う。
「我が妻と会話した人々はその中で聖父様や世界唯一無二救国救命聖女シャーレーン・ヒラエス様様の教えを思い出し、自らの足で歩いて行けるようになっただけでございます。人々がありがたい功徳で立ち直り、そしてこの『聖女聖父の祈り』の教えを広めていくことこそ、世界唯一無二救国救命聖女シャーレーン・ヒラエス様や聖父様の望むことではないのですか?」
それとも、と神様は(あたしの求めるまま)目を眇めて挑戦的に笑う。
「……ここの教えが広まっては不都合が? 中枢領域に届いてしまっては、よろしくないのか?」
神様の煽りに乗って、救命神官が顔を真っ赤にして立ち上がる。
「神への冒涜であるぞ! カインズ!」
ぎゃはははは。神を冒涜してんのはどっちだよおっさん。
心の中で思いつつ、あたしはシャルテちゃんの顔で訴える。
「救命神官様! 夫をお許しください! あの薬がなければ生きていけないんです、夫は!」
救命神官は思い出したようにはっと目を見開くと、途端にニヤリと唇の端を釣り上げる。
「そうか。そうかそうか。カインズ、お前は薬が足りなかったようだな! やはり私の口移しではないと聖父様の力は効果がないのだ!」
救命神官が大股で奥の寝台へと向かう。
そして中に入った瞬間、あたしと神様は腰を浮かす。
物陰に隠れていた神官が槍を持ってあたしたちを止めようとするが、
「『動くなよ、てめえら』」
あたしが言葉に魔力をのせる。
彼らはビシ、と動きを止める。
表情だけは動かせるので、彼らは信じられないとばかりに目を見開いていた。
口をぱくぱくとさせるが、彼らは離せない。
あたしと神様は堂々とズカズカと祭壇の上まで上がる。
その時大慌てで救命神官が中から出てきた。
「この薬を飲め! もっと飲め! 飲まないならば死ね!」
「……いいだろう」
神様はむんずと救命神官の腕をつかむ。
そして手のひらいっぱいに掴まれた白い粉をーーなんと、そのまま口の中に放り込んだ。




