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「学校、ですか……?」
「うん。まだその年齢だし、独学で勉強するよりずっと早いんじゃないかな? シャルテちゃんなら簡単に奨学金が取れそうなのに。基礎学校で習う分の教養はあるみたいだから、技術学校にだってすぐにいけるよ」
「それは……」
「年齢だって問題ないさ。普通は技術学校は15歳以降に行くものだけど、シャルテちゃんなら入学試験も受かるでしょ?」
ロバートソン商会長の言葉を聞きながら、あたしは教科書へと目を向けた。
確かに、本当の9歳ならば学校に行くのが一番だ。この国では一応10代の若者に向けた学校制度が整っていて、平民も貴族も試験に合格したものは誰でも基礎学校から技術学校まで好きに入学できる制度がある。基礎学校は読み書きや計算、ざっくりとした国の歴史や文化に関する教養を学べる学校。ほぼ面接だけで入学できる。なんと国民ならみんな無料だ。
商会長の言った技術学校は、基礎学校で習う範囲の筆記試験、面接試験に合格したら入学できる学校だ。
技術学校で学べば確かに、卒業と同時にいくつも資格が手に入る。薬師の国家試験で必要な科目数も減るし、ぐっと試験が楽になる。何より最新の薬学をたっぷり学べるのがありがたい。
とても魅力的だ。でも。
「……私は、独学で頑張ります」
あたしはロバートソンさんから教科書を受け取り、肩をすくめて笑顔を作る。
あたしが今持っている戸籍は神様の権能で捏造したもの。どこで綻びが出て、偽造の戸籍だとバレるかはわからない。
そもそも、見た目があれこれと変わるようなあたしが、まともに今後「シャルテちゃん」として生きていけるかどうか。
ーー難しいと思ってしまう。
「そう? 勿体無いような気がするけど」
ロバートソンさんは片眉をあげる。
「学校では友達もできるし、薬師としての人脈にも繋がるよ。何より10代の頃の友達ってとってもありがたいものだしね。俺も身分抜きに繋がった友達のおかげで色々楽しくやってるところがあるし、息子だってーー」
そこで神様が、あたしを庇うようにあたしの前に立つ。
「シャルテが独学でやると言っている。それ以上の言葉は不要だ」
「……なるほどねえ」
ロバートソン商会長が、意味ありげに神様を見つめて口角をあげる。
「可愛い奥さんの可能性を潰すのが、愛する旦那さんのやることかい?」
商会長の煽りに、神様は目を見開く。神様が何かを言おうとする前に、あたしは二人の間に割り込んだ。
「ストップストップ!!! 私のことなんです! 二人で喧嘩しないで!!」
「ははは、ごめんねシャルテちゃん」
ロバートソン商会長があたしの頭をぐりぐりと撫でる。
「まっ、入学したいと思ったら俺に相談して。俺なら色々シャルテちゃんのために融通きかせるからね」
ロバートソン商会長はそう言うとあっさり引き下がり、いくつか茶葉の買い付けをして去っていった。
「じゃ、またね! シャルテちゃん」
「もう来るな」
「あはは、旦那さんも元気で」
神様がガルガルと威嚇しても気にせず、彼は店を後にする。
嵐のような人だった。
神様はあたしを抱き寄せたまま言う。
「処すか、シャーレーン」
「やめろやめろ、今回は完全にあんたの言いがかりだろ」
あたしは元の姿ーーシャーレーンの姿に戻ると、テーブルに広げた教科書とノートを閉じる。
神様があたしをじっと見ていた。
「……学びたいのか、シャーレーン」
「うん。正直……学びたくはあるけど、さ……」
あたしは鏡にうつる自分を見る。
18歳の姿のシャーレーン・ヒラエス。
あたしは本来の年齢で言うなら、もうすぐ20歳になる。
けれどあたしはこれ以上の年齢になれない。
ーー神様曰く、なろうと思えばなれるらしい。
けれどあたしはなれないのだーーきっとあたし自身が、18歳の姿以上の自分が想像できないから。想像できないものは、権能を使っても形作るのは難しい。
「あたしは……何者なんだ……」
もし学校に通って仕舞えば。
そこからは毎年年齢をきちんと重ね、真面目にシャルテという女の人生を歩んでいくことになる。
神様という人外の妻になり、それが上手にできるとは思えなかった。永遠の流れ者でいることだって難しいだろう。全ての縁を定期的に断ちながら、ふわふわと永遠を18歳までの姿で揺蕩うなんて。
ーーあたしは人間なのか?
ーー少なくとも、神様ではない。
「シャーレーン。難しい顔をしている」
神様があたしの頬を撫でる。シャルテの時は節度を守った距離感で触れてくる(だってそうしないとあたしが怒るからな)神様も、妻であるシャーレーンの姿には、こうして夫らしい顔で手を触れてくる。それが嬉しいと思う。同時にーー自分が何者か、またわからなくなってくる。
不安だ。
けれど。
それでもはっきりしていることは、一つだけある。
「……なんでもないよ、神様」
あたしは神様の瞳を見つめて微笑んだ。
そうだ。あたしはあたしの判断で、恋心で、この男と添い遂げる道を選んだ。それに一切の後悔はない。
だからあとはーーあたしがどう生きるか。
それをはっきりさせるためだ。
「ちょっと疲れたな。部屋に戻って食事にするか」
「それがいい。俺がパスタを作ろう」
「マジで?! 神様の料理、あたし大好きなんだ」
あたしは明るく振る舞いながら神様と一緒に店の上の階にある住まいへと上がる。
店を出る時ーーふと、店の壁に飾ったリースが目に入った。
たくさんのハーブと金盞花が編み込まれた、可憐なリース。
あたしは心の中でつぶやいた。
ーー父さん。あたしは、これからどう生きていけばいいと思う? あたしの心を読める神様は、その言葉に無粋な言葉をかけなかった。
ただ、黙ってあたしの肩を撫でてくれた。
どんな選択をしても、側にいると誓うように。




