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(わかった)
神様はあたしの指示通り、急に胸を押さえ、息を苦しげに吐く。
シャルテは大袈裟に愛する夫に縋りつき、説明がかったセリフを吐いた。
「ああっ! 大切なあなた! 死なないで、薬さえ、薬さえあれば……ずっと一緒にいると誓ったのに! うわーん!」
神官が一瞬「あなた……?」と呟いたものの、すぐに気を取り直したように神様に寄り添う。
他の善男善女の信者の皆様がハラハラとした様子で神様を見守っている。
救命神官なんて大それた名前の男の目の前で人が死んではたまらないだろう。ベッドには聖父サマだって横たわってることだし。
あたしはちら、とベッドを見る。聖父様らしき人は、微動だにもしていなかった。
救命神官は頷く。
「大丈夫です。これも何かの縁。少々お待ちください」
彼はささっと聖父様のベッドに近寄り、天蓋の中に入る。
そして枕元でこそこそと何かを会話するそぶりを見せると、恭しく手元に何かを捧げ持ってやってきた。
小さな白い紙の包みだ。
それを見た瞬間、信者の皆様が歓声を上げる。
「おお…… 『聖父様の御精印』……!」
「聖母様が口にした途端、世界唯一無二救国救命聖女シャーレーン・ヒラエス様がご降臨なさったという、伝説の……!」
「『聖父様の御精印』ならば……!」
救命神官は他の神官に手伝わせて神様を仰向けにする。あたしは神様に膝枕を貸して、彼の手元を注視する。
彼が神様の顎を取ろうとしたので、あたしは手首を掴んだ。
「待ってください! 夫に、何を飲ませるのですか?」
「『聖父様の御精印』です。本来なら水に溶かして液状にして飲むのですが、今日は特別に私が口移しでーー」
次の瞬間。
神様の手足がビクンと跳ねる。心の中で叫び声が聞こえた。
(シャーレーン! 嫌だ!)
(わ、わかってるって! あたしも嫌だよ!!!!)
あたしは目を潤ませ、救命神官の手を取る。
「私が口移しします! だって私、奥さんだもん!」
「いやいや、これは救命神官たる私の役目。あなたは祈りを捧げなさい。この薬は救命神官たる私が与えなければ意味がないのです」
救命神官はあろうことか口移しを譲らない。
救命神官ってもしかしてそういう意味!? 口移しで薬を与えて命を救命するって……こと!?
彼はあたしの手を振り払おうとして目を見開く。そりゃそうだ。幼女なのにびくともしないのだから。 神様の権能を使って詠唱なしで腕力を向上させる魔法を使っている。
あたしは落ち着いた顔で告げた。
「……救命神官様。どうか、私に夫を救わせてください。……私の口付けで夫が死ぬのならば、それは私の責任。けれどもし回復したのならば、それは世界唯一無二救国救命聖女シャーレーン・ヒラエス様と聖父様が、私に力を貸してくれたということです」
あたしの言葉を聞いていた救命神官の表情が変わる。
「そういう、ことなら……」
よしよしおっさん、お利口さんだぜ。あたしは心の中で思う。
救命神官もうっすらと、ここで神様が死んだらたまったもんじゃないと思っていたのだろう。あたしが責任を引き受けたおかげで、ここで神様が死のうが『聖女聖父の祈り』の責任ではないとはっきりした。死んでしまえばあたしを愚かな魔女にすればいいだけ。
逆に回復すれば、『聖女聖父の祈り』の威光は増す。
(というわけだ、神様。キスさせてもらうぜ)
(早く)
(あんたほんとこういうとき正直かつ欲望に忠実だよな)
あたしは救命神官から包みを取ると、開いてさっと目視する。真っ白な粉だ。あれかな?と検討をつけて口に含み、味であれだと確信する。随分と規定量より多いが、それは今考えることではない。
そしてーー膝枕した神様の顎をとり、あたしは神様に口付けた。
口移しで粉をそのまま渡す。
神様が薬を舐めとるように舌を絡め、全ての粉薬を掬い取った。
ーー待てよ。これあのおっさんがやる時も唾液で粉薬を溶かして口に入れてやるってことか? 舌を絡めて? うわあ……
そう思いながら顔をあげ、口元を拭う。
人々が固唾を呑んで神様の様子を見る。
神様は10秒を数えたところで、すっくと半身を起こした。
そしてあたりを見回し、口元を押さえて驚きの演出をする。
「……治った……心臓が、苦しくない」
ーー数拍おいて。
場が、熱狂した大歓声に包まれた。
「おおお! 世界唯一無二救国救命聖女シャーレーン・ヒラエス様の奇跡が! 聖父様の奇跡が……!」
「『聖父様の御精印』はついに胸の病にさえ!!!」
「よかった、本当に良かった。治って良かった」
救命神官が両手の指を組んで涙を流して喜んでいる。
ーーそりゃ緊張しただろうな彼も。
あたしは神様と抱き合って幸福な奇跡の夫婦を演じながら、胸の中、ちらりと聖父様のベッドを見た。
ベッドの中の彼は微動だにしない。
あたしは神様に尋ねた。
(神様。……あれは、生きてるか? それとも)
(死体だ)
神様がはっきりと告げる。
(あれは死体だ。……何らかの男の死体が、防腐処理を施されてあそこに横たえられている)
あたしはまだ薬の味の残る生唾を嚥下した。
突然現れた怪しい『聖女聖父の祈り』と言う宗教団体。
『聖父様の御精印』と言う名で与えられる幻覚薬。
聖父様として堂々と扱われる死体。
ーー王妃様。
これは流石にちょっと、看過する訳にはいかないようですよ。
あたしは神様の胸に顔を埋めながら、小さくため息をついた。
まだまだこの世界は、シャーレーン・ヒラエスを面倒ごとに巻き込みたいらしい。




