北限の地にて5
「2950」
ゲ・バーナという頭を失ったオークの残存部隊はほどなく、全て討ち取られた。
幻影のウォッチャーたちがでるまでもない。
オークの中でも力では出世できない者たちが集っていたのがゲ・バーナ軍だ。
誰も彼もまともにゲイルに応戦できずに枯野を行くようになぎ倒されていったのだった。
かくして、氷の国へ攻め寄せた先見五十、本隊二千九百五十、あわせて三千のオーク軍は全滅した。
「残り2625人」
ゲイルは血みどろの荒野を踏みつけて歩き出す。
まだ討つべきオークは多い。
足を止めるにはまだ早い。
「待て!」
それでも呼び止められれば足は止まる。
ゲイルはゆっくりと振り向く。
青ざめた顔の老人が怒りとも哀しみともとれる表情で立っている。
「オアネモス」
「お前は、お前はなんだ!なんなのだ!」
ゲイルの言葉を聞いていないように、オアネモスは叫んだ。
「俺はゲイル。ウォッチャーだ」
そんなことはわかっている、とでも言うようにオアネモスは口を開く。
「あれはなんだ? カームは、ハヤテは、カマイトは、タイフは、ゼフィロナは!!?」
「ウォッチャーだ。俺は全ての死したウォッチャーとともにある」
「わしは、死したあとゼフィロナと出会うことだけを望みに生きてきたのだ!」
半身たる妹が死んで、オアネモスはそれ以上、見張りを続けることはできなかった。
あとは、オアネモスも冥府へ旅立ち、そこで再会するだけ。
それだけがオアネモスの希望だった。
暗い安寧の中で、次の生が始まるまでの間、二人で過ごすつもりだった。
だが、死したウォッチャーは全て守護炎に囚われ永遠に戦い続けると知ってしまった。
最も大事な者を失った男の最後の望みは断たれた。
「会えるさ」
俺の中でな、とゲイルは言って足を踏み出した。
後ろで、何かがオークの臓物の上に倒れこむような音がしたが気にしない。
彼は、村を滅ぼした全てを滅ぼすために生きているのだから。
だから。
「殺す。お前を殺すぞ、ゲイル。貴様の中にいるゼフィロナを取り戻すまでは、来世で再び会うために、この命を賭けてもお前を殺す」
オアネモスの呪詛も、聞こえているがゲイルの感情にはさざ波ひとつ立てることはない。
その歩みを止めることも。
オークへの復讐を留めることもない。
ダークウォッチャーは止まらない。
オーク軍との決戦場となりうるモロシア平野が通行止めになっていることを知った氷の国の女王ユラは急ぎ、平野の偵察を行った。
オーク軍が足止めを食らっているのなら良い。
逆に、オークの策略であったのなら早急に対処せねばならない。
双刀を持つ謎の戦士によって、オークの先見が倒されたことは素直に喜ばしい。
もし、その戦士が百人単位でいるのなら、オーク軍とて撃退しうる。
その可能性は低かろう、ともユラは推測する。
ウォーカーが言った符丁である“炎は消えた”とはおそらく、伝承にある見張りが敗北したことを意味する。
あの戦士は最後の生き残りという可能性もある。
問題は、氷の国でオーク軍に対抗しうる戦力がないことだ。
精鋭の重装騎士団はオークに鎧袖一触で敗れ、王都防衛隊は一戦すらしていない。
戦力が無ければどこかから持ってくるしかない。
「南方諸国との連絡は?」
女王の側近である宰相が答える。
「光の国、風の国、水の国からそれぞれ返答があり、二百から三百ほど兵員を送ってくださるとのことです」
「そうか」
南方の数十の国々に、北限三国の窮状とオークの危険性、そして盟約のことを書き連ねて送った。
返答のあったのはたったの三か国。
もちろん、無いよりはいい。
少なくとも六百の兵が援軍に来てくれるのだ。
無いよりは、いい。
それでも、ユラの中には不満が残る。
実際に目にした者にしかわからないかもしれないが、人族の危機であるとなぜわからない。
よく考えれば数日前に己が同じような考えであったことをユラは思い出す。
ウォーカーの老人が警告を与えても、氷の国の人間は一笑にふしたのだ。
オークら闇の種族の侵攻の最初の防波堤となるべくして作られた国の者ですらそうなのだ。
南方でぬくぬくと暮らす国々の者らに、危機を感じろといっても無理であろう。
「おそらくは、北限三国のいずれかが、あるいは全てが滅びねば危機は伝わらぬのであろうな」
双刀の戦士が来なければ、おそらく氷の国の王都は陥落していた。
否、切札を使えば撃退はできただろう。
この氷晶宮を構成する魔法をまるごと攻撃魔法として放つ“氷結地獄”を使えば。
それでも、撃退だ。
倒しきることは出来ない。
切札を失った氷の国はいずれ敗北する。
そしてそれは近い未来だ。
「冬の国が持ちこたえている間に、なんとか援軍が間に合ってくれればよいが」
「望み薄ですな」
宰相は顔色を変えずに言った。
頭の回転の速い男だ。
南方諸国から北限の地に来るまでの行程と進軍速度、そしてオークの侵攻の速さを計算すればおのずと答えは出る。
冬の国、氷の国の滅亡だ。
「であれば、どうする? わらわには手は思いも付かぬ」
「余裕のあるうちに後退するよりありませんな」
「後退?」
「わが国の南端にある都市ビナーに政府、全兵力を結集するよりありません」
「それはつまり、王都を……」
宰相は頷く。
「王都を捨てるのです。氷の国そのものを捨てるという覚悟でなければ闇の種族は止められないでしょう」
ユラは玉座に深くもたれた。
背筋を伸ばすのも限界だ。
建国以来何百年と保ってきた氷の国がユラの代で潰えるなど、とても認められるものではなかった。
しかし、他に手は無さそうだった。
南端の都市なら、南方諸国からの援軍とも合流できる。
氷の国の陥落ということで、闇の種族の危機を理解させることもできるだろう。
「この国は生贄じゃな」
「わたくしどもの世代でこのようなことが起こるなど思うておりませんでしたな」
「まったくじゃ」
この王都撤退及びビナー結集構想は採用されなかった。
モロシア平野からの偵察隊が戻って報告をしたからだ。
全速力で走ってきたのだろう足の速さで選ばれたらしき若い兵士は女王はじめ重臣に報告した。
「モロシア平野に敵影なし」
と。
女王は身を乗り出して問いかける。
「その先は!? 冬の国への街道にも、か?」
「はい陛下」
「どこかに潜んでおるとは考えられぬか?」
軍務長官である将軍が質問をする。
「その可能性は低いと思われます」
「なぜだ?」
「平野にはオークの死骸が野ざらしになっていました。その数、おおよそ二千五百以上かと」
「物見によればこちらに攻めて来たのは三千ほどだったはずじゃな?」
女王の問いに将軍は頷く。
「その通りです。陛下」
「なれば、敵のほとんどは死んだ、と?」
「平野のオークの半数は同士討ちをした形跡がありました」
「なるほど指揮官が倒され、混乱して同士討ちの可能性はあるな」
と将軍が納得する。
「それでも、敵の指揮官と残り半分を倒した者がいるはずじゃが」
全員の脳裏に双刀の戦士の姿が浮かぶ。
「お味方の気配はありませんでした。ただ」
「ただ? なんじゃ?」
女王の問いに兵士は戸惑ったように答えた。
「千人規模の会戦の形跡があったのです」
「千人規模の会戦……とな?」
結局のところ、氷の国ではその戦いの詳細を知ることはできなかった。
わかったのは、氷の国へ攻めてきたオークが全滅したこと、援軍が来るまでの時間が稼げたことだった。