決着04
ネ・ルガンは混乱していた。
フォン、とは何か?
知らない名前のはずなのに、己自身の感覚としてその言葉に反応してしまう。
知らない?
私の、俺の、誰の名前?
「隙だらけだぞ?」
左のわき腹の付近から声がする。
そして激しい痛み。
短刀を刺したあと、ダメージを大きくするために捻る。
オアネモスはそうする。
これほどの隙があるのなら、奴は必ずやる。
一瞬で判断したネ・ルガンはオアネモスを蹴りながら、後方へ跳躍した。
距離をとり、わき腹から短刀を抜く。
多少の出血と傷程度なら、オークの身体は物ともしない。
すぐに自己再生がはじまり、治癒される。
「!?」
なぜ、こんなことを知っているのか?
ネ・ルガンの混乱はさらに極まる。
オアネモスという老人とは、はじめて戦ったはずだ。
相手の攻撃のクセや性格など知りようはずもない。
しかし。
その知らないはずの知識によって、ネ・ルガンはオアネモスの攻撃をかわし続けていた。
「身体がでかくなった割りには動きよる」
オアネモスは笑う。
その笑みに凍えるような感情が透けているのを感じて、ネ・ルガンはおののいた。
無意識に後ろに跳んだネ・ルガンの、立っていた位置に矢が三本、ほぼ同時に突き立つ。
「避けたか」
アウラが悔しそうにオアネモスの後方から進みでる。
「・・・・・・!?・・・・・・シナツ!?」
また、知らないはずの名前が口から出てくる。
どうしたというのだ。
自分自身が揺らいでいるのを、ネ・ルガンは自覚している。
それは恐怖だった。
この世で最も親しんでいる自分が、まったく信頼できないという恐怖。
「私の矢で死んでちょうだい?」
アウラは次から次へと矢を射る。
途切れる事のない速射は、揺らいでいるネ・ルガンを確実に、着実に射抜いていく。
ネ氏族特有の自己再生をも超える速さで、つけられていく傷はネ・ルガンの体力を奪っていく。
「おのれ、我が剣に込められし死よ、今こそ解き放たれん“鉄塊霊破”!」
焦り、混乱、恐怖、様々な感情に苛まれたネ・ルガンは事態を打開せんと必殺の技を繰り出す。
怨念によって生者の命を奪う死霊を剣から解き放つ、高威力、広範囲、高速の攻撃だ。
ウォッチャーの村でも、この戦いでも、多くの兵士、武人を死に至らしめた。
「だからこそ、これを潰せばお前の優位はさらに揺らぐ。魂すら停止し、凍結せよ。奈落の深淵より来たれ“コキュートス”」
ネ・ルガンの死角から放たれた魔法。
人間唯一の魔法使いストリが、バーバ・ヤガーの杖の力を解放した、本来の魔法“コキュートス”の極小版とでもいうべきものだ。
その全てから熱を奪う、すなわち物質の運動を停止させる魔法はその対象を生命だけではなく、霊魂にまで適用を拡大していた。
鉄塊霊破によって解放された死霊は、霊的エネルギーを止められ、負の感情すら止められたことで強制的に消滅した。
「馬鹿な・・・・・・私の、“死将”が受け継ぎし、鉄塊霊破が」
往古、暁の主の配下にして死神である“死将”、鬼のガランドが数多の敵を討ち倒した奥義“鉄塊霊破”。
その技は、その時々のオークの強者に“死将”の称号とともに受け継がれていた。
そして、それは敗れた。
使い手が動揺させられ、混乱し、恐怖を抱いていたとしても、だ。
ガラン、と音をたてて、ネ・ルガンの大剣が地面に転がる。
心が、折れたのだ。
自信を失い、技は敗れた。
「フォン・・・・・・」
オアネモスが小さく、名を呼ぶ。
「私の負けだ」
既に、オークの、ゴレモリア族の軍勢はほぼ壊滅していた。
ダークウォッチャーの手によって。
唯一、ダークウォッチャーに対抗しえるネ・ルガンの足をオアネモス、アウラ、ストリの三人が止めることで、オーク側は彼を止めることができなかった。
そして、ついに指揮官たるネ・ルガンが敗北を認めたことでオークの侵略はここで終わりを迎え……。
……なかった。
「魔導スキル“マナレイン”」
その短い詠唱とともに、青白い魔力が天空へ収束するのを戦場にいた者は見た。
魔力は不吉な輝きを持つ球体へと変化する。
天空を冷めた色で映したような、青い球体は数秒の間、空に君臨した。
それは発動まで待機時間であり、居並ぶ人々への猶予だった。
誰かのゴクリという唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえて。
球体は破裂した。
鋭利な切っ先を持つ刀剣のような形の、青白い魔力は数千の破片に分かれて落ちてきた。
まるで雨のように。
魔力の雨はそこにいる者に平等に降り注いだ。
人にも、オークにも。
生者にも、死者にも。
何もできなかった者は、魔力の雨に貫かれて絶命した。
鉄の盾も、鎧も、無関係に雨は貫通し、守られていた生命を奪っていく。
魔力を防ぐ高級な装備を持つ者は、わずかな間耐えた。
しかし、莫大な魔力を費やして発動されたそれは、人類の最後の切札である“コキュートス”に匹敵する威力と範囲であることをほとんどの者は知らない。
その魔法の盾や守護の鎧が砕かれたのを見て、はじめてその威力を知る事になる。
もちろん、抵抗できたものはいた。
たとえば、ヴァーユ。
「俺様奥義“七星破軍揺光剣”!!」
おそらくは、ベルトライズ王国の七星剣が隠し持つ奥義と思われる技を繰り出す。
それは、降り注ぐ魔力の雨を打ち消していく。
だが、その顔には疲労の色が確かに浮き出ていた。
常に余裕のヴァーユでさえ、全力を持ってしか抵抗できないほどの魔法だったということか。
ミナスや、シャイナー、フライシュらはそれぞれの切り札や秘技でなんとか生き抜く。
しかし、多くの兵士は命を落とした。
人間も、オークも。
人間優位に終わったはずの戦いは、その魔法を放った者が主導権を握ったのだった。
その瞬間、ストリは氷晶宮の魔力を己の物に変換し、半自動の障壁魔法を形成する糧にした。
魔力の球体を見たときには、いや詠唱する声を聞いた時には彼は動いていた。
それでも、ギリギリだ。
アウラ、オアネモス、自分、そしてネ・ルガン、この四人を守りきるのが精一杯な障壁しか張れなかった。
天から落ちる魔力の雨が、その効果を終えた時。
ストリは魔法を詠唱した者をはっきりと見た。
「ネーベル……先生」
「見事です、ストリ君。まさか、複数人を対象とした高硬度の障壁魔法をとっさに放てるとは。成長したのがみてとれました」
「……ありがとうございます」
雪の国での師弟関係であった時のように、ネーベルは親しげにストリと話をした。
「さて。どうやら、オーク軍は負けたようですね」
ネーベルはうちひしがれたネ・ルガンを見た。
目が虚ろなオークは、主人の登場にも反応を示さなかった。
人間だったころの名前を呼ばれたことによる混乱、三人の人間に追い込まれた戦い、そして主人の放った魔法が己をも効果範囲に入れていたことへの絶望。
さらには、敵対していたはずの人間に助けられたことへの戸惑い。
それらの感情が無軌道に現れたことで、ネ・ルガンは半ば気絶したようになっていた。
「しかし、人間たちが勝ったわけでもない。緒戦はまあ、引き分けというところか」
「緒戦? この死屍累々の戦場を見て、まだそのように言うのか!?いったい何人死んだと思ってる!」
ダークエルフに対して、オアネモスが苛立ったように言う。
「ふふふ。人間対闇の種族の戦争はまだ始まったばかり、だ」
「オークの軍勢はダークウォッチャーが倒した。あとはお前だけだ」
「私が一人だと思ったか?」
ネーベルの後ろから、足音を響かせて五十体のオークが進みでた。
オアネモスは苦虫を噛み潰したような顔をした。




