1.ハリボテ聖女の追放と、突然の死
王宮の談話室にて。銀髪碧眼の美貌を歪ませ、ルイス王太子殿下が冷たく言い放った。
「元筆頭聖女シャーレーン・ヒラエス。君との婚約は破棄させてもらう」
「……畏まりました、王太子殿下」
私は粛々と頭を下げる。まっすぐに伸ばした金髪が肩を滑る。白い筆頭聖女装束を着るのも今日限りだろう。
私は先日、聖女審議会を通じて筆頭聖女を解任されていた。経歴詐称と淫交疑惑によって。
「まさか君が、経歴も素行も穢れた女だと思わなかった」
王太子は、頭を下げる私を軽蔑の眼差しで睨む。
「君は『異世界から召喚された聖女』という触れ込みで教会にやってきた。僕は君を信じていた……だから君の世間知らずも、『召喚』された時、痩せてぼろぼろの姿だったことも、そういうものなのかと信じていた。全部は、君が下賤の娘だったからなんだね」
私は沈黙する。異世界から来たカワイソウな少女として祭り上げられ、最終的に筆頭聖女になったのは、まごうことなき事実なのだから。
王太子の隣に座った聖女ルルミヤが口を出した。
「わたくしも驚きましたわ。まさか初代聖女以来の聖女異能を持つ『神に寵愛されし聖女』が……娼婦の娘だったなんて」
「……」
ルルミヤはミルクティ色の髪にピンクの瞳の、甘ったるい砂糖菓子のような聖女だ。
聖女としての能力は平凡、意欲は並以下。それでも野心と宰相の妾腹という立場を利用して、能力に余る次席筆頭聖女にまで上り詰めた17歳だ。
彼女の権力を使えば、私の出自を掴むなど容易かっただろう。
「婚約破棄後の処遇は追って沙汰が降りる。それまでは聖女寮で引き続き謹慎処分に服していろ」
「承知いたしました」
「僕はもう君とは二度と顔を合わせたくない」
「ごもっともでございます」
「聞いているだろうけれど、僕はルルミヤと婚約する」
「おめでとうございます」
「筆頭聖女も彼女になる」
「は? 無理だろ」
空気が固まる。おっとうっかり。
反射的に口を塞ぐも、王太子もルルミヤも目が点だ。
「……ほほほ。失礼いたしました。ルルミヤが筆頭聖女なんてどうかしていると思ったら、つい」
「正体を現しましたわね、女狐! 殿下、彼女はこうしてずっと聖女を演じていたのです、ずっと!」
鬼の首を取ったかのように捲し立てるルルミヤの隣で、王太子は呆然としている。
ルルミヤの罵倒は収まらない。
「場末の娼婦の娘ですもの……ああ、はしたない。どんな手管で人を惑わし筆頭聖女に上り詰めたのかしら。解任だけでは済みませんわ、何としてでも極刑を。教会はシャーレーンのせいで腐りきっているといえましょう、わたくしは父と一緒に教会内部の風紀の改革をいたしますわ、こんな穢れた聖女など、もう退出させた方がよろしいかと」
「……」
「なにかしら? その目は。ハリボテ聖女の穢らわしいあなたは、頭をあげてこうしてここに座っているだけでも不敬なのよ?」
「…………」
うるせえなーーああ、もういいか。
猫かぶりは十分果たした。
あたしはため息をつき、深くソファに座り直した。
「その辺にしとけよルルミヤ。あんたまで殿下にドン引きされんぞ」
「っ……!?」
足を組んでニヤリと笑うと、あたしはヴェールの下の金髪をかきあげる。
その所作はどう見ても、貞淑な聖女のそれではないはずだ。
あたしは、目を見開いた殿下に目を眇めた。
「ばれちまっては仕方ない。そう、あたしは娼婦の娘で薬師の父を持つ、正真正銘この世界で生まれ落ちた場末の女です」
「シャーレーン……」
「殿下。あたしたちはもう、二度とお会いすることはないですよね? だったら最後に一つだけ、本当のあたしとしておうかがいしてもよろしいですか?」
あたしの態度に、当然ながらルルミヤが立ち上がって怒る。
「ふ、不敬よ! あなた……!」
「いいよ、ルルミヤ」
「殿下、」
「……僕をずっと騙してきた聖女の本当の姿、最後にくらい見てみたいものさ」
ルルミヤは不承不承、席に座ってあたしを睨む。
王太子は護衛たちに『控えていろ』と目配せし、そして改めてあたしに向き直った。
「……それで、聞きたいことは何だ」
「ええ。あたしの淫交疑惑ってどこから出てきたんですか? 正真正銘、あたしは娼婦の母と流れ者の父から生まれた場末の女です。嘘にまみれた女です。――けれど、貞操の潔白だけは真実です」
「嘘よ」
甲高い声をあげるルルミヤを無視し、あたしは王太子の目を見て続ける。
「あたしは婚約者の殿下相手ですら、月に一度しか会えませんでした。聖女寮に所属する聖女は、たとえ婚約者相手でも異性と個人的に接する方法はございません」
「……確かに」
「そもそも純潔でなければ、神は聖女異能をあたしに与え続けないでしょう? 教義を信じるのならば」
「僕は……夜に髪を濡らして外から帰ってくることや、部屋の中で誰か男と話している声が聞こえたと話を聞いているが」
「そうよ、わたくしが王太子殿下にお知らせしたのよ」
ルルミヤが意地の悪い笑みを浮かべる。
「……ふふ」
あたしは思わず笑ってしまった。
笑うとは思わなかったのだろう、びくりと身をこわばらせるルルミヤ。王太子はますます表情を険しくする。
「何がおかしい」
「失礼いたしました。……殿下はお可愛らしいなと思いまして」
「なっ……!」
「あたしが夜に髪を濡らして部屋に戻る姿に、なにをご想像なさったんですか?」
王太子の頬に朱が散る。ルルミヤが口出しする前に、あたしは話を続ける。
「我が国は土地神カヤの齎す霊泉の恩恵を得る国。筆頭聖女の勤めとして、神殿の最奥、土地神カヤの聖堂の霊泉で沐浴をするのです」
土地神カヤ。
王宮の隣に位置する教会総本山、その最奥に守られた聖堂の霊泉にいると言われる神様だ。元は大陸全土の神だったのが初代聖女との契約で、サイティシガ王国を守る鎮国の神となったと言われている。
「筆頭聖女は神の妻でありますので、沐浴はいわば夫婦の時間です」
あえて艶っぽく言ってやれば、王太子がわかりやすく視線を彷徨わせる。
「聖女寮で男と話してたっつーのも、どこから出た話ですかね? 24時間沐浴の時間以外、自由時間のないあたしが? ……ハッ、部屋に忍び込んできた蛇相手にだべったことはあっても、人間の男と話せるわけがない」
「嘘よ。どこかの男とつるんでいたんでしょう?」
「ハッ。あたしは誓って神の妻さ。次席聖女のくせに聖女寮を抜け出して、こそこそ王太子に突撃した誰かさんとは違ってな? 手引きしたのは誰だろうな?」
ルルミヤがわかりやすく動揺するのを、王太子はこわばった顔で見る。
女狐がどっちなのか、今更気づいても遅い。
「殿下。霊泉沐浴は筆頭聖女だけのお勤めなので、次席聖女は知らなくとも当然です。……そもそも深夜に及ぶお勤めなので、ルルミヤ本人が見たんじゃなく、多分取り巻きの誰かに見張らせていたのでしょうが?」
「……そんな……」
王太子が呆然する前で、ついにあたしは声をあげて笑った。
「まあ、嘘の経歴で殿下を騙していたのは事実です。もちろん、好きで騙していたわけじゃあありません。でも、……そんなもん結果論でしかねえ」
「好きで騙してたわけじゃないって……あなたねえ!?」
自分の瑕疵を誤魔化すように、ルルミヤは声を張り上げる。
「おやおや? あたしのことをちゃんと調べてたルルミヤちゃんならわかんじゃねえのか?」
「何がよ」
「あたしがどんな経緯で聖女にさせられたのか、さ」
ほんの一瞬だけ苛立ちを顔に出したルルミヤは、すぐに殿下への媚に切り替える。
「殿下、話を耳に入れてはなりません。こうやって男たちを丸め込んできたんです、この女は」
「はは、あたしが愛してるのは神様だけさ。もちろん、殿下も夫として誠心誠意、愛したいと思っていたが……こうなってしまえば、全ては御破算だな」
「シャーレーン……君は……」
「弁解も釈明もする気はない。ただ、あたしは元婚約者である殿下に、せめて最後に真実を話したかっただけさ」
あたしは立ち上がり、深く膝を折って辞儀をした。場末の娼婦の娘ではなく、筆頭聖女としての礼だった。
「婚約破棄を賜りうれしゅう存じます。わたくしのような女が、王太子殿下の妃となりますこと、ずっと恐れ多いと存じておりました」
「シャーレーン、」
「あたしにはこんな立場なんて似合わねえのさ。じゃあな、殿下」
目を眇めて笑って、あたしは護衛に促されて退出する。鏡に映ったあたしの表情からは、すっかり筆頭聖女シャーレーンの面影は消えていた。
ただの野良猫、シャーレーンに戻った瞬間だった。
◇◇◇
その後、あたしは聖女寮の部屋に連行されていた。
娼婦の娘だとわかった瞬間から、騎士や神官たちの態度がガラリと変わる。薄絹をまとった体を舐めるように見られたり、体に触れようとしたり。
男たちはもうすっかり、あたしを娼婦として値踏みしている態度だった。
部屋に入りあたしはぐったりした。
「はー…………つっかれた……」
ため息をつきながら、あたしは無理やりストレートに引き伸ばしていた金髪をかきあげる。本当の髪はぐりぐりのくせっ毛だ。オレンジの瞳と相まって、なんとも派手な外見をしたあたしは当然、聖女なんてガラじゃない。
あたしが聖女異能に目覚めたのは8歳。
目覚めてすぐに、めざとく気づいた教会に強引に拉致された。
異世界転移の聖女なんて、教会上層部があたしを傀儡にするために作った虚像。残してきた父を人質にされればいいなりになるしかなかった。
「……さ、これからいくあてはどうなるかね。修道院か、苦界か。はは」
大きな姿見に映る姿は、娼婦として若くして死んだ、亡き母にそっくりだった。
「……感傷に浸ってる場合じゃねえな。体は資本だ、今のうちに休めとこう」
あたしはヴェールを脱ぎ捨て、ぼふっとベッドに身を投げた。
こんな暮らしももう最後だ。せめて叩き起こされるまで、幸せな惰眠を貪ろう――
◇◇◇
しかしあたしの平穏は、予想よりずっと早く終わった。
寝ているところを突然口を押さえられ、剣でずっぷりと腹を貫かれたからだ。
「〜〜〜ッ!!!!」
目の前が真っ赤になる壮絶な痛み。反射的に暴れる手足も、冷たい大きな手に押さえつけられて、身動きすら取れない。
絶叫すら潰されて、あたしは、何度も、何度も剣で貫かれる。
刺されながら思い出す。通りすがりの騎士に「もったいねえな」と言われていたことを。殺すつもりだったのだ。あの時から。
悔しくてたまらない。こんなところでこのまま殺されたくない。
(助けて、神様…………)
あたしは夜毎、霊泉の湧き出る聖堂で、目には見えない神様――あたしの夫に話しかけていた。
本当のあたしを捨てなければならなかった教会で、あたしがあたしでいられたのは神様の前だけだった。
温かな霊泉に体を沈め、毎晩祈った愛しの神様。
(あたしはあんたの妻なんだろ……? 助けて、死にたく、ない……!)
その時。
騎士たちが真っ白な何かに絡め取られるのが見える。
(あれは、蛇……?)
そこであたしは意識を失い、目の前が真っ暗になる。
どれくらい時間が経ったのかわからないが、気づけば部屋は静かになっていた。
「すまない」
そっと、体を抱きしめられる感触。ひやりとした指が頬を撫で、低く柔らかな声が耳に届いた。
「……数百年ぶりに形を成すのに時間がかかった」
優しい男の声だった。
目を開くと深夜の暗闇の中、黒髪の男がベッドに横たわったままのあたしを見下ろしていた。
「あんたは……だれ、だ……?」
あたしの言葉に、彼はなぜか泣きそうな顔をした――ように見えた。
彼の口元には血糊がついていた。ぺろりと唇を舐め、彼は真顔であたしに言った。
「あなたは殺させない。……こんな思いはさせない。もう、二度と」
意識がまた、闇に落ちていく。体が浮く感覚がする。運ばれているのだろうか?
――薄れゆく意識の中で、あたしは懐かしい、歓楽街での暮らしを思い出していた。
久しぶりの連載で緊張してます。
よろしくお願いします。