秘密を抱えて
注文した野菜スープの入ったマグカップがテーブルに運ばれ、ダンが五杯目のジョッキを空にする頃、周囲を見渡しながらレグルスが言った。
「ところで、お連れのハイドさんはどうされたんですか?先ほどから、御姿が見当たりませんが」
「そういや、昼間からいなかったな。俺も朝の戦いの後から見てないぞ」
「……ハイドは、戦いの後すぐ宿に戻った。朝から動いて体が重いって言ってたから、その後はずっと部屋で休んでいるはず」
「おいおい、じゃあほとんど一日、宿でゴロゴロしてたってことか。俺たちは救助や街の片付けに、一日中働いたってのに」
呆れ気味に言う相方に、レグルスがやんわりと指摘する。
「しかしお聞きした話では、彼はドラゴンの一頭をほとんど独力で倒したのでしょう?だとしたら、むしろ休む程度で済んだことの方が、驚くべきことです」
「ああ、確かにそれもそうか。その上俺も助けてもらったしな。また恩が増えちまった……ぼうずには改めて、ちゃんと礼を言わないとな」
今になって思い出した失態と増えた恩義に、ダンは恥じ入るような苦笑を浮かべ、頭をかいた。
「にしても、たった二人であんな戦いを続けていくなんて、やっぱり無茶なんじゃねえのか。俺たちなら、いつでも力になるぜ。なあ相棒?」
「ええ、もちろんです。私も助けていただいたご恩には報いたいですし、それなりの戦力にはなれると自負しております」
ダンの力強い提案に、金髪の青年も深く頷く。
例えそこにどんな意図が含まれていようと、彼らが力を貸そうとしてくれていることに違いはない。だが、だからこそ、これ以上有耶無耶にしておきたくはなかった。彼らと、自分たちの旅の目的の為にも。
「……もう何度も言ったことだけど」
木のスプーンを空になったシチューの皿に戻しつつ、顔を上げて二人にはっきりと伝える。
「私とハイドのことは構わないで。あなたたちを旅に連れていく気はないし、今のままじゃむしろ足を引っ張られてばかり。恩を感じているのなら、これ以上付いてこないで」
立ち上がり、コップの果汁を一気に飲み干すと、お代を置いて迷うことなく背を向けた。
「それじゃ」
返事も聞かぬまま立ち去ろうとする背中に、
「待ってくれ」
引き留める声がかかった。それまでの、快活な話し方とは違う、静かで真摯な声だった。
「嬢ちゃん。最後に一つだけ、教えてくれないか」
「………」
「あのとき、なぜ、話しかけたりした?あのドラゴンに、何を伝えたかったんだ?」
「…………私たちは、奪うために戦っているんじゃない。守るために、刃を握るんだ。そう、伝えたかっただけ」
背を向けたまま決然と告げると、今度こそ立ち止まることなく、シエナはその場を後にした。
◇◯◇
立ち去っていく少女の短い黒髪の下、きらりと輝き揺れた耳飾りが印象的だった。
「……どう思う?」
マグカップと共に席を正面側へと移すと、早速ダンが訊ねてきた。
「……そうですね。シエナさんの言葉に嘘が含まれているのは、確かだと思います。ただ、悪意は感じられませんでしたし、全てが偽りという訳でも無いでしょう」
「じゃあ例えば、ドラゴンにとどめを刺した、ってのは……」
「……恐らく、嘘でしょう。もし本当にドラゴンが死んだのなら、後に痕跡が残らないのはおかしい」
「やっぱりそう思うか……」
ドラゴンは、その存在からして、他の生き物とは一線を画す。人間や他の動物が、肉体の中に魔力を内包しているのに対し、ドラゴンはその体を形作るもの全てが、純粋な魔力でできている。故に、ドラゴンが死ぬと、その体の大部分は魔力の粒となって消えてしまう。だが、特に魔力の密度が高い頭部の骨や、鱗の一部は死後にも残されるはずだった。
しかし今回、ドラゴンが消えた場所にはほとんど何も残っていなかった。それはつまり、少なくとも普通とは違う何かが、その瞬間に起きていたということだ。
「或いは、我々の知らない何らかの方法によって、痕跡を残さずに倒したか……です。何れにせよ、ただ角を砕いただけ、とは思えません」
「何らかの方法、ってのは?」
「現状では何とも。特定するに至るほどの情報がありませんし……シエナさんたちが一体何をしているのか、そこにどんな意図があるのか、正直想像もつきません」
「……じゃあ、嬢ちゃんの最後の言葉、あれも嘘だと思うか?」
「あなたは、どう思われますか?」
逆に問い返してみる。すると彼は、テーブルに乗り出していた上体を起こし、胸の前で腕を組みながら天井を見上げた。ランプの灯りに揺れる影が、賑やかな酒場に無音の囁きを溢す。ダンはしばらくそれを見つめてから、答えた。
「……俺には、本心から言ったように聞こえた。他のどこに誤魔化しがあったにせよ、あの時の言葉は本物だった」
「私も、そう思います」
確信のこもった言葉に、同意の笑みを浮かべ頷く。
「彼らは奪うためでなく、守るために戦っている。そして、相手にもそれを伝えたかったのだと」
「……にしても、俺は今回実際に見るまで、ドラゴンが喋るなんて知らなかった。それも、あんな流暢に話すとは……。お前は知ってたか?」
「知識として、聞いたことはありました。人間に対しては滅多に言葉を発さないけれど、それだけの知性を持っているらしい、と」
とは言え、実際に人間と遜色ない言語能力を持つと証明されたことには、少なからず驚いていた。人と同じように話せるということは、人と同じように思考できるということだ。ドラゴンと戦うことが、他の魔獣や動物を相手にするのとは、全く別の次元の話だとされる理由がようやく分かった気がした。
「……なるほどな。嬢ちゃんにも言われたことだが、やはり俺たちは、ドラゴンとの戦闘に関して素人同然だ。知らないことがあまりにも多すぎる……」
ダンも同じ結論に至ったらしく、途方に暮れた顔で額に手を当てた。
「そういや、知らないと言えばあの二人が持っていた剣。あいつは何なんだ?風にせよ、炎にせよ、魔法を武器に纏わせ攻撃するなんて、今まで見たことが無かったぞ」
「ドラゴンスレイヤーが持つ武器には、基本的に『纏』と呼ばれる特殊な加工が施されている、と聞いたことがあります。しかしこれは、普通の武器では傷つけられないドラゴンの鱗に刃を通すためのもので、お話にあった、魔力を魔法に変換するような効果は無かったはずですが」
「だとすると、あの武器に関しても謎が残る、か」
「そうですね。それもまた、我々に足りない知識の一端なのでしょう」
謎は謎だ。解き方の見当がつかない以上、今は目の前の情報を一つずつ集めて行くしかない。
「シエナさんの相方である、ハイドさんのご様子はいかがでしたか?」
「それもなぁ。これまで同様、接触した時間が短すぎて、詳しいことがわからない。戦いの様子を見る限りは、嬢ちゃん程じゃないが、かなりの身のこなしと剣捌きだった。随分変わった型だったから、恐らく我流だろうがな。魔力は相変わらず弱いし安定もしちゃいなかったが、一人でドラゴン一頭を片付けた後の話だからな。大分消耗していたのかもしれん。どっちにしろ、二人の連携は息がぴったり合っていたし、相当戦い慣れている様子ではあったな」
「あなた自身、そんなお二人に助けてもらったんでしたね。聞いた限りでは危ない瞬間もあったようですが……むしろ、その状態でよく『彼女』が我慢してくれましたね」
「ああ。正直、かなり際どかったな」
実際ヒヤリとしたのか、顔を顰めると、グローブ越しに右手の掌を撫でた。
「事前に、よくよく頼んではおいたんだが……あと少しタイミングがずれていれば、間違いなくまずかった」
「これからも彼らに同行するのなら、危険は付き物だと考えるべきでしょう。万が一にも『まずいこと』にならない様、我々二人とも、もっと気を引き締めねばなりませんね」
「ああ、分かってるさ。そう何度も不覚を取る訳にはいかねぇからな。……ま、それはそれとしてだ」
ダンは再び身を乗り出すと、それまでの緊張感を一掃するように、テーブルの上のバスケットに積まれていたパンを手に取り、バリバリと小気味よい音を立てて頬張った。
「取り敢えずはこのまま最初の方針通り、嬢ちゃんたちが根負けするまで追っかけるわけだ」
「……残念ながら、現状からお二人の警戒心を解くのは難しいように思われます。場合によっては一度距離を置き、改めて別の方法を考えるというのも手かと」
「そいつはどーだろうな」
パンの最後の一切れを口に放り込み、残っていたシチューを掻き込みながら、ダンはレグルスの提案に疑問を呈した。
「ちょっとやそっとの小細工なんざ、あの二人には逆効果だ。むしろ、より不信感が増すだけだろう。こっちに何か含みがあんのはお見通しだろうし、下手に隠そうとするよりは、このまま押し通しちまった方がましだ。後は旅に付いて行く中で、俺たち自身の目と耳を使って、本当のことを確かめればいい」
「なるほど。しかし仮に押し通すことができたとして、彼らがボロを出すとは限りません。より巧妙に誤魔化されてしまうだけかもしれませんよ」
「かも、しれねぇな。ま、そーなったらそん時はそん時で、また考えればいいさ。確かお前の話じゃ、嬢ちゃんたちが何を、何のためにしているのか、調べて欲しいって依頼だったよな?時間にせよ方法にせよ、別に決まっちゃいないんだろ」
「確かに、時間の指定や期限はありませんでしたし、結果さえ出れば文句は言われないと思いますが……」
「なら、何も問題は無いさ。俺たちは俺たちのやり方で、二人の真意を調べるだけだ」
言うなり、揺らがない笑みを浮かべた。
この作戦を言い出した際にも思ったことだが、彼は存外、人の本質を見抜くことに長けている。そして、小手先の駆け引きではなく己の振る舞いと信念こそが、人を動かす力になると心から信じている。その選択は、同類の相手に対してなら、大いに効果を発揮するだろう。
「分かりました。では今しばらく、彼らとの我慢比べを続けるとしましょう」
一見、稚拙に思えるほどストレートな方法。飾らず、偽らず、互いに秘密があることを知った上で、理解の為の時間を稼ぐ。少なくとも自分のような人間には、考えついてもとても実行できない。
だが、それもまた一興。旅の道連れが彼のような男になった、この巡り合わせの賜物だろう。
レグルスはカップの中身を飲み干すと、カウンターの奥で食器を洗っていた女将に声をかけた。
「すみません、野菜のスープをもう一杯、戴いてもよろしいですか?」