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賭けと選択

「おかえり」


 部屋のドアを開けると、ベットの上からのんびりとした声が掛かった。

 宿泊用の部屋は狭く、家具も最低限のものしかない。入り口の向かい側の壁には小さな窓があり、その窓を挟むようにして、壁際に二つのベットが置かれている。入口のすぐわきには引き出しの付いた小ぶりな棚、上には洗顔用の底の浅い桶が置いてある。二つのベットの上の壁には釘が打たれ、それぞれに掛けられたランプの灯が、傷だらけの木の床に揺らめく光を投げかけていた。

 ハイドは朝と同様、向かって右側のベットの上に、右腕で目元を覆うようにして横になっていた。


「お、その匂い、シチューだな?」


 シエナが持った盆の上から漂う香りに気づくと、すぐに身を起こして目を輝かせる。どうやら、それほど疲れはひどくなかったようだ。


「わざわざ持って来てくれたのか」


「今夜はあんたが楽しみにしてたジャガイモと鶏肉のシチューだったから、女将さんに頼んで少しよそってもらったの」


「そいつは有難い!んじゃ、さっそく……」


「その前に」


 早速手を出そうとするハイドを制し、盆を自分のベットに置く。


「まずは傷の手当てが先」


 頬の傷を始めとして、ハイドは手足のいたるところに小さな傷を負っていた。出血は既に収まっているが、こびり付いた血や汚れはそのままになっている。


「部屋に居たなら、傷の手当くらいしておきなさいよ」


 シエナ自身も打ち身や擦り傷があったが、昼間、瓦礫の片づけを手伝う際に、街の人に手当てをしてもらっていた。


「いや、このくらいの傷、放っておいったって治るって」


「あんたはそれで構わなくても、見た目が悪い上に、部屋やベットが汚れるでしょ」


 言いながら、荷物の中から清潔な布と包帯を取り出し、棚の上の桶を持って来る。桶に向かって短い呪文を唱えると、底の裏側に刻まれた魔法陣が光を放ち、桶の中を澄んだ水で満たした。布を水で濡らし、嫌がる少年の腕や足、頬の傷をきれいに洗う。最後に、いつも持ち歩いている傷薬を軽く塗り、手足の傷には包帯を巻いた。


「いい加減、これくらいは自分でできるようになってよね」


 手当てが終わるなりシチューに夢中のハイドに向かって、ため息交じりに言ってみる。


「やってもいいが、結局下手すぎて後からお前に直されることになるから、ごめんだな」


 パンでシチューを掬い上げながら、悪びれることなく答えた。質の悪いことに、実際やらせた場合、そうなる未来が容易に想像できてしまうのも確かだった。


「他に体に問題は無い?」


「ああ。何度か吹っ飛ばされたし、一度は喰われかけたが、ギリギリで脱出できたからな」

 

「あたしに丸呑みになるのは禁止って言ったの、あんたじゃなかった?」


「あー、そーだったっけな?」


 完全な棒読みの返事に、再びため息がこぼれた。あの短時間で翔龍を仕留め、咆龍ともやり合ったのだ。あの程度の無茶で済んだことを、今はホッとしておくべきかもしれない。もっとまずい展開になる可能性も、十分にあったのだから。

 

「ところで、あいつらとの話は付いたのか?」

 

 皿から顔を上げないまま、ハイドが訊ねた。

 向かいのベットに座ったシエナは、その問いには答えず、窓の外に目をやった。南向きの窓は大きく開け放たれて、そこから春の気配をはらんだ夜風が入り、微かに前髪を揺らした。西の空に夕日の最後の名残も消えようとする中、街のどこかから軽やかな楽器の音色と、人々の笑い声が聞こえていた。

 朝から災難に見舞われはしたが、幸い被害は怪我人数人で済んだ。戦いの後、避難していた北側に住む人々も応援に駆けつけ、瓦礫の中から巻き込まれた人達を救助した。怪我人の手当てと通路を確保するための簡単な撤去作業も行い、皆昼過ぎになってようやくそれぞれの仕事場へと帰って行った。破壊された建物も少なくなかったが、壊れたものは修理してまた使っていけばいい。この世界で生きる以上、ドラゴンに襲われたからと立ち止まってはいられない。


「……もう直ぐ、冬の名残も消えて、春が来るのね」


「ああ、そういえばそうだな。今朝も路地裏で、木に付いた白い花の蕾が開くのを見たっけな」


「……出来れば、春が来る前に決着を付けておきたかった。……彼ら、懲りもせずあたしたちに力を貸したいって言うから、むしろ足手纏いだって言ってやった」


「それで、諦めそうなのか?」


「……だったらどんなに良かったか。はっきりこっちの意思を伝えたけど、あの様子じゃ、まだ追いかけて来るでしょうね」


 揺るがない声だった。

 シエナたちに秘密があると気づいていて、それを話すつもりがないことも分かっていて、それでも追いかけようという意思の込もった声だった。


「次に追いかけて来たときは……今度こそ、力づくで説得するしかないかもしれない」


 そうでもしなければ、きっと彼らは止まらない。本当の目的が何であるにせよ、彼らにも、退けない理由があるのだろうから。

 ところが、


「いっそのこと、認めちまえばいいんじゃないか?」


 食べ終えた皿を盆に戻しながら、少年は心底楽しげに、とんでもないことを言い出した。


「そんなこと、出来るわけないでしょ」


 きっと睨むシエナに対し、ブーツを脱ぎ捨て、片膝を抱え込んだところで答える。


「あの二人の目的は、おそらく真実を知ることだ。俺たちの抱える秘密を暴き、その是非を問うこと。となれば、どんなに言い聞かせても、例え力を振るっても、恐らくあいつらを諦めさせることはできない」


 真実を求める者に対して、拒絶や中途半端な偽りは意味をなさない。むしろ、さらに興味を引くだけだろう。


「このまま追いかけられ続けたら戦いの邪魔になりかねないし、ハラハラしながら旅をするのは出来れば遠慮したい。いっそ同行を認めて、無闇な行動をやめさせた方が、まだマシだろうと思うんだがな」


「でも、一緒に旅をすれば、彼らはいずれ必ず真実に気づく。そしたら今度は、彼らがあたしたちの敵になるかもしれない」


「だが、或いは、ならないかもしれない」


「……!」


 シエナは思わず目を見開いた。

 頭に巻いた布の下から、不思議な色を湛えた瞳が、静かに少女のことを見つめていた。賭けようというのだ。もしかしたらあるかもしれない、その僅かな可能性に。


「そんなこと、本当にあり得るの?」


「さあな。あの二人もそれぞれ事情を抱えてるみたいだし、もちろん必ずとは言えないさ。けど、可能性はあるはずだ」


「……でも、もしも敵になったら。彼らが、敵になることを選んでしまったとしたら。そしたら、あたしたちは……」


「人間と戦うことになる、か?」


「……っ!!」


 先程より更に大きな衝撃が、小さな部屋に沈黙を降らせる。足の上に置いた手が、小さく震えるのを止められなかった。


「…………まだ、決心は付かないか」


「……っ」


 もう、決心なら付いていると、そう言いたかった。けれど、その言葉は音になることなく喉の奥にわだかまったまま、重みばかりを主張する。

 分かっていた。この道を行くと決めた以上、避けて通ることは出来ない。遠からず、必ず『その時』はやって来る。

 ――――けど、それでも……。


「……ま、いいさ」


 ハイドはじっとシエナを見つめていたが、不意にベットから立ち上がり、ひょいと窓枠に腰掛けた。


「今すぐに答えを出すこともない。そもそも、本当について来るのかどうか、決めるのはあいつら自身だしな」


 こちらに横顔を向けたまま、肩をすくめて見せた。

 シエナは、詰めていた息を大きく吐いた。まだ震える左手で、右手を包むように握る。そのまま目を瞑り、呼吸を三つだけ数えた。そして再び背筋を伸ばし、顔を上げた。

 考えるべき懸念点はもう一つある。


「……もう一つ、二人が足手纏いになることは、結局解決できていない」


「ああ、それなら良い方法がある」


 窓の外に向けていた顔を戻し、ハイドは悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「同行を許す条件として、あいつらにドラゴンとの戦い方を覚えてもらえばいい」


「…………は?」


「幸い、二人ともハンターとしてはそれなりの実力を持ってるみたいだし、旅をしながら俺たちが教えれば、そう難しいことでもないだろ?」


「…………ちょっと待って」


「俺たちとしても、一緒に戦ってくれる仲間が増える訳だし、上手くいけばお互いに良いこと尽くめに……」


「ちょっと、待ってってば!」


「何だよ」


 敢えてきょとんとした表情で答える相棒。嫌な予感が、急速に確信に変わっていくのを感じつつ、一応聞いてみる。


「それってつまり、敵になるかもしれない相手を、自分たちで鍛えるってこと?」


「いや、実力って意味じゃ、もう十分難敵だしな。俺たちが鍛えたところで、更にどこまで厄介になるか……」


「なら尚のことっ!」


 いつもながら、驚くべき発想力で、とんでもないことを考えつく。それがまさしく自分の首を絞めることだと分かっていて、よく迷いもなく言い出せるものだ。


「これから大変だっていう時に、わざわざ危険を抱え込むどころか、その危険を自分で大きくしようとするなんて……!言っとくけど、あたしは絶対に反対だから。彼らの同行を許すのも、あたしたちが彼らを鍛えるのも!」


 勢いよく立ち上がった少女の剣幕をよそに、少年は笑う。再び窓から入って来た風が、彼の赤い髪と部屋の灯りを、ともに優しく揺らしていた。


◇◯◇


 今回は夜明け前に出発するような気配もなかったので、レグルスとダンは比較的ゆっくりと身支度を済ませ、一階へ降りて行った。階段を降りる途中で階下を覗き込んでみると、予想通り、他の宿泊客に混じり二人の姿があった。

 少女はなぜかひどく不機嫌な様子で、朝食のパンをガツガツと口に運んでいる。対して、向かいに座る少年の方は既に食べ終えたのか、椅子の上で片膝を抱え込み、そんな相棒の食事風景を面白そうに眺めていた。周囲には、朝食を求めて来た住人や、旅立ちの前の腹ごしらえをする旅人が集い、賑わっている。

 シエナの腰のベルトには昨晩同様、二振りの剣が下げられているが、それ以外は二人とも極めて軽装だ。手足にはところどころ包帯や傷があったが、見る限り体調は悪くなさそうだった。


「よう!お二人さん。朝から元気そうで何よりだな」


 一階に着くなり、ダンが声をかける。少女は一瞬視線を上げたが、二人を見ても何も言わずに食事へと戻った。その間、眉間の皺はずっと刻まれたままだ。


「ああ、おはよう。あんたも、あんだけ酷い目にあったってのに、ピンピンしてんだな」


 答えの無い少女に代わり、少年が少し呆れの混ざる笑顔でダンに答えた。


「おおよ。なんたって俺は、この頑丈さが売りだからな」


 胸を張って得意げに答えると、ダンは少年の隣に腰を下ろす。レグルスはその向かいで、黙々と口を動かす少女の隣に座った。


「……こうは言っていますが、実際には体のあちこちに痣を作ったようですよ」


「あ、おい、バラすなよ」


「なんだ、やっぱそうなのか。まあ、俺が行くまでにも相当無茶してたみたいだし、そうなるだろうとは思ったよ」


 あっさり本当のことを明かす相方に、ダンは抗議の声を上げるが、二人には取り合ってもらえない。

 実際、ダンの傷が目立たないのは、簡素なものとはいえ革の鎧を着けていた為だ。おかげで体に直接傷を負わずに済んだが、だからと言って受けたダメージが少なかったという訳では無いことを、レグルスは知っていた。


「さしずめ、昨日の夜は何ともなくて油断してたら、今朝になって痛みが出たってところか?」


「べ、別にどうってことねーさ。こんなもん、俺ならあっという間に……ってて」


 からかうような少年の言葉に乗せられ、ダンが肩を大きく回して見せ……ようとして、走った痛みにうめいた。


「痛っつつ……」


「まあまあ、それくらいにしましょう。無理に動かすと酷くなりますよ。それより、彼に会ったら言っておきたいことがあったのではないですか?」


「ん?……ああ、そうだったな」


 せっかくの強がりを台無しにされて悔しげな相方に、仕方ないので別の話題を振る。その言葉で、朝から彼らに会おうとした目的を思い出したらしい。ダンは肩に当てていた手を離し、居住まいを正した。


「ほんとなら昨日のうちに伝えるべきだったんだが……まずは、危ないところを助けてもらったこと、礼を言わせてほしい」


 言葉にするとともに、青年は深々と頭を下げた。


「この間も助けてもらったばかりで、また新しく借りを作っちまった……重ね重ね、不甲斐ないと思ってる」


 姿勢を戻さず言うダンに、ハイドは足を椅子から下ろした。次に続く言葉を予感するように、少女もようやく顔を上げる。


「だが、だからこそ、旅に同行させてほしい。借りを返す機会を与えて欲しいんだ」


 決然と告げると、彼は頭を上げた。それまでとは口調をガラリと変えて、二人に挑むような笑みを向ける。


「俺たちは本気だぞ?このままじゃ、到底諦められないからな。二人にとっちゃとんだ迷惑なんだろうが、この恩を返すまでは嫌がられようが煙たがられようが、離れる訳にいかない。悪いが、辛抱してくれよ」


「……つい昨日も、その話はしたはず。で、私ははっきりと断った」


「ああ、確かに断られた。だが、諦めきれん」


「だったら、これが最後よ。これ以上しつこいようなら、今度は力で解決するしか無くなる」


 シエナは声と目元に苛立ちを滲ませた。今にも両の手が腰の双剣に掛けられそうだ。

 だが残念ながら、ダンはその程度の威嚇で怯むほど柔な男では無い。その紺色の双眸が、一瞬ギラリとした光を放つのをレグルスは見た。


「へえ。それならそれで、望むところだ。何なら、俺たちも獲物を部屋から持って来ようか?」

 

「……それがあなた達の選択なら、仕方がない。できれば穏便に済ませたかったけれど、こうなった以上、お互いの実力で決着を――」


「と、言いたいところだが、やっぱやめとくわ」


「…………は?」


 少女が何か覚悟を決めて立ち上がり掛けた途端、彼はあっさり前言を撤回した。

 腰を浮かせた姿勢のまま、先程までに輪をかけて不穏な声を出すシエナを他所に、ダンは憂いの欠片も無い顔で言った。


「嬢ちゃんには納得してもらえそうにないんだが、意味の無い戦いをする趣味は無いんでね」


「……意味が無い?」


「ああ。俺たちは勝とうが負けようが、二人の旅に着いて行くからな。勝敗に従う気もないのに、戦う訳にはいかないだろ?」


「……分かった。それなら」


 瞬きほどの時間だった。

 気づいた時には、立ち上がった少女の右手に緑の剣が握られ、その切先が、斜向かいに座るダンの首筋に触れていた。朝食をとる客で賑わっていた周囲のテーブルが、突然武器が抜かれたことで静まり返った。

 

「是が非でも勝敗には従ってもらう、と言ったら?」


「……何と言われようと、戦いに応じる訳にはいかないさ。例えそれで、今、殺されそうになってもな。」


「ダン」


 咄嗟に呼ぶと、彼は視線だけをこちらに寄越した。動揺も焦りもない顔を見て、練りかけた魔力を霧散させる。どうやら、援護は要らないようだ。

 二人のやり取りを気に留めた様子もなく、シエナは端的に尋ねた。


「なぜ、そこまでするの?」


 彼女の持つ剣の切っ先が微かに震えを帯び、天窓からの陽光を宿して、煌めく。


「わざわざ言い訳を作ってまで、私達に着いて来ようとするのはなぜ?こんな、駆け出しのドラゴンスレイヤー二人を追い回すのに、命まで懸ける本当の理由は何?」


「何度も言ってるだろ、助けてもらった恩を返したいだけだって。だから俺たちは――」


「そんなの嘘。本当は、私たちの邪魔をしたいんじゃない?この半年で私たちが倒したドラゴンの数は、既に十を超えた。他のスレイヤーやハンターの中には、こんな子供が活躍することを面白く思わない連中も多い。あなた達も、そういう連中の差し金なんじゃないの?もっとも、そんな連中の依頼の為に命を懸けるのも、どうかしてると思うけど」


 シエナは鼻で笑うように、言い放った。しかしその言葉とは裏腹に、ダンに向けられた眼差しに嘲りや怒りの色は無かった。

 

「……依頼ってのは、一体何の話だ。むしろ、嬢ちゃんこそ教えてくれないか。なぜ、そこまで必死になって、俺たちを置いて行こうとするのか。そうまでして距離を置きたがる、本当の理由ってやつをな」


「私達はずっと二人でやって来た。これからも、二人で戦っていく。あなた達を拒絶するのに、それ以上の理由なんて要らない」


「確かにな。だが、こうまで邪険にされると、何か隠しているんじゃないかと勘繰りたくもなる。姉弟にも、師弟にも見えない子供が、たった二人で旅をする理由。戦いにおいても、お互いだけじゃ限界があると分かっていて、敢えて大人を遠ざける訳。そいつが一体どんなものなのか、俺には想像もつかないが」


「……私達には私達の目指すものがある。でもそれを、今ここであなた達に教える義理は無い」


「だとしてもだ。仮に、人には言えないような目的があるとして、そいつを守ろうと必死なんだとしても。その目的には、助けようとする人間を傷付けてまで、守るだけの価値が本当にあるのか?……震えるその手で握った剣を、戦意の無い相手に振るうほど、この旅は嬢ちゃんにとって大切なものなのか?」


「何も、知らないあなた達に、この旅の価値を問われたくはないっ!私達は、ただ――」


「シエナ、そこまでだ」


「っ!……ハイド」


 ずっと黙っていたハイドが、いつの間にか、革手袋をした指で剣の切っ先を掴んでいた。


「どうやら、もう答えは出たみたいだしな」

 

 その言葉に、シエナは下唇を噛んだ。

 昂り、迸りかけていた少女の感情が、急速に落ち着きを取り戻していくのが感じられた。少年の手にも抗わず、ゆっくりと剣を鞘に納める。ただ、勝気な灰色の瞳だけは、燃えるような感情の名残を留め、ダンを鋭く睨みつけていた。

 彼が軽く肩をすくめて見せると、その目を今度はハイドに向けた。

 

「もう一度言っておくけど、私は絶対に『反対』だからね!」


「ああ、よく分かってる」


 ぶつけるように告げたシエナを、ハイドは座ったまま真っ直ぐに見上げた。

 数秒間、二人はにらみ合ったが、先に視線を外したのは少女の方だった。シエナは無言のままテーブルを離れ、一人二階へと登っていった。背を向ける直前、彼女は一瞬だけダンとレグルスの方に視線を投げた。その目には、既に新たな決意が宿っているように見えた。

 

 足音高く去った少女は、部屋に戻り音を立てて扉を閉めた。その音が上階から響いて間もなく、周囲のテーブルやカウンターには少しずつ朝の喧騒が戻ってきた。ハンターやスレイヤーといった連中は血の気が多いことで有名だ。ちょっとやそっとの喧嘩程度、騒ぎになることすらまず無い。

 人々の興味がすっかり自分達の会話に戻った頃、今度はダン達の食事風景を眺める少年に、改めてレグルスは尋ねた。

 

「それでは、一体どういうことかご説明いただけますでしょうか。先ほどのお二人の会話について」

 

「ああ、もちろん説明する」


 額から頭にかけて巻かれた布の下、色の分からない強い瞳が二人を見つめていた。布から溢れる柔らかな赤髪は、ところどころ陽の光を浴び、少年の持つ快活な印象をより強めていた。


「シエナと俺とで賭けをしていたんだ。あんた達の本当の目的を、引き出すことが出来るかどうか。あいつは出来る方に賭けて、あんた達が怒りに我を忘れて本当のことを漏らすよう仕向けた、つもりだった。だがその結果、同じ方法で、逆に答えを引き出されそうになったわけだ。あいつも、言われて気がついたみたいだけどな」


 なるほど。シエナが朝から不機嫌だったのは、恐らくその賭けが原因だったのだろう。


「ってーことはだ。その賭け、嬢ちゃんじゃなくぼうずが勝ったってことか」


「ああ。あんたのおかげでな」


「しかし、一体何を賭けての勝負だったのですか?」


「戦利品は今後の旅の方針。つまり、あんた達との付き合い方さ」


「と、言うと?」

 

「あいつは最後まで反対してたが、もしこの賭けに俺が勝ったら、今後あんた達が旅に着いて来るのを認めるって約束したんだ。もっとも、まだ納得したってわけじゃないようだけどな」


 「「……‼」」


 レグルスはダンと顔を見合わせた。予想外の急展開だった。


「……それでは、私たちの同行を許して頂けるのですか?」


「たとえ、俺たちが逃げ回ったって、どうせあんたらは着いて来るだろうからな。ただし、一つ条件がある。」


 ハイドはテーブルに片腕を突き、体を乗り出して言った。


「だと思ったよ。いきなりこんなすんなりと話が進むはずないからな。いいぜ、何でも言ってくれ。どんな無茶な条件だろうと、今更渋りやしねえさ」


「なら言うが……着いて来るなら、あんた達二人にはドラゴンとの戦い方を覚えてもらう。知識はもちろん、戦闘の技術も含めてだ。それこそドラゴンスレイヤーとして通用するくらいにな」


「……!へえ、そんなことでいいのか?それならむしろ、俺たちの方から頼みたいぐらいだ」


 更に予想外の条件に、ダンはゆっくりと顎を撫でた。レグルスも言葉にこそしなかったが、意外な思いで少年を見つめた。ドラゴンに関する知識と技術の不足は、既に嫌と言うほど感じていた。それを補う機会をくれると言うのなら、いっそ更なるお礼をしてでも是非頼みたい。


「足手纏いが増えたんじゃ旅の邪魔になるばかりだが、戦力が増えてくれるなら俺達としても有難いからな」


「ま、それもそうだよな。条件がそれだけだって言うなら、俺たちはもちろん構わないが――」


「それからひとつ、忠告がある」


 早速条件を飲もうとするダンを、少年の言葉が遮った。


「俺とシエナの行く旅は、恐らくあんた達の想像よりずっと危険に溢れている。来ればあんた達は遠からず、必ず後悔することになる。」


 彼は先ほどまでとは別種の、無色の笑みを二人に向けた。


「それでも構わないというのなら、着いて来ればいいさ。」


 不思議な確信が込められた言葉に、レグルスたちは一瞬、気圧された。

 忠告など聞き流すつもりだった。何を言われようと、今更諦める気は無かった。だがそれでもなお、ハイドの言葉には無視することのできない存在感があった。

 まるで、ひとつの予言を聞いてしまったように。


「さあ、あんた達の答えは?」


 ダンは右手のグローブに触れ、少しの間考え込んだ。レグルスも、無意識の内に親指のリングを撫でていた。何となく、予感がしていた。ここでの選択が、自分の世界を根本から変えてしまう予感が。

 天窓から差し込む光の中、埃が静かに舞っていた。その瞬間だけは、周囲の喧騒もどこか遠く、隔たりの向こうに感じた。

 しばらくの沈黙の後、ダンはゆっくりと右手を握り、レグルスは一つ頷いた。

 二人は、自分の答えを告げた。


「俺は、それでも着いて行く」


「私もです。後悔すると分かっているなら、むしろ心の準備ができますから」


 ハイドはその答えに驚かなかった。

 ただ、二人の決意を受け止め、鼻の頭にしわを寄せる独特な笑顔を見せた。

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