贈る言葉
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再び舞い上がった砂埃の中を、二つの小柄な人影が走り抜ける。二人は、大地から突き出てくる土の柱や壁や棘を、右へ左へと避けながら敵を目指していた。
咆龍は彼らとの戦いが始まった途端、大地を自在に操って撹乱を始めた。それに対し、二人は経験から来る息の合った連携で対抗していた。見た目が15歳ほどのハイドと17、8歳のシエナでは、頭ひとつ分シエナの方が背が高い。しかし、その体格の違いを感じさせない軽やかさで、シエナは迫り上がる地面を巧みに避けていく。
また一つ、立ち塞がった壁を飛び越えた直後、少女は低い姿勢から2本の刃を合わせ、逆袈裟斬りに振り抜いた。正面側から、角を狙って斜め上方に放たれた緑の斬撃は、渦巻く風を起こしながら標的へと向かう。それに途中で気付いたドラゴンは、意識をハイドからシエナへと移し、壁を作って攻撃を防ごうとした。しかし、相手の注意が逸れた隙に、ハイドは迫り上がった地面を蹴って跳び上がる。そのまま斬撃の生む風に自ら飛び込むと、その勢いを活かして土の壁を突き破った。
緑の風と黒剣の刃が、ドラゴンの角を襲う。
途端、響き渡る怒りの声。斬撃は、三本のうち最も太く短い中心の角に、大きなヒビを入れていた。痛みにまかせて振り払われた尾の一撃が、周囲にあった柱や壁を粉々に破壊する。攻撃の後で受け身も取れず、なす術なく飛び散る瓦礫に飲まれそうになったハイドを、跳躍したシエナが抱え込んで助け出した。
少し距離を置いて息を整えると、すぐにまた二人は攻撃に移る。相手が落ち着きを取り戻す前にと、まだ痛みに頭を振っているドラゴンに、二人の攻撃が重なっていく。双剣を活かした連撃や強烈な一撃を放つシエナに対し、ハイドは切先の重さを利用して回転する独特の動きで、時に攻撃を避け、また時に相手の死角を突いた。
しかし、ハイドは攻撃の合間に時々体がふらついており、先の戦いの名残りを感じさせた。相手の放つ攻撃はまだ掠らせる程度にとどめていたが、足のふらつきは少しずつ大きくなっていく。少女はしばしば、そういった少年の隙を埋めつつ、次の攻撃の機会を窺っていた。ドラゴンの意識を少しでも自分に向けるよう仕向け、その合間を縫ってハイドが動けるよう助ける。そうして振るわれる剣が、確実に咆龍の鱗を削り、傷を負わせていった。
そして、戦場がすっかり朝日に照らされる頃、唐突に転機は訪れた。
地面から連続して突き出した棘を少年が転がって避けた瞬間、再び一帯を周囲の壁や棘ごと、巨大な尾が薙ぎ払った。
「ハイドっ!」
立ち昇る砂煙が視界を遮る。このときシエナは、ドラゴンの注意を引くため、ハイドとは敵を挟んで対角線上の頭側に移動したところだった。彼を助けに行こうにも、蠢く大地が行手を阻み、すぐには向かえない。それでも回り込もうと、少女が壁を一つ飛び越え、次の跳躍のため足を撓めた瞬間、足下の地面が消失した。
「ちょっ!」
正確には足場にした地面が一瞬で陥没し、大穴に変わったのだ。支えを失い、少女はなす術なく穴へと落下した。
一方、ドラゴンの尾に薙ぎ払われた少年は、ほこりまみれになりつつも身を起こしていた。咄嗟の防御が間に合ったため、大きな傷は負わずに済んだらしい。すぐに立ち上がり周囲を伺うが、砂煙で視界は無いに等しかった。
その煙の向こうから、突然魔力の塊が飛来する。ふらつく足を踏ん張って跳んで避けるが、避けた先に次弾が迫っていた。これには避ける暇が無かったのか、手にしていた黒剣を下から振り上げ切り払う。二つに割れた魔力がそれぞれ地面に着弾し、さらに砂埃が捲き上がる。次は……と、攻撃が飛来した方向に顔を向けると同時、背後から大きく開かれた巨大な口が、少年を喰らおうと音もなく現れた。
反射的に振り返るハイドを、ドラゴンは一口で飲み込んでいった。……はずだった。
穴には落ちたものの、シエナは自らの魔法で風を起こし、無事に脱出していた。だが、その間に咆龍は煙の中に姿を消し、ハイドも何処にいるのか分からなくなった。まずは視界の確保をと、呪文を唱え再び風を呼ぶ。新たな風に押し流され、砂煙が辺りから吹き飛んでゆく。そして薄れて行く煙の中から、巨大な龍の体が顕になった。
今、まさに閉じられたばかりの龍の口。そこから、燃え盛る炎が溢れ出した。
次の攻撃かと少女は身構えたが、敵は苦悶の声を上げ、たまらず口を大きく開いた。中から、炎を纏った剣を振り、少年が飛び出して来る。
「シエナっ!」
「――分かってる!」
鋭い声に半ば反射で答えながら、双剣に魔力を注ぎ、跳躍と同時に十字の軌跡を放った。逆巻く風の刃は、未だ炎を上げるドラゴンの口腔に突き刺さり、燃える火に爆発的な勢いを与えた。咆龍の苦痛の唸りと身悶える振動が、辺りに響き渡った。
それが戦いの幕引きとなった。その後、炎と痛みが次第に収まると、ドラゴンは荒れていた魔力を抑え、戦意を収めた。傷ついた長大な体をゆっくりと横たえ、灰色の龍はその黒い双眸に、疲れと満足げな表情を滲ませた。
『……久方ぶりに交わした言の葉、存外悪くはなかった』
切らした息を鎮めながら、静かに歩み寄って来た若き戦士二人に、先達は穏やかに話しかけた。
『最後に武を競うのが、命を奪うことを愉しむ者でなく、そなた達のような狩人であったことを嬉しく思う。……さあ、とどめを刺すがいい。この命、謳われし龍達に比べればいささか若過ぎるが、そなたらの名を知らしめる一助にはなるだろう』
ハイドはその言葉を聞きながら、頬の切り傷から流れる雫を、得物を持つ手の甲で拭った。
頬に残る血の跡はそのままに、ゆっくりと一歩を踏み出し、空いた手を巨大なドラゴンの鼻先に置いた。その行動に、龍は閉じかけていた眼をゆっくりと見開き、大きく息を吸い込む。少年は漆黒の龍眼を見つめながら、まっすぐに言葉を紡いだ。
「叶うなら、あんたとはもっと、ゆっくり言葉を交わしたかった」
唖然としたまま視線を逸らすことができないドラゴンに向かい、ハイドはさらに一言二言、言葉を紡いだ。彼が何を言ったにせよ、それが最後だった。龍の体から手を離した少年は、改めて黒剣を握り直すと、咆龍の頭上まで一息に跳躍した。空中で体制を入れ替え、頭を下にした状態で腕を振り、三本の角をまとめて切り払った。その瞬間、白銀の閃光が迸り、辺り一帯を満たした。
◆●◆
光が完全に収まったとき、既にドラゴンの姿はどこにもなかった。ただ、石畳が粉々に砕け、至る所を掘り返したような有様の道が、昇る陽の光に照らされていた。散乱する瓦礫の間に落ちた、僅かな龍鱗の欠片だけが、そこにドラゴンが居たことの痕跡だった。
「……あの時、ハイドの剣が完全に龍角を砕いた。それがとどめになったのを、あなたも見ていたはず」
シエナは怯むことなく、ダンの目を見返しながら言った。
「じゃあ、あの一撃で、トカゲ野郎は死んじまったのか?」
「ええ、間違いなく」
敢えて重ねて聞くダンに、少女は迷わず言い切った。青年の視線と少女の眼差しがぶつかり、束の間、二人の間の空気が張り詰める。
しかし、その沈黙を破ったのは、2人の内のどちらでもなかった。
「……あのー、せっかくの食事の席で、お互いあまり怖い顔はしない方が」
控え目ながら、努めて穏やかに話しかけてきたのは、今し方宿屋の扉を開けて入って来た青年だった。背には弓を負い、白金の艶やかな長髪をうなじでまとめている姿には見覚えがあった。
「お前!今の今までどこに居やがった!もうとっくに戦いは終わっちまったし、どころか日も暮れてもうすぐ夜だぞ?」
「……それを貴方が言いますか」
ため息と共に、呟くようにこぼしてから顔を上げ、
「私は今朝方街に入る際、連れが門番の静止を振り切って街に飛び込んでいってしまった為に、身元を散々調べられ、その上で彼らに苦言を呈され、ようやく中に入ってみれば、戦場から距離を取ろうとする人の波に揉まれて一向に近づけず……。致し方ないので、戦いが終わる頃まで周囲の避難を手伝い、その後は瓦礫の片付けなどを行なっていました。その作業がひと段落したのが昼過ぎ。それからは、何処かの宿屋に向かったというみなさんを探して、街中の宿を一軒ずつ訪ねて回っていました」
完璧な笑顔で述べながら、盛大にむせているダンの隣の席に腰を下ろした。
「そ、そうか、そいつは悪かったな……。嬢ちゃん達が戦ってるっぽいって聴いて、つい気が急いちまって……まさかそんなに面倒なことになってたとは……」
目が泳ぎまくっているダンに対し、青年は再び深々とため息をつくと、苦笑してみせた。
「もう少し注意を払って頂きたいとは思いますが、彼らのことが心配だった気持ちも分かります。次から、ちゃんと私のことも考えていただければ、今回のことは水に流しましょう」
「べ、別に心配なんかしてねえさ。俺はただ、少しでも嬢ちゃん達に活躍を見てもらおうとだな……。だ、だが、今回はほんとありがとな!お前のことも忘れてたわけじゃないんだ。次からは置いてったりしないさ」
目に見えて動揺するダンは、変な汗を流しながら、あさっての方を見て笑う。それを横目に、青年はシエナに向き直り、姿勢を正した。
「ご挨拶が遅れました。改めまして、彼の同行者のレグルスと申します」
柔らかに笑いかける瞳は、髪よりも深い金色をしていて、整った目鼻立ちと共に、一度見たら簡単には忘れられないものだ。そして、既にその名と姿は、十分すぎるほど記憶に残っている。
「知ってる。自己紹介を聞くのも、これで二回目だもの」
出会ったのはもう半月ほど前のことだ。
ハイドと二人、旅の途中で立ち寄った村で、村を襲うドラゴンを追い払おうと奮闘している、ダンとレグルスに遭遇した。その戦いの中でレグルスが負傷し、一人残されたダンが押し切られそうになったところを、見かねたシエナ達が助けに入り、事なきを得たのだ。
二人にしてみれば、たまたま通りかかったところで困っていた人を助けた、というだけのことなのだが、彼らはお礼を言うだけでは満足しなかった。仕事を手伝ってもらった上、命まで救ってもらったからには、同じく命で報いなければ気が済まないと言い出し、旅への同行を申し出たのだ。もちろんシエナ達は断ったのだが、二人は諦めようとしなかった。彼らを置いて村を出たにもかかわらず、いつの間にか追いついて来て、行く先々で一方的に力を貸そうとした。何とか振り切ろうと、不慣れな者には簡単に辿れないような道を選んで移動したのに、今回も結局追いつかれ、戦場にまで乱入されてしまった。
本当にただの恩返しのつもりでここまでやっているのだとしたら、正直、尊敬に値するところだが……いい加減、彼らをどうすべきか、真剣に考える必要があるかもしれない。
「覚えていただけていたとは、光栄です。今回私はお助けできず、申し訳ありませんでした。せめて、援護に参加できればよかったのですが」
「いやー、あの戦いを見られなかったのはもったいねえなー!嬢ちゃんもぼうずも、すごかったんだぜ?敵の攻撃を、こう、右へ左へと避けながら近づいて行ってよ――」
わざわざ身振り手振りまで交えて力説するダン。テーブルの上のランプに照らされてできた影が、そんな青年の動きに合わせて踊り、天井や壁を行き来する。
「なるほど、それは是非お目にかかりたかったです。ここに来るまでにも何度も耳にしましたよ。若いお二人が、見事ドラゴンを仕留めたというお話を」
下から照らされた顔に、楽しげな笑みが浮かぶ。まるで戦いの情景を思い浮かべるように、レグルスはそっと目を閉じた。