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言葉と刃と

 ところどころがひび割れた石畳の上を、少女――シエナは真っ直ぐ駆け抜けていく。まだ薄闇に沈む路地にあって、その足取りに迷いはなかった。

 シエナは今年、18歳になる。癖のない黒髪は短く、襟足だけを革紐で無造作にまとめている。よく日焼けした顔に化粧っけはまるで無く、吊り上がり気味の灰色の目は、いつも強い意志の光を放っていた。

 擦り切れたチュニックとズボン、傷だらけのブーツを身につけ、左右の腰の後ろには二振りの剣を下げている。色褪せ、くたびれた旅装の中で、翡翠色の双剣と両耳に揺れる赤い耳飾りだけが、鮮やかな色彩を放っていた。


 シエナは足を止めることなく走りながら、愛剣のつかに左右の手を当てた。

 大丈夫だ。

 慣れ親しんだ手触りの二振りの得物は、いつも通り独特な波動を放っている。抜き放てば狂いなく敵を切り裂き、この身を守ってくれるだろう。

 だが、まだ抜くわけにはいかない。まずは、相手を見極めて答えを出さなければならない。向けるべきなのは刃なのか――それとも言葉なのかを。

 右後方から、建物が破壊される音とドラゴンの声が響いた。早くもあいつは戦闘を始めたらしい。

「こっちも急がないと……」

 一度剣から手を離し、シエナは走る速度を少し上げた。人気のない石造りの町並みの中、大きな魔力が蹲る前方に注意を向ける。

 恐らく、町の東側と西側に暮らす人々の大半は、先ほどの騒ぎで南側にある神殿の方へ逃げたはずだ。兵士による誘導の声もしていたから、直に安全な場所まで逃げられるだろう。だが、古い建物の多いこの辺りに暮らすのは貧しい人々がほとんどで、避難誘導も最後に回される。まだ彼らの多くは、ドラゴンの居る外に飛び出す事もできず、シエナ達の戦いが一刻も早く終わることを願いながら、今も家の奥で息を潜めているはずだった。

 もし建物が倒壊するようなことになれば、中に居る人々に危険が及ぶ。町に大きな被害を出さないように、細心の注意を払いながら対峙するしかない。改めてそのことを胸に刻み、最後の路地を駆け抜けた。

 少し開けた場所に出たと思った途端、顔に熱風がかかった。いや、風ではない。ドラゴンの鼻から吐き出された息が、ここまで届いたのだ。

 目の前に横たわるのは、家一つ分はあろうかという巨体。全身は灰色の厚い鱗で覆われ、短く太い足が前に2本、後ろに4本の計6本ある。翼は無く、頭部に縦に並ぶ3本の角と、今は閉じられている長く大きな口が、その身が経てきた年月の長さを物語っているようだった。

 唐突に姿を現した少女を、漆黒の龍眼がゆっくりと捉える。

 予想通り、向こうの翔龍に比べてだいぶ落ち着いた性格の持ち主のようだ。あるいは、生きた年月の差がそう見せているだけかもしれないが。

 足を止め、一度深呼吸をして心を落ち着かせる。それから、何の感情も映さない夜闇のような双眸を見据えると、背筋を伸ばして顎を引き締めた。

 出会いがしらの攻撃や、咆哮は今のところ無い。これなら、今回は上手くいくかもしれない。

 シエナは右腕を胸の前に掲げ、片足を引きながら軽く腰を折って御辞儀をした。

「……お初にお目にかかります、雲鱗を纏いし咆龍よ。我が名はシエナ。刃を交えるより先に、言葉を交わさんと望む者。どうか、お話をさせていただきたい」

 放たれた明瞭な声を聞き、ごくわずかに、ドラゴンの目が見開かれた。

『…………ほう、これは驚いた。よもや、未だに武よりも言の葉をもって、我らに相対せんとする者がいようとはな。其方、我らを狩る狩人ではないのか?』

 しばしの沈黙の後、轟くような深い声が、鼓膜ではなく頭に届く。そこには少しの驚きと、面白がるような響きが混じっていた。

「確かに私は、あなた方ドラゴンと戦うことを生業とする者。これまで幾頭もの御同胞と戦い、互いの血を流しながら生き延びてきました。しかし、私が望むのは傷つけ合うことではなく、守り抜くことです。戦わずにその望みを叶えることができるなら、これ以上の幸はありません」

 ドラゴンはこちらの言葉に応じた。それはつまり、血を流すことなくこの場を収める術が、わずかながら残されていることを意味する。彼を、シエナが説得することさえできれば。

「あなた方にも心があり、想いがある。ならば少しずつでも、歩み寄ることは可能なはずです」

『おかしなことを言うものだ。』

 ドラゴンは、どこか眩しげな目で少女を見つめ、確信を込めた声音でゆっくりと告げた。

『其方とて、よく分かっていよう。心も言葉も、通わせることに意味はない。我らが喰らうは其方達人間の「心」。奪われれば二度と戻りはしない、魂と同義の存在。そして我らもまた、喰らわねば生きてはゆけぬ。ならば互いに傷つけ合い、生き延びぬが為争い合うより他に、道は無かろう。あるいはその命、我が腹を満たす為に差し出すか?』

「それは……」

 無論、そう簡単に命を差し出せるはずがない。だがそれでも、無意味では無いと言いたかった。他にも道はあるはずだと。しかし、自分でも信じ切れていない可能性を、咄嗟の説得のため口に出すことが出来なかった。

 シエナの逡巡を見抜いたのか、静かだったドラゴンの瞳に炎の灯るのが見えた。そこに映るのは、彼の中に積もった諦観の念か、あるいはぬぐいきれない悲しみか。

『できなかろう……ならばそれが答えだ。我らは奪い合わねば生きられぬ運命。ここでも生き延びたいと思うなら、その腰の刃を抜くがいい。我もまた、この牙と聲をもって其方の相手をしよう』

 会話の終わりを告げるように、ドラゴンの魔力が解き放たれた。その巨体からほの白い波動が立ち昇り、こちらを圧倒するような戦意を放つ。だが、まだシエナに諦めるつもりはなかった。

「待って下さい。私はそれでも――――っ!」

 懸命に伝えようとした言葉は、突然の乱入者によって遮られた。

「おりゃー‼︎」

 頭上から降ってきた気合の声と、渾身の力を込めて振り下ろされる大剣。とっさにシエナは後ろに飛び、ドラゴンは巨体に似合わぬ俊敏さを見せて体を翻した。

 

 ガイィンッ

 

 大剣が石畳に当たってかすかに火花が散り、薄暗い路地でその明かりの中に、一瞬だけ剣の持ち主の姿が浮かび上がる。火花が消えると、着地の体勢からゆっくり身を起こし、意気揚々と名乗りを上げた。

「いやあ、ずいぶん待たせたな。俺の名はダン! トカゲ野郎、お前のその首を叩き切るハンターにして、嬢ちゃんにとっての助っ人ってやつさ!」

 右肩に剣を担ぎ上げ、呵呵とばかりに笑うその姿には見覚えがあった。

 外見は、二十代半ばの戦士風の男だ。焦げ茶色の髪を後ろに流し、そう太くも無い腕で軽々と、身の丈ほどもある大剣を振り回す。うきうきと輝く濃紺の瞳からは、抑えきれない戦いへの高揚感が見て取れる。

 やはり、追いつかれてしまったらしい。それにしても、よりによってこのタイミングで現れるとは、最悪としか言いようがない。

「……なぜあなたがここに? ついさっきまで、この街には影も形もなかったはずだけど」

 思い切り顔をしかめながら問うと、ダンはよくぞ聞いてくれたとばかりに、レザーアーマーで覆われた胸を張って見せた。

「そりゃあもちろん、嬢ちゃんたちの後を追っかけて来たのさ。んで、到着早々デカブツとやりあってるようだったから、すぐさま駆けつけたってわけだ。安心しな。俺が来たからには、もう危ない目には合わせねえ! こんなやつ、あっという間に倒してやるからな」

 宣言と共に、体中から戦意を漲らせ前に出る。その目はただ、灰色の鎧をまとった獲物にのみ向けられていた。

「いいえ、ちょっと待って。」

 シエナも前へ出て、その隣に並ぶ。

「私は今、戦っていたんじゃない。交渉をしていたの」

「……何? 交渉って……そいつはどういう意味だ?」

「言葉通りの意味。武器以外の方法で、攻撃を止められるかもしれない。そのための交渉をしていたのよ」

 当たり前のように答えるシエナに、ダンはより一層怪訝そうな顔をした。

「……おいおい、何言ってるんだ。そもそも、言葉の通じない相手にどうやって交渉を?」

「いいえ、彼らにも私達の言葉は通じる。ただ、最近じゃ話そうとする人間がろくに居ないから、そのことが知られていないだけ」

「何っ⁉︎ じゃあ、奴らは話せるのか!」

 慌てたように、ダンは巨大なドラゴンを振り返った。先ほどは思い切り名乗りを上げていたが、まさか相手に通じているとは思っていなかったらしい。

 そもそも、ドラゴンが意思疎通できる程高い知能を持つということは、今ではほとんど知られていない。知っているのは、直接彼らに関わるドラゴンスレイヤーと一部のハンター、後はせいぜいドラゴンを研究対象とするような、奇特な者達くらいだろう。そういった極一部を除き、大多数の者が彼らのことを、唐突に襲って来ては有無を言わさず人の心を喰らって行く、知性を持たない危険な魔獣だと思い込んでいるのだ。

「彼はほんの少しとはいえ、私の言葉に応じてくれた。まだきっと、出来ることがある。諦めるのは、やるだけやったその後でも遅くない。だから――」

 その言葉を、ダンは眉間にしわを寄せ、ひどく疑わしげな顔をして聞いていた。

 だが。

『いいや。もう、十分だ』

「「‼」」

 巨大な魔獣は、既に己の魔力を高め、戦いの用意を終えていた。

 止めに、轟きのような声が頭に響く。

『やはり我らは相容れぬもの同士、武によって相対するがふさわしい。その守り人の闘志を受けて、はっきりとそう確信した。ならば、もはや言葉はいらぬだろう。武には武をもって応えるが、この世の習いなのだから。さあ、存分にぶつかり合おうぞ』

 その声と同時に、ドラゴンの周囲に4つの白く輝く魔力の塊が生まれ、次第に大きく成長していく。すぐさま身構えたダンに対し、まだ諦めきれず腰の武器を抜こうとしないシエナ。だが、限界まで成長した魔力の玉の1つが、そんな彼女にむかって容赦なく放たれた。

 目の前まで迫った魔法攻撃に、ようやく二振りの剣を手にする。

 抜き放たれたのは、双方とも細身の刀身を持つ片手剣。抜かれた途端、その剣腹を緑の魔力の輝きが覆った。己の魔力をのせた2つの刃を思いっきり振りぬき、飛ばした風の斬撃を相手の攻撃に真正面からぶつけて相殺する。途端に広がる衝撃と爆音の中、ダンは残りの3つの玉を避けつつドラゴンに向かっていく。

「この野郎、マジで喋りやがった……!」

 驚きの声が溢れるが、動きは少しも鈍らせていない。対してシエナは、まだ最後の迷いを捨て切れずにいた。

「とはいえ、嬢ちゃんが、一体全体何があってあんなことを考えたのかは知らないがっ」

 打ち下ろされる尾を跳んで回避しつつ、ダンはシエナに語りかける。

「ここは命をかけた戦いの場だ。迷って悩んで足を止めれば、あっという間にお陀仏なのは俺たちの方だぞっ!」

 分かっている。もう始まってしまった以上、止めることはできない。街が破壊されて被害者が増える前に、彼を倒さなければならないのだ。

 シエナはもう一度、大きく深呼吸をして刃を握りなおす。かすかな胸の痛みを感じながら、少女は改めて戦場へと足を踏み出した。

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