旅する2人と道連れ2人
重い木の扉を押し開くと、中から煙草の濃い匂いが香った。窓の無い店内は薄暗く、漂う煙で白く霞んでいた。
店は奥に向かって細長い作りになっており、向かって左側にカウンター席、右側にテーブル席が並んでいる。カウンターの中ではバーテンダーらしい男が1人、煙草を咥えながら黙々とグラスを磨いていた。
まだ昼前だというのに、テーブル席の大半が、酒を飲みつつ煙草を蒸すハンター達で埋まっていた。ほとんどは屈強な男たちだったが、中には歴戦の風格を持つ女性や、くたびれた様子の老人も混ざっている。
ここは、ハンターズ・バーと呼ばれる酒場だ。その名の通り、ハンターギルドによって運営されている、ハンター達御用達のバーである。
ハンターギルドとは、盗賊の撃退から魔獣の討伐まで、様々な依頼を引き受け仲介を行う組合のことだ。ここに属する者たちはハンターと呼ばれ、国や身分に縛られることなく、世界中で活動している。
ハンターズ・バーは、各地の街や村に置かれており、世界中を旅するハンター達の拠点となっていた。バーでは、依頼の受注や報酬の受け取りが可能で、ハンター同士の情報交換なども行われている。
どこのバーも造りは普通の酒場とほとんど変わらないが、2つほど大きな特徴があった。
1つ目は、店内の壁のどこかに大きな板が掛けられ、大量の依頼書が貼られていることだ。この店ではテーブル席側の壁一面が、依頼書の掲示板として使われていた。ハンター達は、ここから好みの依頼書を選んで剥がし、ギルドの職員であるバーテンダーの所へ持って行くのだ。
2つ目は、必ず店の中に、一抱えほどの大きさの半透明の鉱石が置かれていることである。この店では、店内で一番大きな丸テーブルの中心に、金属の台座で固定された鉱石の球が置かれていた。この石は、ある程度以上の魔力を持つ魔獣の接近を知らせるものであり、各地の村や街において護りの要となっていた。
シエナが店の中に歩を進めると、バーテンダーの男が顔を上げ、じろりとこちらを睨んで来た。その目線に対し、左手首の腕輪を示す。
この金属の腕輪は、ハンターであることの証として、ハンターギルドに入った際に与えられるものだ。通常は鈍い銀色の地に、ギルドの紋章が刻まれているだけなのだが、ギルドからドラゴンスレイヤーの称号を与えられた者の腕輪には、更に紋様が刻まれていた。
シエナの腕輪の紋様を見て、男が無言で奥の扉を示した。入り口と反対側にあるその扉は、奥の小部屋へと繋がっている。依頼完了後、報酬の受け渡しが行われる場所だ。
シエナは男に頷きを返し、奥の部屋へ向かった。付いて来た、ハイド、ダン、レグルスの3人もその後に続いた。
まだ子供と言っていいほど若い客が、一度に2人も入って来たことで、店中の客の注目が集まっていた。
ハンターは皆、互いの過去や事情について詮索しない。あらゆる立場の者が属す組織として、それが暗黙の了解だった。それでも、これが普段であったなら、子供が何しに来たのかと絡む者も居たかもしれない。しかし、今回に限っては、昨日のドラゴン討伐の話が町中に広まった後だ。ハンター達はすぐに、2人が話題のドラゴンスレイヤーであると気がついたらしかった。
4人は視線の波を受けつつ店内を横切り、奥の小部屋の中に入った。背後では、先ほどまでの喧騒が店内に戻ったようだ。
部屋には、長テーブルと頑丈そうな椅子のみが置かれ、左側の壁にはまた別の部屋へ続く扉があった。
シエナとハイド、ダンとレグルスが横に並ぶ形で席に座る。宿を出てからここまで、シエナは3人と一切口を聞いていなかった。
今朝、シエナが部屋に戻った後、ダンとレグルスはやはり旅への同行を選んだ。少しして戻って来たハイドは、シエナに対して2人の選択を、ひどく嬉しそうに伝えた。一体どうすればこの状況を喜べるのか、甚だ疑問ではあったが、この物好きな相棒の思考について今更考えてもしょうがない。こればっかりは、理解しようと思って理解できる様なものではなかった。
それにしても、そうなるだろうことは半ば確信していたとは言え、やはり気が重くなる結果だった。これから待つ危険や波乱を思うと、気が遠くなる。それでも、決まってしまった以上、あとは腹を括るしかない。
今後の準備を行うために、まずはドラゴン討伐の報酬を受け取る必要があった。何事も、元手がなければ始まらないからだ。そこで、ろくに打ち合わせもしないまま、3人を引き連れてこのハンターズ・バーにやって来たのだった。
数分後、1人の男が左側の扉から現れた。黒髪で片耳に大きな傷があり、薄く顎髭を生やした三十路の男だ。彼のことはシエナもよく知っていた。
「なんだ。シエナとハイドだけかと思ったが、お仲間が居たのか」
粗暴そうな見た目に反し、明るく親しげな声で彼は言った。部屋に入るなり、まじまじとダン達を眺め、手に持った革表紙の帳簿と見比べる。
「当て嵌まりそうなスレイヤーも見当たらないが……こちらのお二人さんはどちらさんだ?」
「……この2人はスレイヤーじゃないわ。今回の戦闘に、勝手に首を突っ込んできたの。勝手な参加とは言え、力を借りてしまったのは確かだから、今日は仕方なく連れて来た」
不機嫌な言い方になったが、大体の事情はそれで察してくれたらしい。彼は1つ頷くと、それ以上の説明は求めず、ガシガシと頭を掻きながら2人に話し出した。
「なるほどな。なら、まずは自己紹介といこう。俺はオルガスという。ハンターギルドで、ドラゴン関連の依頼を専門に担当している職員だ。あんたらの名前も聞いていいかな?」
「ああ。俺の名はダン。こっちの相棒はレグルスだ」
ダンの紹介に合わせて、レグルスも軽く会釈をした。その名を聞き、オルガスが得心のいった顔をする。
「ダンとレグルスか。……確か、少し前まで『用心棒』をしてた2人だな? そういえばここのところ、揃って依頼を受けていなかったな。だが、まさかこいつらを追っかけ回していたのが、あんたらだったとは」
ダン達2人は顔を見合わせた。
「あんた、ドラゴン退治を担当してる職員なんだろ? なのに、スレイヤーでもない俺たちのことまで把握してるのか?」
「ああ、これはただの偶然だ。前に、お二人さんが護衛してた隊商が、ドラゴンに襲われたことがあっただろ」
それを聞いた途端、ダンの顔が、ほんの僅かに強張るのが見えた。レグルスも、隣で少し表情を固くしている。その変化に気づきながら、顔には一切出さずにオルガスは話を続けた。
「つい先ごろ、あのドラゴンがスレイヤーの手で討伐されたんだが、その報酬を用意する過程で確認した書類の中に、2人の名前を見かけたのさ」
「……あいつは、討伐されたのか」
「ああ。間違いなく倒されたよ。ほんの、半月ほど前の話だ」
「…………そうか」
やや掠れた声で呟くと、ダンは少しの間、黙り込んだ。
やがて顔を上げ、いつものように笑ってみせたが、その笑みは少しだけ苦いものを含んでいるように見えた。
「……悪い、少し気になってたもんでな。話を先に進めてくれ」
「なら、そうしよう。まずは、今回の依頼内容を確認してもらう」
例によって、オルガスは何も詮索しなかった。
何事も無かったかの様に帳簿に目を落とし、シエナ達が受けた依頼を読み上げる。
「依頼人は、タラク一帯の領主であるウィリエ公。依頼内容は、4日前にこの村を襲った咆龍と翔龍、計2頭のドラゴンの討伐、または撃退。報酬は、討伐の場合銀貨60枚、撃退の場合はその半分とする。ただし、依頼達成までの被害者数が50人を超えた場合、報酬は大幅に減額される。この内容で間違いないか?」
「ええ、間違いないわ」
銀貨が1枚あれば、簡素な宿なら3日〜4日は泊まることができる。命懸けの戦いの報酬としては、まずまずな内容と言えるだろう。
「依頼達成時点での被害者数は、初日の襲撃による12人の他、昨日怪我人が7人出るだけで済んだ。建物に関しては、多少崩れたものもあるが、修復にそう長い時間はかからんだろう。この結果を受けて、依頼人も大層喜んでいてな。少し報酬を上乗せしてくださった」
言いながら、腰のベルトから小さな革の袋を外した。テーブルに置くと、ジャラリと重い音が響いた。
「中に銀貨56枚が入ってる。依頼人から受け取った銀貨80枚から、ギルドの仲介料として三割分を引かせてもらった。中を確認してくれ」
シエナは袋を手に取り、中身を慎重にテーブルに出した。ざらざらと音を立てる銀貨の山から、しっかり数を数えて並べていく。
「……ええ。確かに揃ってる」
「それじゃあ、これで報酬の支払いは完了だ。ちなみに、そいつはシエナとハイドだけで分けるのか?」
「いいえ。今回は彼らにも分配するつもり」
シエナは、ダンとレグルスを眼で示しつつ答えた。2人は意外そうな顔をしたが、これは最初から決めていたことだ。
「そうか。まあ、受け取った報酬の扱いは自由だ。どう分けるかも、どう使うかも、好きにすればいいさ。必要なら、このままここを使ってくれて構わない。店の方には俺から伝えておこう」
そう言うと、オルガスは入って来た扉の取手に手を掛けた。回そうとして、もう一度振り返る。
「ーーこれから、お前らは忙しくなると思うが、くれぐれも命は大事にしろよ。俺も、お前らには期待してるからな」
含みのある顔でにやりと笑い、今度こそ部屋から出ていった。
隣で、今まで黙っていたハイドが、ははっと小さな笑い声を上げる。反対にシエナは、思い切り顔を顰めずにはいられなかった。
ダンは不思議そうに、レグルスは興味深そうにこちらを見ていたが、それには取り合わず銀貨を分ける作業に集中することにした。並べたものの中から、15枚を2人の前に移動させる。
「はい、これが2人の分の報酬。適当だけど、これくらいあれば十分でしょう」
「いや、そもそも俺たちは、ろくに手伝いなんてしてないだろ。むしろ、邪魔した上に助けてもらった様な形だし……」
「そう思うなら、これからはせめて助けになって貰いたいところね。今回は、一緒にリスクを負ったことへの対価だから。加えて、これからの旅支度にも、何かと入り用になるだろうし」
「……旅支度、ですか? 我々もこれまで旅をして来た身なので、一応準備は出来ているつもりですが……」
「支度と言っても、ドラゴンと戦う為の装備が中心。この町じゃ心許ないから、隣国にある武器の街、カグロスタで揃える」
シエナはそう言いながら、腰のポーチから小さく折り畳まれた地図を取り出した。
地図には、ルグランシア大陸南部の様子が、大まかに描かれていた。この地域には、比較的小さな国々が散在している。西から順に、タラクが属する交易の盛んな『秤の国』、あらゆる武具が揃うとされる『鎧の国』、豊かな葡萄畑で有名な『盃の国』などが並んでいるのだ。
カグロスタが属する『鎧の国』は、今居る『秤の国』より一回り大きな王国で、各町には多数の武具店や鍛冶屋が立ち並ぶ。中でもカグロスタは、国内最大の武器の街として有名であり、武器や防具を揃えるにはもってこいの場所だった。
「今私たちが居るタラクの町は、『秤の国』の中心部から、やや東寄りにある。ここから、『鎧の国』の北西部にあるカグロスタへ向かうには、街道をまっすぐ東へ向かい、途中で大きく北へ逸れて、レビノ山の麓を回り込むのが一番早い。そこから北上し、硝子の街レガを経由して、武器の街カグロスタを目指す」
説明に合わせて、地図の上をシエナの指が奔った。
地図を見ただけでは、詳しい距離や地形などまでは分からない。分かるのはせいぜい、各町の名前と大雑把な位置関係程度だ。この旅程にどれだけの日数がかかるかは、実際に旅をしてみてのお楽しみと言える。
だが、シエナには譲れない思いがあった。
「途中で街道から外れるよりも、そのまま街道を辿った方が、安全に旅ができるのではありませんか?」
地図を覗き込んだレグルスが、街道を指でなぞりながら言った。
「……確かに、安全性で言えばその方が上でしょうね。でも、今回の旅は、言ってみれば準備のための寄り道。可能な限り早く済ませて、本来の目的に戻りたいの。だから、最短距離で行く。これは提案じゃなく、決定事項よ」
容赦なく告げる少女に、多少苦笑を溢しつつ、レグルスとダンは同意の返事をした。
隣に座るハイドには、そもそも最初から同意など求めなかった。彼は何も言わなくても、シエナが選ぶだろうルートを分かっている。そのことに、少しの疑いも抱く余地は無かった。
「嬢ちゃん、旅の足はどうする? ロカを借りるのも手かと思ったが、街道の途中までとなると面倒だしな。徒歩で行くか?」
「いいえ。ここから東には、見通しの良い草地が広がっている。途中には小さな森も点在していて、盗賊や狼なんかにとっては恰好の狩場なの。つい2日ほど前にも、この町へ向かっていた隊商の1つが、雪狼に襲われたらしい。」
「おいおい。雪狼って言ったら、普通真冬の山沿いで出る魔獣だろ? もう雪さえろくに残ってないこの時期に、そんな見晴らしのいい場所で出るのはおかしくないか」
雪狼は、白い毛並みと凍える牙を持つ、狼の魔獣の一種だ。雪深い山奥に暮らすことが多いが、平地でも雪が積もる地域には、冬の間降りて来ることがある。
「ええ。雪の深い時期に降りて来るとしても、本来ならとっくに山へ戻る時期よ。ところが、ここ数年は春近くまで狼が出るようになり、昨年からは春先でも襲われる被害が出てるらしいの。そのせいか、むしろ盗賊は少なくなってるようだけど、冬が終わりようやく活発に動ける隊商にとっては、大問題になってる」
「ということは、もしや私たちが取る手段というのは……」
「ええ。その隊商の1つに、用心棒として雇ってもらう。途中までと言っても、一番危険な地域は隊商と一緒に抜けられるし、道中お互いの戦い方を知ることもできる。上手くいけば、その後の山越えのための体力を温存することもできるわ」
「いや、雪狼が襲ってくる草原を、隊商を守りながら抜ける道中の、一体どこで体力を温存するんだ……?」
「まあ、そこは慣れと根性だな。後は、狼が出来るだけ満腹なことを願うしかない」
困惑気味の声を上げるダンに、ハイドが平気で無茶を言う。ただし、シエナもハイドと同じ考えだった。
「麓を回り込むとはいえ、山越えはその比じゃない体力を消耗する可能性があるってこと。そのつもりで、旅の支度を整える必要がある」
出していた地図を手早く畳み、今後の動きを検討する。早さを求めるなら出発は早い方が良い。シエナは、丁度お誂え向きの隊商が居ることを、既に宿屋で聞いていた。
「それじゃあ、手分けして準備をしましょう。私達は、明日出発する隊商の頭目を訪ね、交渉をして来る。ダン達は、ここにある食材や道具の買い出しをお願い」
言いながら、シエナは小さな紙に必要な物を書き出していく。しかしその手を、レグルスがやんわりと止めた。
「お待ち下さい。せっかく旅の仲間となったのですから、『手分け』するだけでなく『協力』しませんか」
「……申し訳ないけど、私はまだあなた達を『仲間』として認めるつもりはない。」
「でしたら尚のこと、お互いを知るためにも協力しましょう。交渉は、相手から見た印象が大事です。年若いハイドさんよりも、私が貴方にご一緒した方が、落ち着いた印象を与えられるのではないでしょうか。それに、交渉術には少々心得があります。きっとお力になれるかと。代わりに、ハイドさんとダンの2人に買い出しをお願いする、というのはどうですか」
レグルスの提案は、確かにもっともだった。これからの旅を思えば、少しでも互いの理解を深めておくに越したことはない。たとえ、シエナにとってハイド以外と組むことが、ただの苦痛でしか無かったとしても。
しばしの逡巡の後、ふと、顔を上げて隣を見る。シエナの思いを知ってか知らずか、相棒は小さく頷いてみせた。
「…………分かった。じゃあ、私とレグルスが交渉を、ハイドとダンが買い出しを担当する。終わり次第、また宿屋で落ち合いましょう」




