序章3
北門が解放された。
門の前で待ち構えていたオーク軍はなだれ込み、虐殺と破壊を開始した。
山のような屍を前に、オークの“鬼将”ネ・ルガンは満足そうに笑う。
やはり、“目”どもは手練れだった。
出身の部族ゴレモリア族の勇者らと比べても遜色ない。
それも一人一人が、だ。
誰一人背を向けずに死んでいった。
そして、まだネ・ルガンを北門付近に引き止めている若い“目”。
短刀を自在に操り、大剣の間合いに果敢に踏み込んでくる。
命を捨てているのは間違いない。
その目に憎悪をたぎらせながら、しかし冷静にネ・ルガンを足止めしている。
そう、ネ・ルガンを倒すのではなく、足を止めるのを目的としているのだ。
すでに北門の“目”は全滅した。
凶猛たるネ・ルガンを一人で倒すことは不可能だと、目の前の青年はわかっているはずだ。
だからこそ、足止め。
ネ・ルガンが村の中心に侵入すれば、それこそ村が全滅する。
おそらく、とネ・ルガンは思考する。
村の中心にはベテランの“目”がいるのだ。
そして、ここに救援に来ないということは全力で迎撃をするということ。
諸部族の連合であるオーク軍はかなりの数が討ち取られるだろう。
だが、弓矢によって無為に撃ち殺されるよりいい。
一人のオークは必ず二人以上の“目”を殺すはずだからだ。
対価としてはまずまずというところだ。
ネ・ルガンの目を逸らすような青年のステップ。
左に右に惑わすように移動し、こちらを幻惑してくる。
だが。
「もう、何度見たと思っている?」
一定のパターン、それも青年が無意識に繰り返しているであろうそれをネ・ルガンは見切っていた。
右に移動したと見せかけて、背後。
攻撃しようとして、わずかな隙をつくる瞬間をネ・ルガンは突いた。
その巨体からは想像もできぬ俊敏さで“鬼将”は背後を突いた。
大剣の切っ先はほとんど抵抗も受けずに青年の腹部をズブリと貫く。
くぐもった悲鳴を自分の口があげるのを、どこか冷静にゲイルは聞いた。
喉の奥から鉄の味の液体があふれる。
足に力が入らなくなり、崩れ落ちるように地面に倒れる。
果てしなく長い体感時間において、オークの強者と戦い、そしてついに終わりが来た。
それだけだ。
この瞬間が、どのような形であれ、来ることは最初からわかっていたことだ。
むしろ、よくもった方だ。
薄れゆく意識と、抜け落ちていく体温を感じながら、ゲイルはゆっくりと死んで……。
魂を切り裂かれるような激痛。
「お前にしては時間がかかったな」
上から降りてくる気配。
うっすらとぼやける視界の中で、それはオークの強者の前に空中から降り立つ。
「この者との死合が、なかなかに面白かったゆえ」
「我が剣を楽しませるほどの腕か?」
「技量は中の上といったところ、ですが向けられた憎悪は上の上」
「なるほどなるほど、なればよい触媒になりそうだ」
黄金の目をしたダークエルフはどうやら笑ったようだ。
痛みにきしむ魂は肉体感覚すら不安定にさせる。
ゲイルは来ない終わりに茫然とする。
死なない?
死ねない?
「何をしたのです?」
ネ・ルガンは大剣でゲイルを示す。
ダークエルフは口元を大きく歪ませた。
「憎悪を生み出す触媒にしようかと思うてな。具体的には死霊術の一つ、死を一時的に止める魔法をかけた」
「死ななくなるのですか?」
「いや、死ぬのを止めるだけだ。魔法が切れれば即死する」
「なんとも……かけられた相手に同情いたしますな」
「ふ。さあ、ついてこい。こいつの目に滅びを見せてやろう。そして、絶望と憎悪を汲めるだけ汲んでやろう」
ネ・ルガンは、一時的に不死化したゲイルを背負った。
ダークエルフは歩きだし、ネ・ルガンが続く。
オーク軍の見張りの村への襲撃は終局を迎えつつある。
北門を突破された時点で、戦力は半減している。
未来ある若者たちがほとんど死んでしまったため、仮にこれを生き延びても見張りたちの存続は極めて厳しいものとなる。
そして、その厳しい未来すら叩き潰すかのようにオークの攻勢は激しくなっていく。
戦長のカームは三体目となる黄色い肌のオークを斬り殺しながら、辺りを見回す。
ベテランの見張りでも一人につき一体殺せれば良い方で、二人でようやく一体を殺している。
それほどまでにオークという種は強力だった。
逆説的に、いかに見張りという役目が重要なものであったかを、カームは痛感している。
例えば仮に、血系にこだわらず持てる技術を外部にも開放し、戦力を拡充していればこの侵攻も防げたかもしれない。
だが、全ては仮の話だ。
どうしようもなく、村は壊滅に向かっている。
それでも、多大な犠牲を払ってオークたちはようやく目の前の壮年の男が、自分達を殺しうる存在だと気付いたようだった。
カームは威圧しながら、オークを睨み付ける。
睨まれたオークは後ずさる。
攻め寄せてきたオークらはここで足を止めた。
たとえ勇猛で、狂暴なオークとて踏み込めば必死の場所には来たくないだろう。
ようやく、一息つける。
死の直前のほんの一息であろうと休息は休息だ。
このわずかな回復で、オークを一体殺せるのなら上等だ。
しかし、希望を得た直後にそれは絶望へと変わる。
カームの目の前に何かが飛来し、地面に叩き付けられる。
もうもうと砂埃をあげたそれは、カームのよく知る人物だった。
「ッ! ゲイル!」
変わり果てた姿のゲイルに、カームは押し殺していた全滅の文字を脳裏に浮かべる。
腹部に穴、各所に裂傷、四肢は多かれ少なかれ骨折している。
「それは、最も長く我を押しとどめた。誇るが良い、それは確かに勇者だった」
他のオークより一回り以上大きなオークがのしのしと歩いてくる。
堅固な黒鉄の鎧をまとい、死と怨嗟がしみついた大剣を手にオークは表情の読めない顔でやってきた。
なるほど、あれと戦えばああなろう。
ゲイルは、そして北門を守っていた若者たちは役目を果たした。
なれば。
「次はわしらの番だな」
古代鋼で鍛造された二振りの短刀をカームは構える。
その短刀は見張りの戦長の証。
おそらく、人が造りうるものでは最高級の逸品。
その刃にはそれぞれ紅玉と碧玉が嵌め込まれている。
紅玉の短刀を暁丸、碧玉の短刀を蘭丸と呼ぶ。
カームはそれを逆手に持ち、動き出しを見せない歩き方で接近した。
縮地、と呼ばれる移動方である。
幻惑された接近は、相手の目をくらまし対応を遅れさせる。
ネ・ルガンが気付いた時には赤と緑の刃が己の首筋を狙っていた。
一方を防いだとしても、もう一方が首を掻き切る。
カームが三体のオークを斬り殺し、若いころに闇の尖兵の斥候を打ち破った必殺の剣である。
「ああ、お前が“オッドアイ”か」
だが、必殺のはずの二つの短刀は、煌く白刃に止められていた。
影から現れた影より深い闇のような姿。
その黒に黄金の瞳が輝く。
「ダークエルフ、闇の種族か」
カームは吐き捨てるように言った。
「数十年前に、ここに偵察に出た人員が戻らないことが多発した。調べてみたら、斥候達はみな二つの色の“目”によって殺されたことがわかった。我々はその“目”を“オッドアイ”と呼ぶ事にした」
ダークエルフが話している間、幾度かカームは短刀を止めている剣を跳ね除けようとしていた。
しかし、白刃はびくともしない。
明らかに筋力以上の何かが、ダークエルフの力となっている。
黄金の瞳が瞬いた。
「“オッドアイ”を殺す栄誉を、この私がいただくとしよう」
じわじわと体格的には勝っているはずのカームは押されつつあった。
汗一つかかず、力みを見せずにダークエルフは剣を押していく。
押し切られる、と判断したカームは短刀を引き、人が出しうる最速の剣速で暁丸と蘭丸を繰り出した。
だが、電光のような剣捌きでダークエルフは剣を振るい、カームの短刀を二振りとも切り落とし、返す刀で首を落とした。
電光石火の二連撃で、見張り最強の戦士は敗北を喫した。